2012年7月5日木曜日

聖徳太子の『未来記』:

2012年07月02日22:48
聖徳太子の『未来記』: シリウス文明がやって来る Kagari ∞ Kazuki のブログ
http://mihoh.seesaa.net/article/107100827.html
2008年09月25日
聖徳太子の『未来記』
最近、飛鳥昭雄さん+山上智さん共著、
『聖徳太子秘文「未来記」開封』という本が出ました。
だいぶ前に、『聖徳太子の「秘文」開封』、
『聖徳太子の大預言』という本があったのですが、
私が知ったときには、後者は重版未定で入手不可でした。
今回のは、それらの改訂版ということだろうと想いまして、
発刊前から楽しみにしていました。
その中で最も気になったのは、
『未来記』第十章で、現代語訳のほうを引用してみます。
もしこの者たちに帰依する人がいて、
真の僧に対するように敬い供養するならば、
その身に五病を受ける。
いわゆる、
一に盲(目が見えない)、
二に聾(※ろう 耳が聞こえない)、
三にいん(※やまいだれに音 声が聞こえない)、
四にい(※やまいだれに委 手足が萎える)、
五に瘡(※そう できもの)。さらに次の七禍を得る。
一にしん辱(※しんは、めへんに眞、しんにく 怒り汚される)、
二に打ちゃく(※ちゃくは、てへんに鄭、ちょうちゃく 殴られる)、
三に被縛(※ひばく 縛られる)、
四に閉籠(※へいろう 閉じ込められる)、
五に配流(流罪にされる)、
六に呵責(責めさいなまれる)、
七にし曝(※しは、しかばねかんむり、しばく 屍を晒される)。
このように、現世においてその身に十悪事
(「身、口、意」の三業によって造る10種の罪悪。)
「殺生、偸盗(とうとう)、邪淫、妄語、綺語、悪口、両舌、貪欲、
しんい(※しんはめへんに眞、いは圭のしたに心)、邪見(または愚痴)」を受ける。
ましてや、来世においてはなおさらである。
魔王やその腹心の者たちは外道の棟梁(頭)となりそれ故に、このようになるのである。
いわゆる法華第一に「来世に生ずる悪人は、法華経の教義を聞いて、どうしてよいのか迷った末に、
信じて聞き入れることをしないで仏法に反し、自ら悪道に堕ちる」と述べている。
聖徳太子さんは、一遍、日蓮、親鸞の三悪僧が、この国を滅亡に追い込むと忠告をしています。
この中でも最悪なのが日蓮であり日蓮の教え以外は全て邪教であるとして、
この原理が、現在の創価学会に受け継がれ、政治の中では、公明党に入り込んでいます。
一遍は、踊りながら、一心に仏名を唱えることで救われる
と説いたことから、奇異な行動、教えということになるでしょうか。
親鸞は、一心に念仏を唱えたら、即往生が定まり、
悪人ほど救われるという「悪人正機説」で有名ですが、これも、
原始キリスト教会=古代グノーシス派=古代フリーメイソン派
の教えからは、遠く離れたものです。
つまり、表向き、神(創造主)はひとつと教えていたとしても、
裏の教えとして、三位一体(3柱)の一神教だという
カバラの教えが入っていなければ、それは、ニセモノだということになります。
現キリスト教ばかりか、現仏教さえも、当初の教えから
遠く離れたものに成り下がっています。
これらのニセモノを信じて従った末にどうなるかということで、
現実に対して目が見えないし、真実の情報があっても
耳が聞こえないばかりか、口が聞けなくなったり、
手足が動かなくなったり、できものが出来たりと、
肉体までも侵されてゆくという末路になると告げています。
先日、私にメールを頂く方から、
幾つか取り上げさせて頂いたのは、
面白おかしく批判したいからではありません。
取り返しのつかないことになって、
死ぬよりも苦しい生き地獄に合わされたら、
どうにもこうにも救いようがないでしょう?
と言っています。
あなたを救うのは、Kagariではなく、
あなた自身だからです。
明らかに奇異な行動・言動をする者にすがっていると、
肉体的な、顔や身体さえも、おかしくなってしまいますよと、
聖徳太子さんは警告をしてくれています。
その結果が、国家存亡の危機です。
正しい真実の物事を観る眼が備わっていれば、
何百冊も読まなかったとしても、
『エメラルド・タブレット』、『秘教真義』のような
崇高な本から、多くの情報を受け取ることが可能になってきます。
しかし、直観も閃きも全く湧かないといったときに、
該当すると想われる、あらゆるものから統計を取ってみる、
という方法があるはずです。
では、アセンションがあることは分かった、
時間が残りわずかだということも分かった、
そこから後、どうするかということになります。
スピリチュアルな情報、精神世界的な情報の中で、
真実の情報は、全体の1%ぐらいしかないという話は、
もう何十年も前から言われていることです。
そこで、何か奇異な行動・言動がないかどうか、単にワクワク・ウキウキしていればいいなどと
浮ついたことだけを言っていないかどうかを、私たちは、見抜いてゆくことが試されます。
 
不動明
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