2016年11月21日月曜日

トランプを生み出した人々の意識

2016年11月15日
トランプを生み出した人々の意識
米大統領選は、10数年後は? 近未来情勢を予測する。で予測したように、トランプが制した。
米大統領選は、人々の意識がアメリカでも大きなうねりとなって変わり、マスコミでももはや押し留めることができないことを明らかにした。
長年、国家・民族主義を解体・封印しようとしてきた金貸し+エリートの騙し支配もここまで。
そして、アメリカの根無し草のような人々でさえも、集団意識が復活してきていることに驚く。
世界的に民族≒共同体が、観念ではなく、肉体レベルでうごめき始めた。
(アメリカ・西洋人の民族意識なるものが何なのか、どこに向かうかは追求が要る)
トランプの支持勢力の中核は、軍の愛国派であり、大衆である。
彼が、グローバリズムを嫌い、国内重視の経済政策、移民に反対しているのも支持者の意向を受けてのこと。

日本を守るのに右も左もない
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2016/11/6234.html


★これからアメリカはどうなる?
アメリカ愛国派→トランプの動きが注目される。金貸しや軍産の巻き返し(代理人の議員を通じた政界工作や脅し)も始まるだろう。
だが、世界(アメリカも)の主導権を握っているのは今やロシア・プーチンであり、その底流には大衆の意識潮流(民族意識と安定)があり、その大きな動きには逆らえない。
 潮流に乗っているプーチン、トランプに利がある。
この動きは、中銀廃止→国家紙幣へと向かい、ついに金貸し支配にトドメを刺すだろう。
★日本はどうなる?
 相変わらずマスコミ支配は強いが、大衆の意識を押さえきれず、そこに乗るしかなくなってきている。最近の電通や豊洲、オリンピック施設縮小など、この延長上にあるように思う。
・・・ここでも大衆が作り出す意識=外圧が大きくなってきている。
しかし、いまのところ日本にトランプのような役者はいない。当面は田布施一味(安部や天皇)+官僚の政権運営が続く。
米軍撤退に向けて、旧軍勢力が盛り返してくる可能性さえある。
アメリカのトランプ勝利は、時代が明確に変わりつつあることを感じさせ、日本の不正選挙支配にも、世界は変わりつつあるという“希望”を感じさせている。
しかし、日本の田布施支配・朝鮮人支配、これを突破するには日本内部からの、内的な力の登場が必要。
今後のポイント
・世界は民族・集団が自集団の安定を求める動きに向かう。ロシアはそこに乗っている。自己中(ex中国)は敵視されていく。
・先進国:日本・アメリカ・西欧は、近代観念と旧勢力残存で、しばらく統合は混沌とする。
  金貸し残存勢力(大企業etc・エリート・官庁)vs 新勢力(共同体≒仲間・集団意識に立脚)のせめぎあいが続く。
・最後は人々の意識、集団意識に立脚した追求力・共認形成力(=統合力)のある勢力が勝つ。
人々の意識、そこからの活力・追求力、世界情勢全てがつながってきている。
 時代は大転換していく。
(by Hiroshi)

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トランプ大統領を生んだアメリカの意識潮流を探る
激戦州といわれたフロリダを僅差で制したトランプ氏が大統領選挙当選確実となりました。
当ブログではかねてよりトランプ氏が有力であることを触れて来ましたが、
国内の株価状況を見ると、大勢はヒラリー氏を有力視していたのでしょうか。
トランプ氏当選確実の報を受け、今日(11/9)の日経平均は、1,000円以上も急落し、終値は16,251円で終わりました。
主要株の動きは以下の通りです。
トヨタ -384円(-6.52%)
ソニー -162円(-5.09%)
ソフトバンク -422円(-6.55%)
日本郵船 -12円(-6.25%:終値180円)
トランプ・ショックと言わんばかりの下落振りですが、
その一方で株価が上昇した企業もありました。
以下が上位の大半が軍事関係の企業です。
【2位】東京計器:航空電子工学
【3位】石川製作所:艦船装備
【4位】豊和工業:陸上用一般装備
【6位】細谷火工:弾薬
【7位】日本アビオニクス:航空電子工学
これはトランプ氏の軍縮政策を受けて、
日本国内の軍需上昇を読んだものと考えられます。
在日米軍の撤退が現実のものとなれば、いよいよ日本は自力で自国を守ること(これは国防に限ったことではなく)を考えていかなければなりませんが、
ロシアとの関係をはじめとして、まさに日本の自立力が問われることになります。
このトランプ氏。
事業家かつ大富豪であることから、これまでの大統領のように金貸しからの資金提供を受けることなく大統領選を戦い抜いた稀有な人物と言えます。
それがアメリカに根強く蔓延る寡頭勢力から解き放たれた大統領を世に送り出すことが出来たと言えます。
今回、得票で特徴的だったのは内陸部のほとんどがトランプ氏、
東西の海岸沿いがヒラリー氏というかたちで分布していたことです。
国民の大多数である中流層以下の支持をトランプ氏が集めたことが分かります。
このような大統領を生むことに繋がったアメリカの意識潮流は何なのか?
アメリカ国民は何を潜在的に求めているのか。
トランプ氏は今後どのように動くのか。
当ブログでは、この真相に迫っていきたいと思います。
(by  ken)

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2016年12月10日
ジョージ・ソロスとヘンリー・キッシンジャーは夏前にはヒラリーを見限ってトランプに乗り換えた
トランプ氏が次期大統領に当選して1ヵ月が経ちました。
ほんの少し前、このようなことが起きていたのです。
トランプ次期アメリカ大統領の経済政策の骨格はシンプルです。
軍事費をさらに削減し、アメリカ人の雇用を奪うTPPのような多国間条約のすべてを見直すか、
脱退し、国ごとの二国間条約によって相手国から有利な条件を引き出すことによって、
行き過ぎたグローバル化に歯止めをかけようというものです。
具体的には、減税と並行して100兆円規模の大型インフラ投資を行って、
600万人の新たな雇用を創出し、オバマ政権によって傷めつけられた中間層の可処分所得を増やすことによって購買意欲を喚起し、
アメリカの市場を強くしようということです。また、ドル安に誘導することによって、
海外に出ていった多国籍企業をアメリカ国内に呼び戻して、リーマンショック以降、
低迷していた生産性を向上させて需要喚起を刺激するというものです。
そのためには、天文学的なアメリカ政府の負債を圧縮しながら、
連邦準備制度理事会(FRB)が独占している通貨の発行権を政府に取り戻す機会を模索しなければならないのです。
今のアメリカは、借金で首が回らない状態で、
トランプが言うような財政出動のための資金の調達ができなくなっています。
さらに、世界経済崩壊の時限爆弾となっているデリバティブ破綻を未然に防ぐために、ウォール街の改革は避けて通ることはできません。
トランプは、早速、彼の政権の経済政策の決め手となる一手を発表しました。
それは、彼の政権が、ゴールドマン・サックス出身のバンカー、スティーブン・ムニューチンを財務長官に起用することを決めたことです。
スティーブン・ムニューチンは、現在、ヘッジファンド運営会社デューン・キャピタル・マネジメントの最高経営責任者(CEO)兼会長を務めている人物ですが、
その前は、コールドマン・サックスに17年勤め、同社の最高情報責任者の地位にあった男です。
ムニューチンは、今年5月にトランプ陣営の全米財務担当に指名されました。
また、彼には、かつてはヒラリー・クリントンとオバマ大統領を支援した過去があります。
見過ごしてならないのは、スティーブン・ムニューチンがゴールドマン・サックスを退社して自身のヘッジファンド運営会社デュ─ンを立ち上げたとき、
ジョージ・ソロスからの10億ドルの資金を借り受けていたという事実です。
面白いことに、ブルームバーグ日本版の7月20日付の記事では、
彼のことを「スティーブン・ナチン」と紹介して、スティーブン・ムニューチンとは別人であるかのように報じています。
いずれにしても、財務担当の人選は、7月の時点ですでに決まっていたのです。
トランプは、この人事を発表した日に、クリーブランドで行われた共和党大会で正式に大統領候補に指名されたのです。
つまり、トランプは、スティーブン・ムニューチンを財務長官なりに起用することを決めることによって、
ジョージ・ソロスから与えられた経済政策の方針に沿うことを条件に共和党の大統領候補の資格を手に入れたのです。
ジョージ・ソロスは、民主党のヒラリー・クリントンを是が非でも次期大統領の椅子に座らせるべく選挙運動資金を提供していました。
実際に、ソロスは表向きには民主党支持者として知られています。キッシンジャーと同様、
ソロスもまた、夏前にヒラリーを見捨てて、トランプに乗り換えるべく陰で工作していたということです。
トランプは、「ウォール街の既得権益をぶっ潰す」と声高らかに宣言して、
「99%」の人々を味方につけることに成功しました。特に、投票日直前までヒラリー支持を訴えていた白人の貧困層は、
今度の大統領選でも不正選挙が行われることを警戒して、国際金融資本にコントロールされている企業メディアを油断させようとネットのアンケートでは、
ヒラリーに投票していたのです。
つまり、トランプが、一般投票でヒラリーを抑えて大統領選に勝利した後、
トランプタワーの前で抗議デモを繰り広げているプロ市民(彼らは、ジョージ・ソロスに援助されている)や、
538人の大統領選挙人に、12月19日に行われる大統領選挙人による最終投票で、
ヒラリー・クリントンに票を入れるよう促している「ネットアンケートチェンジ・ドット・オーグ(Change.org)」は430万人以上の署名は茶番であるということなのです。
キッシンジャーが夏前に、トランプと折り合いをつけていたことは確実です。
ですから、大統領選前夜の決起集会で、「さあみんな、立ち上がって!ヒラリーに投票しよう!」と呼びかけていた悪魔崇拝者であることをカミングアウトした歌手のレディー・ガガや
ボン・ジョヴィらのMTVミュージシャンたち、クロエ・グレース・モレッツら人気セレブたちは単なるあやつり人形に過ぎないというわけです。
このとき、日本の大手メディアは何を私たちに報道していたのでしょう。
日本のテレビは、レディー・ガガが、トランプ当選後、トランプタワーの前で「Love trumps hate.」と書かれたプラカードを持って抗議する姿を映し出しました。
そのとき、テレビのニュースは「トランプは嫌い!と書かれたプラカード持って抗議しています」というテロップを流してしまったのです。
こうした些末的なことに関心を持つように日本の視聴者を誘い込んで、大統領選の裏側でシオニスト・ユダヤによる虚々実々の駆け引きと、
陰謀が繰り広げられていることから目をそらそうとしていたのです。
これは、キッシンジャーやソロスのようなユダヤ系シオニストの常套手段である「両建て主義」による典型的な騙しの手法で、
どちらが勝っても負けても、自分たちの利益になるように、相反する陣営の両方を支援するのです。
しかし、私たちは、思わぬ副産物を手に入れました。
それは、キッシンジャーもソロスも絶対に譲れないことは、「アメリカ経済を大崩壊させ、世界の金融システムを崩壊させること」であることが再確認できたことです。
このことは、ジョージ・ソロスの支援を受けているゴールドマン・サックス出身のバンカー、スティーブン・ムニューチンを、
新政権の財務担当の地位に就けることをトランプに迫ったことからも明らかです。
トランプにかけられているプレッシャーは想像を絶するほどです。
このまま、彼はシオニストの国際金融資本に利用されてしまうのでしょうか?
そして、彼は、連邦準備制度理事会(FRB)が、再び、米ドル札を刷り続けて、アメリカをハイパー・インフレの地獄に誘おうとしていることに目をつぶってしまうのでしょうか?
それについて、より正確な判断を下すための材料が、トランプから発せられました。
以上、
どちらが勝っても自分の得になるのが、ジョージ・ソロスです。
ジョージ・ソロスは裏切り者です。
彼はあなたが今、テレビに映し出されている暴動の多くの背後に存在します。
ジョージ ・ ソロスは都市を焼き払うと言い、すべての役に立つ馬鹿はそれを行います。
彼らはいくつかのシェルの組織を通じてこの男によって支払われます。
大部分の人々は、彼が都市に人々をバスで運んでいるということを知りません!
そういうわけで、我々はすべての愛国者にこれを共有してもらいたいです。
シカゴの外側のジョージ・ソロス・バスは、ここにあります。
これは、あなたに(君達)興奮させそうです。
さらに悪いのは、リベラルなメディアは平和的な抗議としてこれを推進しているということです。
そうではありません。
オバマはどこにあるの?
ヒラリーはどこにありますか?!?
彼らはそれが起こることを期待しているので、彼らはこれらの抗議行動を容認されていません。
彼らは、政府内の不安を後押ししたいのです。
あなたは平和だと見ていますか?
これらのデモ参加者が8 ブロックのトランプ サポーターを追いかけるこれらの抗議者を見ているのです。(リンク)

あほうどりのひとりごと 幸福への近道
http://www.xn--l8ji6b8dbd9a6a7e0hd.com/article/444763167.html




予知情報 サンカの社会

2013年10月01日
テーマ:SF・霊的世界
かなりマニアックな内容なので、興味ない方はスルーしてください。
先日、五木寛之・沖浦和光 共著 『辺界の輝き: 日本文化の深層をゆく』 という本を勧められた。
まだ読んでいないが、本の内容紹介にこう書かれてあった。
「サンカ、家船、遊行者、遊芸民、香具師など、山や海に暮し、旅に生きた人々。
彼ら漂泊民は、既存の歴史観では顧みられることはなかった。
体制の枠外に置かれた、“マージナル・マン=周縁の民”が築いた日本文化の深層とは?
さらには、法然、親鸞の思想、柳田民俗学が持つ意義とは?
差別にさらされながらも、社会を基層で支えた人々への熱い思いと
知的探究心にあふれた刺激的な対論が展開される。 」
日本史の教科書やマスメディアで語られている歴史は権力者側から見たもので、
権力者側に都合のいい内容となっているのは想像に難くない。
それとは逆に、この本は真逆の立場から見た歴史について書かれたものである。
そういう訳で、頭の片隅に「サンカ」「家船」「遊行者」「遊芸民」という単語があって、
今、一番、興味のある古代神道の歴史と、
そこに登場する八咫烏(やたがらす)という
秘密結社について調べていたところ、「サンカ」に関する記述があった。
以下は、その引用文。
 *********************************
サンカの社会 (←リンクあり)
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/1019
「サンカの社会は彼等独自のもので、アヤタチと呼ばれる大親分(おおやぞう)を頂点に、
クズシリ、クズコ、ムレコの各親分(やぞう)が、
(注:あるいは頭領の補佐としてミスカシ(透破)ツキサシ(突破)の三羽カラスとして)
各地のセブリを取り仕切り、その生活は、彼等が理想とする誇り高き社会を守るために、
独自の掟(ハタムラ)によって厳しく規定されていたと言われています。
結婚により彼等は親兄弟と離別し、独立のセブリで独立の生業(なりわい)をすることを決められています。
そして掟(ハタムラ)では、ひとたび関係のできた男女は夫婦(ツルミ)とならねばならぬとし、
ツルミとなった以上は、如何なる不正な関係も断じて許されないということです。
映画「瀬降り物語」 ではそう語られていますが、本当のところは分かりません。
ただサンカの人達の夫婦の結びつきは強く、病身の妻を最後まで夫が
甲斐甲斐しく看病した話があり、
男尊女卑的な考えはあまり無かったようです。
神示などの教えには「神界の乱れ、イロからじゃと申してあろう。
男女関係が世の乱れであるぞ。お互いに魂のやりとりであるぞ。」
との言葉がありますが、
かなり自由に生きていたと思われるサンカの人々ですが、
人間として守らねばならぬ掟に対しては厳格であったのかも知れません。」
(サンカ(山窩)を考える)から引用
セブリとは?
セブリとは背振り・瀬振りであり、古代日本の「山の民」は、
ユサバリと呼ばれる簡易テントを河原や空地に張って移動生活をしたそうです。
ユサバリとは、よく見かける切妻型の屋根のような形のテント小屋で、
棒を2本×型に2つ立てて、その上に横棒を乗せてシートを掛けると出来上がります。
【アヤタチとサンカ】
オリエント由来の多神教を奉じるイスラエル支族の一部が大洋を航海し(アマベとモノノベ※)、
あるいは内陸を移って(秦氏)日本に渡来した。彼らはその後どうなったか。
アマベの勢力は早くから減退したようだが、
これは天孫軍 に反抗したことが根本的原因であろう。
(※アマベの漢字表記は「海部」「海人部」、モノノベは「物部」)
【上田伝承】は、次のように伝える。
「朝鮮カラ追ハレタル 騎馬族ガ 日本ヲ襲ヒ 海人ラハ 朝鮮カラ来タル
応神天皇ナドニヨッテ 海ヅタヒニ ヘキ地ヘト 追ハレタノガ 海人トノコト」
(『吉薗周蔵手記・別紙記載』)
朝鮮半島南端に駐屯していた辰王 は、南下してきた同族に追われて日本に渡来し、
宇佐でイスラエル支族・秦氏の女婿となった。
辰王と宇佐氏との間にできた応神天皇が東征し、
アマベらの古王国に侵攻するが、モノノベ氏の祖ニギハヤヒと縄文族ナガスネヒコの
連立政権大和王国もその1つだった。
アマベが東征軍に抵抗したとの上田伝承は、『日本書紀』応神紀の
「3年11月、処々の海人ざわめきて命に従わず。即ち安曇連の祖の大濱宿禰を
遣わして平らげせしめ海人の宰となす」とあるのに対応する。
思わぬ所に古伝承の裏打ちが見つかるのである。
応神3年の反乱(実は防衛)の主体は海民というより、海民支配者のアマベだったから、
各地の弥生稲作集落イセも反抗の拠点となった。
近江守山の伊勢集落が突然廃墟となったのも、この時の兵火によるものであろう。
応神軍に味方してアマベの騒擾を平定したのは、
海人族の一派の大濱宿禰で、安曇連の祖となった。
筑前国儺県(ナノアガタ)を本拠とする安曇氏は海神ワタツミの後裔を称し、
住吉三神を奉じるから、ホアカリを祖神とするアマベとは同じ家系ではないが、
ワタツミがホアカリの岳父というから、極めて近い縁戚関係にあった。
大濱宿禰の天孫族への加勢は、宇佐の秦氏の工作とみるべきか。
応神紀に「5年秋、諸国に令して海人及び山守部を定む」とある通り、
古来アマベの支配下にあった全国の海民は、この時に初めて部曲に指定され、
安曇氏がその宰(ミコトモチ=支配者)を拝した。
私的部民の安曇部を有していた安曇氏は、以後海人の宰をも兼ねる。
天孫族の襲来に当たり、海人族は安曇とアマベに分かれて、
親天孫・反天孫の両側にヘッジしたらしい。
戦国時代の真田家を連想するが、真田の本家たる信濃の海野・滋野氏も根源は安曇氏であろう。
イスラエル族の特色たるヘッシ策を採ったことを見ても、海人族の民族性の見当は自ずからつく。
天孫 に反抗したアマベはどうなったか。
『古事記』の応神条に「海部、山部、山守部、伊勢部を定めた」とある。
伊勢部は伊勢神宮に海産物の御贄を奉る小規模な海人集団であるが、
今も残る伊勢部柿本神社の祭神は海神系でなく、天照大神などのホアカリ系である。
伊勢部の名からしても、この宰たり得る者は、イセの社にホアカリを祀ったアマベ以外にはあり得ない。
アマベの一部は伊勢部の宰となった筈である。
海人部の宰となった安曇連(宿禰)は、海直(アマノアタエ)と改称し、
この結果アマベとアマが併存して紛らわしくなった。
山守部の宰の山部氏が延暦4年に山氏と改姓した例と似るが、
安曇連の場合は自ら海直と改称することで、敵方に回っていたアマベの遊民を吸収し、
海人族の再統合を図ったものだろう。
しかしアマベの一部は海辺に行かず、山岳に入ってアヤタチとなった。
上田伝承が「アヤタチ トハ 怪立 ト書ヒタル由。
ツマリ アヤタチハ 追ハレル者ノ中カラ 選リスグッタル者ノ 集団デアル由。
ヘキ地ノ海二行カヅ 山中ニ 入ッタノデアル由」と語るように、
海人の中から選抜された者が山中に入り、伝統の錬金術を修めて天孫族に対抗し、アヤタチと称した。
怪しく(本性を晦まして)立つ(生き抜く)ことを原則としたので、
これを漢字にすれば「怪立」となる。
上田伝承のアヤタチ説により、図らずも明らかになったのが謎の民サンカの由来である。
  (中略)
日本に渡来したアマベは、海民のために沿岸適地に海部郷を設け、
稲作民のために各地にイセ集落を建設した。
東征軍に反抗したためイセ集落を焼かれ、アマベの多くは僻地の海辺に逃れたが、
一部は丹波山中に入ってアヤタチと称え、ショケンシの子弟を訓練して諜者(スパイ)とし、
同族の勢力維持と天孫族への対応を図った。
上田伝承は、モノノベもウサ(秦氏)もアヤタチの基となったと言うが、
同種族とはいえ、東征軍と戦い降伏したモノノベや天孫族に味方した秦氏が、
直ちにアヤタチ活動に加わったとは考えにくく、
これは年を経て、アヤタチの地位が変化した時と思う。
三角がアヤタチ(乱破)はサンカの頭領と説くのに対し、
上田伝承は「アヤタチ(怪立)とはアマベらが錬金術を修業する時の名前」と伝える。
両者のアヤタチの観念は同じでないが、統一的な解釈も可能で、その根底には次の考え方がある。
1)雲南の水稲農民が長江を下り、江南の海岸で越の海民と混淆して農耕漁労民となった、
これが倭人。
2)江南の海辺に流移したアマベは、ここで倭人の指導者となり、
倭人を率いて日本に渡来した。
3)ショケンシは雲南以来、倭人の周辺で倭人と共生してきた山岳民族である。
上田伝承では、正しい発音はサンカァで、サンワとも言う由である。
サンカなる呼称が文献に登場するのは意外と遅く明治初期らしいが、
新造語ではなく戦国時代の「乱破」「突破」に通ずる古語らしい。
隠語性からして少数派を指すもので、
人口の多数を占める倭人側から呼んだ語と見るべきである。
なお、「山窩」は当て字らしいが、山中で錬金術を修する行者の隠語ならば
山窩の当て字は却って相応しいと思う。
山窩とは誰を指したのか、その答えは既に出ている。
丹波穴太村の上田家の血を引く外科医・渡辺政雄は
「ウチラはアヤタチの家柄」と言い、同じく上田の血を引くと称する月海黄樹は
著書『秀吉の正体』において、自ら山窩の血筋と明言している。
これからして、山窩とは本来アヤタチを指したことは明らかである。
ところが、山窩(アヤタチ)がショケンシを統率する様を外部から見た者が、
これを一体視し、その結果、山窩の観念が拡張し、
世は山窩といえばむしろショケンシ(諜者・スパイ)を意味するに至ったものと思える。
山窩には「地山窩」と「上田山窩」の別があるようで、両者は対立観念と見たい。
前者の正確な意味は分からないが、後者はアヤタチの血筋が
アマベから秦氏(上田姓)に交替したことを意味するのではないかと思う。
ただし、応神政権は列島統治のスタッフとして、朝鮮半島から多数の秦氏集団を招聘した。
これは秦氏(実は呂氏だと思うが)が率いた交易・技術民で、
その構成員は秦人と称する雑多な人種であった。同族でもアマベと異なり、
秦氏が天孫族と親和したのは、半島時代すでに民族的共生関係にあり、
交易・生産に携わる秦氏の用心棒を天孫族の辰王が勤める関係が成立していたからであろう。
天孫族と秦氏は日本でも共生し、前者は政権を確立し、後者は商権を握った。
天孫族と組んで経済権力を確立した秦氏は、やがて同族のアマベとモノノベを併呑、吸収していく。
その際、アヤタチがアマベから秦氏に交代したものと考えるが、
理由はアヤタチが上田姓を名乗ることである。
そもそも上田姓は信州上田の地に因むもので、養蚕・機織に関連した苗字であり、
真の出自は秦氏と思う。
秦氏は宇佐から東遷して西京・太秦(うずまさ)を拠点にしたが、
分派は更に東行して相模の秦野を経由し、信濃の上田に至る。
この地こそ秦氏が開いたシルクロードの東端で、
明治時代に唯一の高等蚕糸学校を置いた所以である。
秦氏の一派は上田の地で反転、西帰して丹波穴太村に移り、
アマベの家系に入ってアヤタチとなった。
その際、姓として故地に因む上田を称したと見れば、
上田山窩とは「本来のアマベ系ではない上田系の山窩」を意味をすることになる。
時代が変わり権力が天孫族 から諸豪族に移るにつれて、アヤタチ活動も成果を生んだ。
秦氏(上田氏)がアヤタチに就いた時には山窩も権力側の一端を占めていたが、
アヤタチ上田氏が独自の経済能力で、その地位と力を更に高めたものではなかろうか。
傍証として酒造業のことがある。『吉薗周蔵手記』には
「江戸時代の酒造業は、サンカの名主級の特権として許された」との伝聞を記すが、
ここでサンカとは本来の語義たるアヤタチを意味する。
酒造業といえば松尾大社を祀る秦氏が代表で、酒造特権を有するサンカの観念は
アマベ・モノノベではなく、
特に秦氏と結びつくことになる。
それに加え、酒造特権を江戸幕府から得たこと自体が、
当時、山窩が到達した地位と権威を自ずから物語っているのである。
  (中略)
「『竹内文書と月の先住宇宙人』によれば、日本國の裏支配を行う闇の権力者は
下鴨神社の裏神官大烏であって(注:=大宮司=裏天皇の一人)、
出雲勢力とつながる龍蛇霊だと考えられるからです。
大烏(オオガラス)とは神武天皇の東征を道案内した八尺烏(ヤタガラス)であり、
イスラエル民族の祭祀族であるレビ族の長であると飛鳥昭雄氏は語ります」
「クズシリ、クズコ、ムレコの各親分(やぞう)として上記下鴨神社の大宮司、
鎌倉八幡宮の大宮司、熱田神宮大宮司の曾孫の
広瀬祐也(フリーメーソン33位階)の3人がサンカの頭領のアヤタチで、八咫烏の秘密結社で裏天皇。
その上に大親分(おおやぞう)の大烏(おおがらす)がいる。その名前はKであろう。
ロスチャイルドもロックフェラーも、Kの使用人
(ミスカシ(透破)とツキサシ(突破)という使用人)である。
明治政府はサンカを河原乞食と蔑み、神代文字を遠ざけた。
現代日本も自虐的に扱われている。あたかももう終わりのように。
支配者は奴隷が結束しない様に奴隷間に憎しみを起こさせる問題を作る。
日本と近隣諸国との問題も同じなのである。人はそれを賎民資本主義と呼ぶ。
戦後の本当の支配者は日本人である。だからあの戦争にわざと負けたのである」
≪引用は以上≫
管理人注:八咫烏ではありませんが広島の原爆投下は間違いないといっている人もまだ多い~本人も勿論無邪気でノー天気なのだろう
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1992286.html
アメリカが始めて核兵器を実戦で使ったのは、勿論、広島だ。
1945年8月6日、ウラニウム235を使った原子爆弾「リトル・ボーイ」を投下、
9万人から16万6000人を殺しただけでなく、その後も原爆が環境中に放出した放射性物質によって人間を含む生物は殺されてきた。
その3日後にはプルトニウム239を利用した「ファット・マン」が長崎に落とされて3万9000人から8万人が殺され、広島と同じように放射線物質の犠牲者も多い~だとさ
金玉さんより~http://golden-tamatama.com/blog-entry-2365.html

ハムレットの水車小屋
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1207.html
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/919.html



2016年11月20日日曜日

歴史情報 聖書


2015/2/7
「イシュタルとイシスは同じですか?」  
それでも管理人はエルサレムのために祈ります.....エフライムとユダが一本の木になるために
バアル神の娘にアナト(アナテ)がいる。
(イシュタル神と同じ。イナンナはアッカド語でイシュタルという。
聖書には、「天后」(『エレミア書』第44章 19節)に相当するアシュトレト、 アナテ、 アシュラ、またはエステルEstherの名で登場する。イシュタルはスカーレットであり「大娼婦」(大いなる娼婦)でもあり、『ヨハネの黙示録』第17章 5節では、「大いなるバビロン」、「淫婦どもの母」と述べられている)アナトは男性たちを強く打ち据えてはほくそ笑み、殺してはじっと見つめ、喜びのあまりにその肝臓も歓喜にうち震える……彼女はその兵士たちの血の中に腰をおろした。アナテはその聖所の中で男性を大量に殺しに殺し、卓の間で思う存分に切り裂いた」 。
管理人注:イシス崇拝とはモロク崇拝のことですから左の目次にある「モロク崇拝とイルミナティ」1~9を読んでみましょう。
関連記事:イシス神殿・エジプトのフィラエ島
http://cocoguru.fc2web.com/sub3e1.html
金玉先生がイシス信仰を語る~元ゴールドマンセックス証券出身ですからね,
是非 頭狂害酷誤大学や頭狂大学やそして狂徒大学の狂呪になって欲しい。生徒はキチガイ限定!
http://golden-tamatama.com/blog-entry-1412.html?sp
関連記事:東方の3博士の礼拝
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/147.html
そうすると3人の王(賢者)とシリウスとの関係はどうなっちょるかというと
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/42.html
「東の方から」とは東方の星で最も輝く犬座のSIRIUS(シリウス)を指している。
この星は12月24日にオリオン座の三つの星と直線(これが十字架)に並び,この三つの星は「三人の王」あるいは「三人の賢者」と呼ばれている。三人の王とシリウスは12月25日の太陽の昇る位置を指している。だから三人の王が東方の輝く星に誘導され太陽の誕生(日の出)を訪れる。
管理人注:古賀茂明や小沢一郎のような政治家が100人いればと思うでしょ?......
弁証法的に言えばそんなのが100人いたら日本は滅びるのです。
正義感が全てを滅ぼす~国家の品格の著者藤原先生は以下のように言っています....
「真のエリート」の必要性とは
国民は永遠に成熟しない。放っておくと、民主主義すなわち主権在民が戦争を起こす。
国を潰し、ことによったら地球まで潰してしまう。
それを防ぐために必要なものが、実はエリートなんです。
真のエリートというものが、民主主義であれ何であれ、国家には絶対必要ということです。
この人たちが、暴走の危険を原理的にはらむ民主主義を抑制するのです。
・・・
真のエリートには二つの条件があります。
第一に、文学、哲学、歴史、芸術、科学といった、何の役にも立たないような教養をたっぶりと身につけていること。
そうした教養を背景として、庶民とは比較にもならないような圧倒的な大局観や総合判断力を持っていること。これが第一条件です。
第二条件は、「いざ」となれば国家、国民のために喜んで命を捨てる気概があることです。
この真のエリートが、いま日本からいなくなってしまいました。
注:これは暗記教育の弊害です。
思考型にしないとだめです。
人材から人財にしないといけません。
武士は死して名を残し,虎は死して皮を残すというが,
ひとり愛国陣営の徒のみは,名さえ残さぬのみか,汚名さえ着せられて逝く覚悟に徹さねばならぬ。<渥美勝>
管理人注:渥美勝氏はアッシジのフランチェスコに例えられる。
武蔵「独行道」21か条
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/735.html
マキャベリ式経営術
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/108.html
世紀の計算ミスとイシス神殿!!
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/2902
2014年に始まる天の徴(しるし)
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/738.html
キューバのカストロが第三次大戦を語る
http://orangeapple01.blog62.fc2.com/blog-entry-2203.html
イガエルヤディンの発掘調査
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/617.html
山本七平氏著「聖書の常識」によると,<たとえばヨシュア記第十一章の,ヨシュアによるハゾル攻略記事の「その時ヨシュアは引き返してハゾルを取り,剣をもって,その王を撃った。ハゾルは昔,これらすべての国々の盟主だったからである。
ただし丘の上に立っている町々をイスラエルは焼かなかった。
ヨシュアはただハゾルだけを焼いた。」という記述が実に正確であることが,
有名な考古学者イガエル・ヤディンのハゾルの発掘で明らかにされている。
さらに下がってダビデ王時代ともなると,
彼がエルサレム攻略の時利用した水汲み用の杭がそのまま残されており,
またヒゼキア王の水道には,今も清々と水が流れ,聖書の記述の通りなのである>.....
とは言ってもヤディンはお抱えの考古学者でありアシール地方の発掘調査はしていない。
すれば殺されるとでも思っているのだろうか?砂漠を掘り返しソロモン神殿が出てきたら全ての歴史がひっくり返るからだ。
第一神殿の所在地?が出ていますね~画像をクリックすると綺麗に見れます
イエズス会の紋章~紋章の上に十字架
キリスト教とミトラ教の共通点
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/685.html
もう一人の役者(蛇)を登場させる意味
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/684.html
アシール地方と聖書の世界 その1
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/610.html
アシール地方と聖書の世界 その2
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/611.html
アシール地方と聖書の世界 その3
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/612.html
アシール地方と聖書の世界 その4
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/613.html
アシール地方と聖書の世界 その5
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/614.html
このようにして,かつて地方神であったいくつかの神が,新たに立てられた地上の専制君主の表章を身につけ,
ついでそれらの表章が意味するところの,独占的排他的な支配権を目ざして競争する。
そして最後に,競争者のうちの一人がほかの競争相手を滅ぼして,”唯一まことの神”として崇拝される資格を確立する。
それがキリスト教なのです。
勝利を得たキリスト教のパンテオンにおいて,マリアの,神の偉大なる母への変貌という形で,
キュベレやイシス(ISIS)の姿が再現しているし,また戦うキリストのうちにミトラなどの面影が認められる..............
なぜキリスト教は,ユダヤ教の,神は愛であるという洞察を承認し,宣言した後に,それと相容れない,
ユダヤ教のねたむ神の概念(注:参照)をふたたび取り入れるようになったのか。
それ以来絶えずキリスト教に大きな精神的損害を与えてきたこの逆行は,
キリスト教がカイサル崇拝との生死にかかわる争いにおいて勝利を得るために支払った代価であった。
教会の勝利によって平和が回復されたのちも,
互いに相容れないヤーウエとキリストとの結びつきは解消するどころか,かえって一層強化された。
勝利の瞬間に,キリスト教殉教者の非妥協的態度が,異教や異端を迫害するキリスト教会の不寛容に移行したのである。
(注:特に13世紀のスペインで顕著であった)
 (注)「あなたはわたしのほかに,なにものをも神としてはならない」(出エジプト記第20章3節)と命ずるねたむ神の意味。
出エジプト記はモーゼの五書の一つですがやたらシュメール神話のパクリが多く
五書そのものが継ぎ接ぎだらけのもので100年先の王が出てきたりする。
もっともモーゼは架空の人物ですからお化けが書いた五書と言ったら言いすぎか?
出エジプト記の謎を解く
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/2125
旧約聖書の記述は殆どが嘘だった~
上のアシール地方と聖書の世界を読むべし=ということはカナンの地(現パレスチナ)は契約の土地ではなかったということで
イスラエルはそれがバレることを恐れている。
神に対しても畏れている。ヤーウエとはアシール地方の火山の神なのです。
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/2697
そんでもって統一宗教を目指すキリスト教,だとさ。
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/925.html
教えてGoo!
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/3232261.html
関連記事:イシュタル(ISIS)の怖いお話
ユーフラテスの畔の四人の天使
http://megalodon.jp/2009-0318-0308-20/angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/307.html
OUT OF EDENは終了しました
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1.html
百科事典では
https://kotobank.jp/word/%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%83%AB-30678
何だと思ったら.....指輪だった
http://bluemoon-ss.com/dm-isis.htm
この画像の関連記事:
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/42.html
イシュタルとイシスは同じ神を指しているのですか?
質問者:eurekamazeltov
質問日時:2007/08/06 14:25
メソポタミア神話のイシュタル。
ローマ帝国内で最も崇められたエジプト神話のイシス。
メソポタミア神話のイシュタルとエジプト神話のイシスはとても発音が似ていますね。同じ神を指しているのでしょうか?
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この質問への回答は締め切られました。
回答者:kigurumi
回答日時:2007/08/07 10:27
イシスはギリシャ方面でそう呼ばれており、エジプトではアセトなのだそうです。
エジプトは、中東や地中海方面も勢力下においていた時期があっので、
地中海方面にもエジプトのアセトが伝わったのだと思います。
イシスという名は恐らく、流出や維持という意味を持つ asheshに由来すると思われ、
それでイシスの像は子供に授乳する形になっていると思われます。
というわけで、イシスは維持の相が強い。
が、双子の姉妹にネフティスがいる。
彼女は生と死を司っているが、恐らくイシスの別の相だと思えます。
別名にすることで、切り離し、維持を願い、維持を司る相であるイシスの名を拝んだんだと思います。
イシュタル。
イシスは良妻賢母型ですが、イシュタルは、聖書では「バビロンの大淫婦」と呼ばれている。
バビロンの聖典では「緑の牧草を芽生えさせたもう御方、人間達の女王よ 万物を創造され、
生きとし生けるものを正しく導きたもう御方、母イシュタルよ <中略> 
おお わが神よ 我にわが行いを知らしめたまえ、我に休息の場所をもたらしたまえ。我が罪を許し、我が面をあげさせたまえ。 
おお 崇むべきお方よ、救済と生命と正義をくだされたまい。」となっている。
なんかターラと同じ概念ですね。
ちなみにターラは日本では摩多羅神になっています。
その祈祷文がユダヤ教でちゃっかり利用されているのですが、
祈祷文は借用したが、その祈祷文が捧げられた神を悪く言っている。
何故かと言うと、
イシュタルの地上の体現者とされる神官たちは、権力者に女神のパワーを授ける聖婚の儀式として、性交をしていたからなんですね。
日本においてもその制度がありました。
そしてその女神の体現者たちを「神殿娼婦」と呼んでいたんですね。
何故そのような儀式をやるのかその意義を知らないと、
神殿にお参りにやってくる人を「ねえ おにーさん あたいと遊んでいきなよ」と客引きする売春婦 と間違われる。
聖書でも神殿の近くに住んでいた娼婦に助けられた とあるが違う。
誰とでも寝る売春婦じゃない、神官に助けられたわけです。
でも、イシュタルは売春婦制度のボスのように思われてしまい、イスラエル人には大淫婦と呼ばれてしまったわけです。
で、ギリシャ語でヒエロスガモスという言葉がある。
女神との婚礼を指す。
女神に選ばれた王は、女神のパワーを得るため、女神の地上の体現者と寝るわけです。
で、地上は緑に覆われ豊穣となりお祭り騒ぎ。
しかし、王がパワーを失うと、女神の力の復活を願い、王は処刑され、その血が大地に流された。
その血を吸って女神が復活する。
だから女神は王の死にも関わるので、ある意味恐ろしいわけです。
このような思想があるので、イエスの処刑にマリアが立ち会ったという話になったんだと思います。
4世紀頃でローマ・ギリシャ方面からイシス崇拝が消えましたが、実は消えたのではなく、マリアという名前に変わっただけ。
イシュタルの話はイナンナをベースにしており、ヒッタイト人はイナンナをイナラスと呼び、
ハッティ族の国は、彼女は毎年処女性を回復し、プルリ祭りのとき、聖王の花嫁になる とした。
このプルリの祭りはユダヤ人ではプリム祭りになり、
聖王に選ばれた男性は、女王の城または塔に閉じ込められ、定められた日時に殺された。
何故なら女神が土地を肥沃にする際に、彼の血を役立たせるため。
だそうです。
イエスの話になったとき、動物ではなく人間の中の選ばれた王を女神に復活に利用したってことになったのかも。
実際に殺したのではなく、古代の概念に空想上むすびつけて話を作っただけだと信じたいです。
プリム祭りとなったエステルの職業って。。。。女神の地上の体現者 つまり神官だったのでしょうか。
イシスには破壊の相が無い。破壊の相は別な名前になっている。
イシュタルは三相ある。
マリアににも三相ある。
ギリシャの女神も別々な名前になっているが、多分統合すると一神にだと思います。
ところでイーシャと聞けばアダムを想像します。
イヴはカインが生まれたとき、「神によりイーシュを得えた」と言ったとか。
これを「神により男の子を得た」と訳してあるんですね。
イヴの誕生の時 アダムはイヴを「彼女こそわが骨の骨、わが肉の肉。男(イーシュ)から取ったから、女(イシャー)と呼ぼう」
と言っている。
今調べたら、ヘブライ語で男女はイーシュ、イッシャー(エッサ)。
イッサといえばイエスですが、、、、
男・女というのが本来の意味じゃなく、なにかの概念のようですね。
でも 今のところはそれ以上はわからず。
イシスもイシュタルもどちらも大地母神です。
元々は、同じ神(シュメールのインナン)だと思えますが、ローマ時代以降、特にキリスト教が国教となってからは、
イシュタルが悪魔(アスタロテ)となってゆくのに対し、イシスは聖母(褐色のマリア)となってゆきます。
出生は同じでも、育ちが違うため、全く別の神といってもよいかと思います。
なお、ギリシャ神話のディメテルやアルテミスなども同じ出生だと思われます。
こんにちは。
イシュタルとイシスは「同じ神」ということはありませんが、起源を同じくするものと言われています。
元を辿るとこれらの地母神はシュメールの「イナンナ(イナルナ)」に突き当たると言われ、
オリエントに共通する豊饒の女神だそうです。
イナンナがバビロニアに伝わったものがイシュタルで、
伝播していく中でフェニキアの「アスタルテ」やギリシャの「アプロディテ」、
そしてイシスなど各地方で崇められる女神となっていったと考えられています。
根っこに共通する部分もありますが、それぞれの別の神話体系に組み込まれていったので、
時代が下るに従って固有の特徴や神話を持つようになっていったようです。
聖母マリアがイシスとは本当ですか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14111310554
聖母マリアがイシスとは本当ですか?もっとその件について詳しく教えてくれません...
hijinkessou0606さん
2013/8/418:55:24
聖母マリアがイシスとは本当ですか?もっとその件について詳しく教えてくれませんか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%82%B9
補足皆さん回答ありがとうございます
http://takao-sato.seesaa.net/article/253841467.html
イシスが悪魔とは本当ですか?
このサイトに書いてます
どう思いますか?
管理人注:イシスとはモロク崇拝のことです。以下の連載記事を読みましょう。目次にあります
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/885.html その1~10まで
この質問は、活躍中のチエリアンに回答をリクエストしました。
rishorusさん
2013/8/713:34:26
「類似点がある」のは否定しません。しかし、両者が「同じである」か否かは、必ずしも明らかではありません。
http://www.academia.edu/1954926/Divine_Mothers_The_Influence_of_Isi...
この論文では触れられていない文献学的な問題を一つ挙げておくと、
エジプトのキリスト教父はかなり異教的要素に神経質で、
例えば豊穣祭における(ディアナ神やディオニソス神と結びついた)乱痴気騒ぎを口を極めて罵っています。
ところが、それだけ異教的要素に過敏なエジプトのキリスト教父が、
マリア崇敬については特に何も言ってないんですよ(実はクリスマスもです)。
マリア崇敬が問題視されるのは5世紀になってからで、しかもシリアの神学者の主張です。
同じ頃に北アフリカでドナトゥス派という超厳格派(厳格すぎて後に異端宣告される)がありましたが、
この派もマリア崇敬にについては特に何も言ってない。
だから上の論文にもありますが、たぶんマリア崇敬自体はキリスト教内部から出てきたもので、
外面的には同じ文化圏の様々な宗教のものに近くなった、と考える方が辻褄としては合います。
なお、たぶんですが、キリスト教はまず都市部に布教され、初期の信者というのは田舎から買い付けに来る行商人であったと思われます。
彼らは、都市部ではキリスト教に「安全祈願」をしますが、田舎に帰ると伝統的宗教に戻る。
そういう二重生活を送っていたかもしれません。
これは、ゲルマン地方で実際に生じたことですが。
そうなると、教会堂にキリストと土俗神の両方を祭ったりもするわけですよ。
そういうのに対し、教会側はかなり敏感に文句を付けています。
そうすると、土俗神の「良い属性」がキリストに移し替えられ、土俗神の方は悪魔化していくわけですね。
でも、こういう経緯みたいなのは、少なくとも初期のマリア崇敬には確認できません。今のところ。
そういうわけで、この話はそんなに『容易な話』ではないし、
『自己完結』して『客観的に学ぼうとしない』のはカトリック憎悪に燃える宗教者の方と言わざるをえません。
あと、mithreams さんも、いつまでオカルト系の主張を並べ立てるのですか。
語源推定や比較宗教というのは、そういう風にやるものではありません。
あなたのやり方は日ユ同祖論と何も変わりませんよ。
別に専門知識がなくとも、普通に知性を働かせれば分かりそうなものですが……
何でそういうのに引っかかってしまうのだろう。
【補足】イシス神は(神話にもよりますが)創造神である太陽神ラーの娘であり、古代エジプトの王権の象徴たるホルス神の母です。超偉い女神様ですぜ。
モロクと結びつけるなんて、与太話も大概にせえよ、という感じです。
質問した人からのコメント
2013/8/8 18:23:25
感謝 ありがとうございます 大変詳しくて納得しました
みなさんもそれぞれ詳しくてこのカテゴリーはすごいなとおもいました
みなさんありがとうございます
また機会があったらお願いします
Yahoo!検索で調べてみよう
mithreamsさん
2013/8/500:19:46
イシスというのはエジプトの女神ですがむしろ
イエスの起源がその子のエジプトの男神であったことが密かな話題ですね。
http://www.stellarhousepublishing.com/christinegypt.html
私の質問にありますがイシスの別名 Meri ⇔ Mary(マリア)
などの類似もあります。
_________太陽神 Heru (Har)___________Jesus__
母親)...............Meri.................................Mary
養父)...............Seph................................Joseph
受胎告知).......天使によって.....................天使によって
目撃者).............3人の王........................3人の賢者
出生後の危機) ヘルトによる暗殺..........ヘロデによる暗殺
洗礼の場所).....エリダヌス河.................ヨルダン河
洗礼者).............洗礼者アヌプ...............洗礼者ヨハネ
死に方)..............十字架での死..............十字架での死
このヘルの十字架はファッション界でも有名。
アンク(エジプト十字)で検索すると出て来ます。
今もエジプトのルクソール神殿へ行けば前18世紀の
"受胎告知""賢者歴訪"などの壁画を見ることができます。
http://2.bp.blogspot.com/_z90NuHtm3qk/SZ3lp7Xv6-I/AAAAAAAAAH4/oM-zX...
paper_fluteさん
2013/8/507:55:21
キリスト教が、父性的な愛に加えて、母性愛を必要としていたためでしょう。
人は両面の愛によって心が深いところで落ち着くのではないだろうか。
カトリックの私がいうのもおかしいが、
カトリックのマリア崇敬は、"ユダヤ教からみれば"異教的です。
また、新約聖書の中では、ルカ福音書のはじめ、ヨハネ福音書の19章26・27節あたりに僅かにみられるだけ。
したがって初期キリスト教の思想や信仰とも違う可能性が高い。
しかし、AKBの大島のファンが板野ファンではないのと同じ。女だからなんでもいいわけではないでしょう。
マリアはイエスの母だからキリスト教徒に慕われた。そこが大切です。
蛇足。ルカ福音書のはじめは、ゼファニヤ書(娘シオン)の文学形式を利用しています。
神の救いを「待つ」ユダヤ教徒の、そしてまた、神の御こころを受容するキリスト教徒の模範として描かれています。
神学的には、マリアを受容、忍耐、救済を待つ象徴として描かれており、一概に異教的とはいえないでしょう。
この面では、ユダヤ的ともいえます。
そして、そこに民衆の素朴な心理がかさなったのでしょう。
cavazionさん
2013/8/421:40:24
本物の「イエスの母マリヤ」は、もちろん、ただの昔の一信仰者です。
しかし、カトリック教会(および正教。ただ、カトリックのほうがより強烈に見受ける)に於ける「聖母マリア」「神の母マリア」に対する「崇敬」は、エジプトのイシスをはじめとする、古代中東・地中海地域の女神(大地母神)信仰の影響で成立したものであると、容易に推定できます。息子のホルス神を抱くイシスの像など、イエスを抱くマリア像と同じです。ほかに、バビロンのイシュタルや、カナンのアシュタロテ(←聖書で名指しで厳禁されている)、エペソ(エフェソス)のアルテミスやアナトリアのキュベレイなどが考えられます。キュベレイ神殿の跡に建てられたローマの「サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂」など、かつての女神の聖地がマリア信仰の聖地に変えられている例も見られます。
これらは文化的に見れば「宗教混淆」「習合」ということになりますが、霊的に見れば、キリスト教会を蝕むための悪魔の策略です。女神を「イエスの母マリア」に巧みにすり替えることによって、聖書が厳禁する偶像礼拝を教会の中枢に取り込ませたのです。
聖母マリア崇敬は、幼子イエスの保護者としてのマリアを強調することによって、神であり王の王であるイエスを貶め、マリアを「神の母」と呼ぶことによって、神ならぬものを神より上位に置こうとするものであり、
これは神への冒涜にほかなりません。
そしてマリアに捧げられた「天の女王」という称号は、『エレミヤ書』でイシュタル女神の別称として言及されているものであり
(その箇所では「天の女王」を信仰する者は厳しく断罪されています)、
マリア崇敬の本質が女神への偶像礼拝であることを如実に物語っています。
rishorusさん
自己完結して客観的に学ぼうとしない、のは「今の」「一般人」カトリックの人ですよ。
古代教会のマリア崇敬の流れを歴史的文献的に学んでるカトリックの一般人、いませんて。
ほとんどの人は「イシスって誰?」でしょう。
私の下の回答者さんなど「デマです!」断言したあと「天使祝詞を」ですよ。
思考停止は間違いない。
プロテスタント(主に福音派)だって「マリアは悪魔」だとか「バビロンの淫婦」だとか言ってますが、
こっちも学んでるとはとても言えないですからな。
いやわたしゃ別にそれでいい、と言ってますがな、
信仰は思考とは別だし、信教の自由はある。
自己の脳内信仰でとどまってる以上、信教の自由です。
問題は自分の信じるモノを他者に強制することですよ。
マリアはえらい人だから祟られるよとまで言って、
関係ない人にまでマリア崇敬を押し付ける態度が問題なんです。
ここにはイシスもマリアもヘチマもない。あるのは「俺=俺が信じるカトリック教会が正しい」それだけなんだ。
脳内を越えて、他人に信仰の内容を押し付ける以上、それはsocietyの話だ。他者の信教の自由を侵害するある意味立派な「社会の害悪」ですよ。この「社会」と言う概念が欠落あるいは洗脳によってぬぐい去られると(エホバのように)上の教えなら反社会的な事をやっても問題がない、となって、やがて爆弾もって突っ込んじゃうんだよ。
そういえばThere is no such thing as society と言った人も独善的でありましたよ。
マリア=イシス説についてわかりやすく書いたサイトが昔ありました(今もあるかどうかは?)
興味があれば検索すればでるのでは。
真偽ど返しで面白かった記憶あり。
ただしカトリックの人にマリア=イシス説を追求しても「違います」で終わってしまい、攻撃にはならない。
既に目に信仰の膜が張っているから、客観的に学んでみようとも思わない。
マリアは天の元后、で自己完結してそれ以上のインフォメーションは欲しくない。
私の下の人↓は好例ですね。
いや別に悪いと言ってるんじゃないですよ。
信仰は起源にかかわらず、今の形で信じる人がいれば信仰ですから。
信教の自由は誰にも保障されてますからね(犯罪でない場合、他者に迷惑を及ぼさない前提ですが)
ただカトリックでない人間にも自分とおなじようにマリアを信じろと強制する権利は全くない事はよく肝に銘じてほしい。天使祝詞を唱えろと人に命令するなんて、とんでもない傲慢です。
よく読むと、下の人はキリスト教徒とは言えないですね。
Lady Gagaにマリアの祟りがあったと主張してますから、マリア教の人ですね。
>あの変な曲で、マリア様みたいな格好でメチャしてましたけど、なんだか
>あれ以来元気なくなりましたねー。わたしは、あーガガさん、終わったな。
>と思いました。それくらい、マリア様は、神聖な方ですよ。
マリアは人間ですから祟るはずはないのです。
祟ったと主張する以上、マリアを神として拝んでいるんですね。
マリア崇敬の向こうへ既に行っています。
管理人注:ミトラ教をクリックすると..........
『キリスト教とミトラ教の共通点を簡単に挙げておきたい。
【誕生の予言と目撃】
ミトラ誕生は、3人の占星術の学者たちが予言し、羊飼いがその誕生を目撃する。そして彼らは捧げ物をもって誕生を祝いに行った。これは福音書のイエス誕生と通じている。
【誕生日】
ミトラの誕生日は、冬至の日、12月25日。これはイエス・キリストの誕生日に置き換えられた。
奇蹟】
ミトラは死者をよみがえらせ、病気を治し、目の見えない者の目を見えるようにし、歩けない者を歩けるようにする。
イエスの数々の奇蹟と共通している。
【12弟子】
イエスには12人の使徒がいた。ミトラは12星座に囲まれる。ミトラ教において、12星座は12人の神に象徴される
復活祭】
ミトラの勝利を春分の日に祝うことがもとになっている。(キリスト教の復活祭)
最後の晩餐】──もとはミトラのオリンポスでの祝宴
これはミトラが天上に帰還する前日に12人の光の友たちと最後の晩餐をすることがモデルになっている。
【聖体拝領】(パンとブドウ酒)
もとは、ミトラとアポロンが催す宴席に信者一同が参加し、
聖なるパンとワインを分けてもらうことで自分たちがアポロン同様に「ミトラの友」であることを確認する儀式であった。
新しい仲間を迎えるときも、同様の儀式をした。
ミトラ教の密儀では、牛を殺して、その肉と血をメンバーとともに食べる。
これは、そのままキリスト教における聖餐の儀礼である。
ただ、食べるのがイエスの肉=パンとイエスの血=ワインであるかの違いである。
洗礼の儀式】
ミトラ教では、メンバーが水に体を浸す洗礼という儀式がある。説明するまでもなく、これはキリスト教の儀式そのままである。
【昇天と再臨の予言】
もとはミトラの天への帰還と再臨の予言である。ミトラは天上に帰る際、自分が再び復活して、光の友と一緒に歩むとの言葉を残している。
【復活の日と最後の審判】
もとはミトラ教におけるコスモスの終末に先立つ、死者の復活とその最後の審判のことである。
【最終戦争とハルマゲドン】
もとはミトラの最終戦争である。ミトラの友は最後の戦いで光の天使軍に加わり、闇の軍団と戦う。『ヨハネの黙示録』によれば、終末の日、イエスは白馬に乗った姿で現れる。同じくミトラも白馬に乗ってやってくる。
■その他の共通点
●イエスはメシアである。ミトラも救世主である。
●イエスは厩(うまや)で生まれた。当時の厩は洞窟であり、岩屋でもあった。ミトラはまさしく岩の中から生まれた。
●ミトラ教の聖なる日は、日曜日である。『旧約聖書』によれば安息日は土曜日であったが、キリスト教はミトラ教の影響で、安息日を日曜日にした。
●ミトラ教の最高司祭は「パテル・パトルム」(父の中の父)と呼ばれていたが、これがそのままカトリックの教皇の名称「パパ(父)」に通じる。(管理人注:バチカンはミトラ教の聖地跡に建てられた)

ハムレットの水車小屋
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2016年11月11日金曜日

地球のポールシフト


地球のポールシフト
書庫SF小説 第十惑星(ニピル)
2016/11/11(金) 午後 0:43
ポールシフトと地球の過去と未来
たとえどんなに科学文明が発達しても、到底人間の力でコントロールなどできません。
エネルギーの大きさがあまりにも違いすぎ手に負えるわけがないのです。
地球の此のポールシフトも、人間の知恵や力ではどうする事も出来ないと思います。
今始まりかけたばかりの地磁気の変化は、短くて数百年 長ければ数十万年かかります、
我々人間の時間感覚では、もはやその変化さえつかむ事は出来ません。
しかしどんどんと進行している事実はどうする事ともできませんよ。
その表れの一つが温暖化と異常気象で、今後ますます酷くなるいっぽうで。
ピークが何時かはいまはわかりませんが、その次に来るのは急激な寒冷化で、
やがて1万年後にはぶ厚い氷に覆われた氷河期に突入して。
数万年後に再び急激な温暖化により、一気に暖かくなり、
氷河の融解で地球上は大洪水に見舞われるのです。
そしてその後はまた温暖な気候に恵まれた穏やかな自然豊かな、
生命であふれる楽園の地球になり、そこから再びすばらしい高次元の、新しい文明が花開くのです。
但しそれは今の現代の人間ではありません、
次の文明を築くのは、哺乳類ではないかも知れませんよ。・・・ティノ

言葉の寄木細工
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みんなが幸福になれる宇宙文明の時代 - 言葉の寄木細工 - Yahoo!ブログ
プレアデス聖人ティノ
2016/4/14(木) 午前 11:39
次元上昇の時が来ました
2001年9月くらいから、地球上の人々はニビルによる影響を、かなり強く受けています。
ニビルが近づいていることで磁気圏が圧縮され、
また、太陽からの放射線による影響もあり、人々は、より疲れを感じたり、痛みを覚えたりしています。
また、緊張、不安、ストレスを感じやすくなっています。
さらには、感情が高ぶったり、敏感になることが多くなります。
しかし、なぜ、異常を感じるのかを理解している人は殆どいません。
これらの影響により、世界中で、そして身近な場所で暴力を振るったり残忍な事を行う人が増えています。
なぜ、そうなるのか。。。ニビルやフォトンによる影響を受けていることを知らないため、予防ができないのです。
ですから、心を静め落ち着いてください。睡眠を十分にとり、
影響を受けないようにしてください。
今が、このような影響から自分を守るのに非常に良い機会なのです。
主要メディアでは一切報道されませんが、
地球上には、現在、非常に多くのネガティブ・エネルギーが降り注いでおり、
人々はそれによって大きな影響を受けているのです。
毎日の事ですから、暴力行為や感情の高ぶりがごく普通の状態に見えてきます。
ニビルが地球に接近し、地球物理学的に火山の噴火、地震、異常気象 温暖化などを起こしているだけでなく、
世界中の人々に対しては精神的にも感情的にも、そして、身体的にも大きな影響を受けているのです。
ニビルからのエネルギーは、地球の通常のエネルギーを混乱させ加干渉しています。
そして地球の支配者(爬虫類種族)はニビルのネガティブ・エネルギーが地上に放出されていることを知っており、
ニビルのエネルギーを使って、陰の政治支配者が「フリーメイソン」などにより、
世界中の人々を彼等の思う通りに操作し支配しているのです。
彼等は、世界中の人々が益々暴力的になることを望んでおり、
それを口実に、さらなる急進的で厳しい方法で人々を取り締まろうとしているのです。
すでに、大勢の逮捕者を収容する強制収容所も各地に用意されています。
爬虫類種族が1年をかけて、この時が来るための準備をしてきたのです。
しかし、今、世界中の人々がそれぞれ持つ意識とタイムラインが統合し、
大きな一つの意識体とタイムラインを創っており、急激な意識のシフトが起きています。
ニビルの接近はネガティブな影響だけでなく、ポジティブな影響も与えてくれています。
ニビルの接近により、今まで標準とされてきたもの(経済的にも、精神的にも、感情的にも)が全て崩壊し、
悪の政治家たちが隠蔽してきたことが、全部白日の下さらされるのです。国民にとって正しいものが勝つ時代がようやく実現します。
今世界的に有名な大富豪や大企業 政治家 マスコミの不正が続々と発覚してます。
新しい標準を創り出していきます。今まで必要とされてきたことが必要でなくなり、古いものが全て壊れていきます。
ですから、皆さんは、恐怖を感じることなく、しっかりとこのことを意識してください。
世界は滅亡していくのではありません。世界は拡張していくのです。
個人個人が特にスピリチュアル的に成長するためには今が非常に良い時期なのです。
しかしこのような状況下でうまく対処できない人々にとっては、生きていくのも非常に難しくなっていくでしょう。
そして、恐怖心を持つ多くの人々がこれ以上耐え切れなく感じて行き詰まり、暴動がおこるなど、
社会が大混乱し、世界中に影響を与えることになります。
これは人々の「宇宙の真理を知らない」無知からくる現象です。
人々は自分が望むレベルの影響をニビルから受けるのです。
ニビルの接近により人々が受ける大きな影響は、意識をシフトさせる上で必要なことであり、
大元の神が計画したことなのです。
今3600年ぶりに惑星Xニビルの接近は神の計画の一環なのです。
よく言われるように、ニビルが完全に悪魔の星であり、地球を混乱させ、
崩壊させようとしているというのは真実ではありません。それこそ宇宙の真理を知らない証拠です。
ニビルによって、地球上の人々がこれまで経験してきた時代が終わりを遂げ、
三次元の物質的な意識から、より高い次元に統合の意識に変る時代が来たのです。
今まで、地球を支配してきた者達は、今までどおり権力を行使できなくなり、
今後は、世界の人々が「一般市民と国民」成長し、明るい未来に向けて大きな一歩を踏み出し、
お互いに協力し合い、調和を重んじる社会が到来します。。。

言葉の寄木細工
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2016年11月10日木曜日

ミタール・タラビッチ


少将というと、その上に中将や大将がいて、将官では下級クラスと思 われるかもしれないですが、アメリカ軍においての少将は、現役の階 級としては最高位です。中将と大将は米軍において特別なもので、一 時的な階級なのだそうです。
そういう人がそう言うのですから、そういうことも近いのかもしれま せん。
次の世界戦争の予言、あるいは「妄想的世界観念」のひとつの光景と して、
過去記事、
・私たちに残されたかすかな「破局の回避」の可能性のために (1): 「人類のひとりと宇宙は同一のもの」、そして、ミタール・ タラビッチのクレムナの予言 2013/03/24
の中に記しました、19世紀のセルビアのミタール・タラビッチ( 1829 – 1899年)の予言といわれるものの最後のほうの部分を抜粋し ておきます。上のリンクに全文ありますので、ご参照いただければ幸 いです。
予言と思って読むと、ちょっと恐ろしげですが、
「 140年前の老人の 妄想の世界」と思って読めば、また違った読み物と思えるかもしれま せん。
それにしても、先ほどの3年半前の In Deep の記事のタイトルが「私 たちに残されたかすかな「破局の回避」の可能性のために」だったの が今では懐かしいです。
たった3年くらいでいろいろと変わりますね。
ミタール・タラビッチ「クレムナの予言」後半部分よ り
時はすでに遅い。悪意をもつものたちが全世界を荒らし回っており、 巨大な数の人々が死に始めるからである。
人々は都市から逃げ出し、田舎に避難する。人々は十字が三つ並んだ 山を探す。その中では人々は生きていくことができる。その中に逃げ 込んだものたちは、自分も家族も救うことができる。
しかし、それも長くは続かない。
なぜなら、次にものすごい飢饉が世界を襲うからだ。
この飢饉は通常の飢饉ではない。町や村には十分に食べ物がある、だ が、それらは汚染されている。飢えた人々はそれを食べるが、食べる と死んでしまう。
怒りくるったものたちによる攻撃が始まる。
戦争が始まるのだ。
この戦争を戦う者たちは、科学者に命じて奇妙な大砲の弾を作らせ る。それが爆発すると、人を殺すのではなく、まるで人間や動物に呪 いをかけるようになる。その呪いで人々は戦うかわりに眠りに眠りこ む。
世界の果てにあり、大海原に囲まれてヨーロッパほどの大きさの国だ けが何の問題もなく平和に生き残ることができるだろう。この国では 大砲の弾はひとつも爆発しない。
三つの十字のある山に逃げ込んだ者たちだけが避難場所を見つけ、愛 と幸福に満たされ、豊かに暮らすことができる。
その後はもう戦争は起こらない。

In Deep
http://indeep.jp/anonymous-warns-world-war-3-is-on-the-horizon/






Anonymous – World War 3 is on the Horizon 2016
アノニマス – 第三次世界大戦が差し迫っている
ごきげんよう、世界のみんな。 我々はアノニマス。
この2ヶ月間、我々は一貫して、アメリカ合衆国と西側の同盟国と、 ロシアと東側の同盟国との世界的な衝突の可能性を報告し続けてき た。
南シナ海での紛争は、中華人民共和国と米国の関係に深刻な損傷を引 き起こした。
オランダ・ハーグの常設仲裁裁判所(国家の間の紛争などにおける仲 裁や国際審査を行う)は、中国が独自に主張する境界線「9段線」に ついて、国際法上の根拠がないとする判決を出し、境界線内側に埋め 立てにより築いた人工島は島ではなく無効とした。
米国は、公海において平時にはどの国の軍艦船舶も自由に航行するこ とができる、いわゆる「航行の自由」の原則の下、この領域を航海す る準備を進めてきた。
これは中国を怒らせた。
8月には、中国の国防相である常万全は、中国の人々に対して「海上 での人民の戦争に備えよ」と述べた。
米国は、航行の自由の原則の名の下に中国を挑発しようとしていると 常万全は直接的に言及した。
中国は、南シナ海上の主権を保護するための利用可能なすべての必要 な措置をとることを宣言しており、また中国は、南シナ海上の防空 ゾーンを設定する権利を持つことが明らかになった。
中国はそれ以来、自国の核兵器の配置とテストも行い続けており、そ して、ロシアとの海上での軍事演習を計画している。
米国は、中国が大陸間弾道ミサイルをテストしたことを確認してお り、これは 30分以内に世界のどこに向けて発射することも可能なもの だ。
南シナ海から離れて世界を見ると、シリアに至る。
シリアの内戦が、米国ロシア間の代理戦争であることは今では公然の 秘密だ。
ロシアは、シリア政府の要求に応じて物理的に内戦に介入している。
米国は、公然とシリア国内の反政府勢力に武器を供給しており、シリ ア政府を転覆する計画を、やはり公然と行っている。
ロシアが昨年シリア政府に招かれて以来、戦争はシリア政府に有利に 展開し続けている。
このように、米国とロシア間の緊張は極めて高まっている。これほど の緊張は、東西の冷戦時代以来、最大のものといえる。
米国は、現時点では気をもみながら座っており、オバマ政権の多くの 職員たちは、シリアの状況について不満を持ち混乱している。
また、米国は、シリア内においてのロシアとのすべてのコミュニケー ション手段がなくなったことを発表した。
米国によるこの発表は、9月22から始まったロシアのシリアでの軍事 作戦の強化を意味する。
ロシアはシリア政府のためにアレッポの街を 奪還する意図がある。
シリアでの戦闘に終止符を打つための外交努力はすでに崩壊してい る。
アレッポでの作戦が継続するにつれて、ロシアは米国に対して、シリ ア政府軍への軍事行動を実行しないようにという厳しい警告を与えて いる。
実際には、シリアには多くのロシア戦闘機が駐留しており、シリア政 府軍を攻撃しようとするいかなる米軍ジェット戦闘機をも撃墜する準 備ができている。
米国務長官ジョン・ケリーは、ロシアのこれらの結果に干渉し、事態 と直面するようにオバマ大統領に促している。
ジョン・ケリーはロシアに対抗できる核抑止力を支持していると言わ れている。しかし、ケリーがオバマ大統領にこの提案をするより以前 に、ロシアはすでにホワイトハウス内の出来事に知恵を集めていた。
ロシアの国防テレビチャンネル「ズヴェズダ(Zvezda)」によれば、 ロシアは米国との核戦争の可能性に備えて、ロシア市民たちへ準備を 促した。これは、シリアにおける緊張の高まりのためだ。
そして、ロシアは、西欧のほとんどの地域での核に対応したイスカン デルミサイル(ロシアで採用されている複数の戦域弾道ミサイルの総 称)の配備を、NATO 加盟国のポーランドとリトアニアの国境に接し たカリーニングラードに移動した。
状況の様相に関して、米国防総省本部の一部の幹部たちは、とうとう 口にし始めた。これらの国防総省当局者たちは、第三次世界大戦が差 し迫っていることを認めており、それは致命的で、早い決着を見るだ ろうという。
ひとりの米将軍はワシントンでの「未来の軍隊」パネルで以下のよう に話した。
「近い将来、従来型の衝突は極めて致死性があり高速なものとなるだ ろう。そして我々は、自らのストップウォッチを持っていないだろう と思われる」
ウィリアム・ヒックス少将(Major General William Hix)はそのよう に述べた。ヒックス少将はまた、中国とロシアの軍隊はますます高度 な科学技術を持つようになってきており、米国防総省は、朝鮮戦争以 来見られたことのない規模での暴力の準備をしてていると述べた。
少将の発言はまた、軍の中尉たちによっても述べられ、(米国の)国 家間の戦争はほぼ確実だと説明した。
そして、少将は、それはあまりにも従来の戦いやサイバー戦から離れ たものがアメリカに対しての現実となっていると語り、さらに小さな 国々もアメリカに対しての敵対を始めていることを明らかにした。
我々はアノニマス。 我々は大群。 許しはしない。 忘れはしない。 待ち受けなさい。
In Deep
http://indeep.jp/anonymous-warns-world-war-3-is-on-the-horizon/

2016年11月7日月曜日

石清水八幡宮


2015/6/12
「石清水八幡宮の宮司は八咫烏か」  
現在の宮司は?~ハレとケのけじめを守りたい
http://souda-kyoto.jp/knowledge/kyoto_person/vol34.html
貞観元年(859)、行教和尚が宇佐八幡宮の八幡様を勧請して創建したのが、「やわたのはちまんさん」こと石清水八幡宮です。
京の都の裏鬼門を護る国家鎮護の社として広く信仰されてきました。
はちまんさんのある男山は木津川、宇治川、桂川の三川が合流し淀川となる水運の要衝で、数々の戦火をくぐってきました。
美しい八幡造りの本殿は、今も変わらぬ姿を見せています。
そんな石清水八幡宮の宮司・田中恆清さんにその歴史や魅力をお聞きしました。
『日本人は「ハレ」と「ケ」の区別、「けじめ」をつけてきました。
例えばお正月の初詣はハレ。
年中行事に加えて、人生における多くの通過儀礼を「ハレ」として大切に伝え守ってきました。
神社の役割の一つはこれらの「ハレ」の舞台である、ということです。
「けじめ」を大切に、人々が集まる場所としての神社を次世代に継承してゆきたいと思います』と。
ここの宮司が八咫烏である可能性は否定できない
管理人注:ハレとケの概念
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/2917
ハレとケの概念は、円環的時間論に基づいている。
円環的時間論というのは、世界は始まるが、一定期間が経ったら崩壊し、再び再生するという、時間が同心円を螺旋状のように回る世界観である。
そこには本質的な「進歩」や「発展」はない。
これに対するのが直線的時間論である。
世界は一度始まったら、もう元には戻らず、絶えず変化していき、最後は崩壊を迎えて終わるという、一回限りの一本の時間軸が延びた世界観である。
現代に棲む私たちが後者の時間論の呪縛にあることは言うまでもない。
この世界観は、実はやや特殊なものであり、ユダヤ-キリスト教の世界観(神による世界創造~終末と審判)に基づくものである。
管理人注:神による終末と審判ではなくこれを熱力学の第二法則と呼びます。
第一法則と第二法則の違いは?
http://d.hatena.ne.jp/rikunora/20101201
専制君主制は必ず滅びる
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/2913
一つの文明はスタートして1200年後には崩壊を迎えるのである。
これはヨハネの黙示録の1260日,ダニエル書の一時期,二時期,半時期に匹敵するものであろう。
つまり歴史とは一つの生命現象なのです。
さてはてメモ帳
http://blog.goo.ne.jp/beingtt
蛮族戦闘団体と文明
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/155.html
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/156.html
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/157.html
田布施システムって何のこと?
http://mimirappa.seesaa.net/article/306725432.html

ハムレットの水車小屋
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/993.html
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/43.html
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/3287
http://www.iwashimizu.or.jp/about/









石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)
〔現〕八幡市八幡高坊
京都盆地の西部、山城と河内の接する辺りの淀川左岸男山に鎮座する。
男山は淀川を隔てて天王(てんのう)山をひかえた山崎(現乙訓郡大山崎町)の地に対し、山上からは山城・河内・大和の国々が眺望される。
男山東麓の御幸(みゆき)道から一の鳥居を入ると、右手に下院(げいん)とよばれる頓宮(とんぐう)殿・極楽寺跡・高良(こうら)神社があり、
二の鳥居の手前で、東側から登る裏参道と南麓を迂回する表参道とが分れる。
二の鳥居から三の鳥居に至る右手には護国寺跡や豊蔵坊、泉坊・滝本坊(一帯は松花堂跡地として国指定史跡)など多数の坊跡がある。
三の鳥居内には鳩嶺(きゅうれい)書院があり、本殿(上院)に至るまで両側には六五○余基の石灯籠が立ち並ぶ。
「延喜式」神名帳にはみえない。「宮寺縁事抄」(石清水文書。以下同文書および「石清水八幡宮史」所引文書については個別文書名のみを記す)は、当宮・平野社(現京都市北区)・祇園杜(現京都市東山区)など、魚味を供さない社は神名帳には載せない旨を述べている。祭神は誉田別命(本地仏は阿弥陀あるいは釈迦)・息長帯比売命(同観音あるいは文殊)・比▲大神(同勢至あるいは普賢)。旧官幣大社。▲口へんに「羊」
〔草創〕
行教筆と伝える護国寺略記によれば、
大安寺(現奈良市)の僧行教が貞観元年(859)四月宇佐宮(現大分県宇佐市)に参詣したところ、八幡大菩薩が行教の修善に感応し、近都に移座し国家を鎮護しようと託宣した。
そこで京に上ろうとしてまず現在の山崎離宮八幡(現大山崎町)の地に至り、ここで再び八幡神が示現して男山に移座することを宣した。そこで宇佐宮勧請を朝廷に奏請し、清和天皇は木工権允橘良基に命じ宇佐に準じて六宇の宝殿を造営させた。翌二年、三所の御体を遷座し祭祀したという。
しかし実際のところはこの遷座後宇佐宮大宮司大神田麿に従五位が授けられたように、宇佐宮すなわち大神氏からの働きかけが大きかったと思われる。奈良時代、東大寺大仏鋳造に際しその守護神として中央に登場した宇佐神が、和気清麻呂以来関係深い和気氏、また和気氏とつながりのあった行教らと結んで新都へ進出を図ったと思われる。
ちなみに和気氏の氏寺神護寺(現京都市右京区)は宇佐八幡の神託によって建立されたと伝える。また一説に天安二年(858)清和天皇の即位に際し、宇佐使として和気氏が派遣されたが、従僧として行教が随伴したという。行教は紀氏の出で、当時そのいとこの神護寺別当真済、兄の紀夏井のほか、紀今守・紀静子(文徳天皇妃)などの紀氏によって中央とのパイプがつながっていた。
一方、男山の地は平安京にとって西南裏鬼門にあたるため鬼気を祭祀すべき地であった。承和九年(842)の変では、宇治橋・山崎橋・淀渡などが警固されたように(「続日本後記」同年七月一七日条)、京都防備のための関門にもあたる。また桂川・宇治川・木津川が合流して淀川となり、難波津(現大阪市)から瀬戸内海へ開ける古代水運上の要衝の地で、大和と丹波を結ぶ山陰道も八幡を通っているなど、水陸交通上の利点があり、対岸の山崎郷が大安寺領であったことなどから、行教に注目されたものだろう。
ところで男山には、八幡宮遷座前に石清水寺と称する寺があった。
行教はこの寺を敬い、一説に石清水の社名はこの寺名によるという。遷座後の貞観五年に秦請してこれを護国寺と改称したという。いわゆる神宮寺だが、当宮の場合神杜に附属して建てられたというより、当初より一体のものと考えられており、まず寺がありのちに僧侶によって神が勧請されたわけで、寺および寺僧が主導権を握っていた。遷座後一八年目にしてようやく宇佐宮に準じて神主が置かれるなどはその表れであり、当社が宮寺(みやでら)と称されるのは当をえている。
八幡神は能動的で時流に敏感な神であった。
奈良期以降一般に波及した神仏習合思潮は、八幡神に最も顕著にみられる。
奈良時代、八幡神は大神・比売神の二柱の人格神とされ、次いで平安初期にかけては大自在王菩薩・護国霊験威力神通大自在王菩薩と称されて鎮護国家の神とされた。
石清水遷座頃には大菩薩・大帯姫・比▲大神の三柱となり、それぞれ応神天皇・神功皇后・応神妃に比定されるに至り、皇室の祖神を祭祀する祖廟とされた(「三代実録」貞観十一年一二月二九日条)。
当宮はその成立事情から当初より賀茂社・松尾社などと並び七社奉幣等がなされていたが、延喜一六年(916)には賀茂社を抜いて奉幣第一社になり(「日本紀略」同年六月一二日条)、天慶二年(939)五月一五日には伊勢に次いで奉幣され、この頃伊勢に次ぐ第二の宗廟たる位置を獲得したようである。
〔宮寺の確立〕
貞観五年行教の甥安宗が初代別当に補され、同一八年山城国正税から年料四二石があてられた。また初めて紀御豊(行教甥)が神主に補されている。貞観年中には放生会も始められた。元慶二年(878)安宗が宿院極楽寺を創建、寛平八年(896)行教の弟益信が東寺一の長者にして当宮の初代検校に補される。益信は宇多天皇の帰依厚く天皇の出家に際し灌頂の師となった高僧。この後順次権別当・三綱・俗別当・修理別当・山上御殿司・山上入寺などが補され、長和三年(1014)宇佐八幡神宮寺の弥勒寺講師元命が石清水の別当になるに及び、当宮は弥勒時を管掌下に置くようになった。さらに永承六年(1051)には、元命の跡を継いで別当になった清成が筥崎官(現福岡市)の大検校職に補されるなど、当宮は九州にまでその勢威を及ぼすことになった。
当宮は前述のように神宮寺である護国寺が一山を管掌し、政令はことごとくここから出る。重職は僧侶が占め、神主・俗官はその下に従った。その結果、神前に魚味を供さず、内陣のことも僧侶が管し、神前読経はもちろん、内陣の装束・器具も仏式が用いられた。
検校は別当以下を統括する職で常置ではなかったが、のちには別当職を子弟に譲り検校に転じる風を生じ、勢力をもつ。鎌倉以降常置となり、検校を社務と称して一山を支配した。別当は第一代安宗からしばらくは宮寺祠官の長官として社寺務を管掌したが、のちには検校の下に属した。別当の下に権別当・修理別当・小別当などが並置され、さらに俗別当も置かれている。検校・別当と称しても、形の上だけの僧形で、妻帯しその職を世襲するなど一般寺院とはまったく異なった。
一方、承平四年(934)別当総祐が妙楽寺を創建、応和元年(961)別当観康が東三味堂を建立、天喜三年(1055)には宝殿大回廊・馬場殿造営がなされるなど山内境域も整備されていく。さらに天慶三年、天慶の乱平定を祈り朱雀天皇より封戸二五烟が寄せられ、乱平定後の同五年には臨時祭が始められた。天元二年(979)三月二七日には、円融天皇が初めて行幸し、寛仁元年(1017)には後一条天皇が行幸し封戸一○○烟を施入した。
天慶八年志多良神とも八面神・小藺笠神ともいう新たな神々が東西諸国から入京してきた。この神々の正体は不明だが、鼓を鳴らし童謡をうたい乱舞して神輿を担っ た、数千数万という大衆をつき動かして動座してきたものであった。これは平安初期以来京内の人々の間から発生した御霊信仰が展開し、その結果彼らが不安な世相から逃れて生活が安定することを願い、新しい京外の強カな神を請じ入れようとしたものであろう。さらにこの頃始まった称名念仏からの影響もあったと思われる。ともかくこの志多良神が実は八幡神の眷族であるとされ、石清水八幡に遷座し包含された。さらに当時疫神の侵入を防ぐため、平安京の四隅および畿内の十堺で、塞神を祀る道饗祭が行われていたが、石清水の地も山城・河内境として祭祀された所で(「類聚符宣抄」所引天徳二年五月一七日付官宣旨)、境内に疫神堂が設置されていた。このようにして石清水八幡宮は広く衆庶の信仰をも集めるることになった。
天元二年の円融天皇の行幸以降天皇・上皇の参詣は度々で、一代一度の参詣が恒例とされた。藤原氏も応和三年左大臣藤原実頼の初参以来、天禄二年(971)・同三年摂政伊尹が参詣、天延元年(973)右大臣頼忠が参詣している。また藤原道長と延暦寺権僧正慈忍が道長父兼家の夢告により、兼家女詮子の産んだ一条天皇の皇胤繁栄を願って建立した妙香院(康治元年八月二二日付「官宣旨案」塚本吉彦氏所蔵文書)は、当宮内にあったと考えられる。
「男山考古録」によると「日本書紀通証」は、貞観一二年宗像大神告文に神功皇后新羅出兵の折、相ともに力を加えてわが朝を救ったとあるのを引いて「宇佐男山等の宮三女神合祭神功・応神、乃称弓箭神者」と記し、つとに弓矢の神・戦勝の神として知られるところであった。このため武家の崇敬するところとなり、とくに源頼信が永承元年誉田(こんだ)八幡(現大阪府羽曳野市)に祭文を棒げて家門の繁栄を祈って以来、八幡神は武神にして源氏の氏神でもあると考えられるようにもなった。その子頼義の信仰も強く、前九年の役(永承六-康平五年)では戦勝を八幡宮に起請し、戦後報謝して康平六年(1063)石清水を勧請して相模国由比郷に一社を創建したという(「吾妻鏡」治承四年一○月一二日条)。のち鶴岡八幡宮として移祀された。
所領は朝廷などの寄せる封戸三○○余烟のほか、荘園も漸次開発寄進され、延久四年(1072)後三条天皇によって当宮領荘園が整理された時には、荘園三四ヵ所(山城国六、河内国一六、和泉国三、紀伊国七、美濃・丹波各一)を数えたが、このうち一三所が券契不分明として停止され、二一所が領掌されている。これは当宮にとって非常に厳しい処置ではあったが、これに先立つ延久二年、整理令断行の懐柔の意味もあってか、天皇は石清水放生会を貿茂祭に準拠して諸儀行幸に準じることとした。なお同三年検校戒信が初めて宮寺の年中行事を定めており、この頃までを当宮の体制確立期とみることができるだろう。
〔別当家と所領の拡大〕
 後三条天皇の次の白河天皇は仏教に熱心であったが、当宮寺にも承暦元年(1077)行幸し封声五○姻を寄せたのをはじめ、毎年三月には恒例のように行幸した。寛冶六年(1092)当宮宝前で金泥大般若経一部供養と転読を行い、また仁王講・御八講などの仏事が白河天皇の沙汰で度々行われている。境内に天永三年(1112)大塔を、大治三年(1128)経蔵を建立。この天皇の姿勢を反映して、摂政藤原忠実は天永元年宮寺に封戸一○烟を、宝塔三味院に封戸一○○姻を施入し、院近臣の駿河守平宗実は、天治三年(1126)多宝塔(駿河三味堂)を建立している。
このような白河治政下で、春日神木初入洛・日吉神輿初動座がなされ、強権となった興福寺・延暦寺衆徒による横暴が起こるが、当宮でも八幡神人の横暴が現れる。長元八年(1035)には但馬守源則理と争論し、国守の部下と闘争に及び死傷者を出して国守を訴えたのに対し、国守以下七人が流罪に処された。寛治三年の松尾社との相論の際には松尾社神殿を打ち開き、天永二年放生会御秣使等が賀茂庄(現京都市北区)で濫行の結果、賀茂神人を殺害、永久二年(1114)祇園神人と闘争に及んで双方負傷するなどの事件を起こしている。彼らの有様は天永四年四月一五日の神人衆徒の濫行停止を起請した鳥羽天皇宣命の文中に、「刀兵を横にし、甲冑をかぶり、弓箭を携え、矢石を朝夕の翫として、結党し群をなし公私の田地を横領、上下の財物を掠奪する」とみえている。
検校光清は娘(美濃局)が鳥羽天皇後宮に入り六宮(道恵法親王)・七宮(寛快法親王)・姫宮(双林寺宮)を産んで外戚となり、天承元年(1131)権大僧都に補されるなど別当家の地位を向上させた。光清は当宮別当にして宇佐の弥勒寺(および喜多院)、竈門(かまど)神社(現福岡県筑紫郡太宰府町)、大隅(おおすみ)正八幡宮(現鹿児島県姶良都隼人町の鹿児島神宮)を兼帯し、さらに孫の慶清の時には、一時当宮の管掌下から離れていた筥崎宮も領掌するなど、石清水八幡は全国八幡の総帥のごとき観を呈した。
宮寺領も延久以後再び増加し、保元三年(1158)一二月三日付の、宮寺ならびに極楽寺領の領家・預所などの押領を停止した官宣旨では、宮寺領は三三国にわたり一○○所を数え、極楽寺領も一五国三七所を数える。これら社領は、承安三年(1173)朝廷より、当宮の鎮護国家宗廟たるをもって伊勢大神宮役夫工雑事米の負課が停止されて以降それが恒例とされ、鎌倉幕府もまた宮領の地頭職を停止し武士の対捍を制止した。室町幕府も同様伊勢・賀茂・石清水の三社領は役夫工米停止とし、また段銭以下諸公事・守護役等免除の特権が与えられた。
しかしこのような当宮の拡張により、別当家では光清の二子勝清(田中家祖)と成清(善法寺家祖)が二流に分れ、鎌倉時代以降はさらに庶流に分れた。また光清頃から代々の別当・院主が、私の処分により門徒妻子眷族らに宮寺領を譲与するようになり、各祠官家相伝の家領とされるに及んで坊領を形成するに至った。
田中坊は、観音堂領(光清から美濃局に譲られる)・筥崎宮領(天承元年島羽上皇御幸の勧賞として任清が筥崎宮検校に任じられて以来田中家相伝)・宇美(うみ)宮(現福岡県粕屋郡宇美町)領(治承二年後白河法皇より慶清門流相伝を認められる)・宝塔院領(田中行清の子東竹良清が院主職となって以来竹坊領となる)などをおもな坊領とし、その荘名の判明するものは二八国八一所を数える。
善法寺坊は、弥靭寺(および喜多院)・正八幡宮領(嘉応三年成清が弥勒寺講師職ならびに喜多院院主職となり、建久元年成清から子佑清に伝えられて以来当流の坊領となった。その所領は豊前・豊後などに一一四所)・香椎(かしい)宮(現福岡市)領(建久四年八月一五日当宮一日修理の功として香椎宮領二六所を成清に与えられて以来伝領)ほか坊領も含め、四八国三一七所に達した。旧来の宮寺領のうち坊領とされるものも多く、宮寺領(極楽寺領一○所)はわずかに三六所が維持されているにすぎなかつた。
また保延六年(1140)二月二三日創建以来の社殿が焼失したが、さっそく二七日には再造の役国が、美作国(宝殿六宇、南楼一宇)・播磨国(廻廊三五間半東、南楼一宇、馬場屋一宇)・越前国(廻廊三五間西、舞殿、幣殿、馬場廊屏、築垣、鳥居、門)と決定され、宮寺は諸神一六宇の造営にあたり、同年四月二日には宝殿が成って遷宮している。
〔武家政権と八幡〕
建久三年(1192)源頼朝は「吾妻鏡」治承四年(1180)七月五日条に「恭八幡大菩薩氏人、法華八軸持者也、稟八幡太郎遺蹟、如旧相従東八ヶ国勇士」とみえるように前代の源家のあとをうけ、八幡を氏神とした。同年、先の由比郷の八幡宮を鎌倉鶴岡に移して鶴岡八幡宮とし、源家の守護神とした。
石清水に対しては寿永四年(1185)御家人らが宮寺領の年貢を抑留して兵糧米を課すのを停止したのをはじめ、同年、阿波三野田保(現徳島県三好郡三野町)を寄進し、建久元年鶴岡八幡宮焼亡後の新社殿再造の際には、新たに石清水より分霊を奉じて神殿を建造。さらに同年の初参詣以来、翌年一回、再入京する同六年には三月の臨時祭に参じ、四月には政子・大姫を伴ってと、頼家を伴っての二度参詣している。
こうして当宮は、鎌倉時代にも時の権力者と密接な関係を保ち、そのうえ武士層に八幡信仰が浸透し各地に八幡神が勧請されるに及び、所領の寄進等も相次ぐなど、 その威光はいっそう増した。
このため前代に引き続き神人の専横も現れ、弘安二年(1179)延暦寺との争論では当宮神輿が初めて入洛したが、この後も重大な争論には神輿を奉じて強訴の挙に出た。幕府は嘉禎元年(1235)五月当宮に男山守護を置き、甲乙人の狼藉を取り締ることにしたが(「吾妻鏡」同年同月一六日条)、前述の動向に歯止めをかけるに至らなかった。寛元三年(1245)には「近日宮寺、以武勇為先、以博奕為業」という有様だったので、同年九月一八日後嵯峨天皇から停止の綸旨が出され、さらに同様の趣旨の亀山院院宣が弘安元年一二月二七日に、永仁三年(1295)四月一三日にも伏見天皇綸旨が出されている。
神人はのちいっそう武装集団化した。南北朝期には、西国から京に入る関門である当地は動乱の舞台となり元弘二年(1332)六波羅探題の下知により本宮祠官らは淀橋などを警固した。建武三年(1336)大山崎(現乙訓郡大山崎町)上下神人中宛に出された南朝方阿蘇宮令旨(西明寺文書)に「為朝敵追罰被召群勢処馳参条、神妙之由」と参陣を嘉しているように武士団に混じり戦闘に荷担しており、応永三一年(1424)には幕府の軍勢に抗して闘争するほどであった(「看聞御記」同年六月一九日条ほか)。
八幡神人中最も威を振るったのは山崎離宮八幡宮に拠った大山崎神人で、平安末頃から灯油の商活動を始めたが、本宮内殿の灯油を献上し日頭役を勤仕して、鎌倉時代諸国関所の関銭免除の特権を得、さらに関料・津料免除に加えて荏胡麻油の専売権を得(弘長元年八月一一日付「後嵯峨上皇院宣」山城疋田家文書)、非常な富と力をもつに至った。別当家に対し、別当の交代を求めて強訴するなどの挙に出ることも多かった(「看聞御記」応永二九年七月一日条。)しかし応仁の乱以後しだいに衰微し、江戸時代には油市場から撤退していった。
足利氏は、尊氏が元弘三年篠村(しのむら)八幡(現亀岡市)に奉じた願文(八幡宮文書)に「右八幡大菩薩者、王城之鎮護、我家之廟神也(中略)所謂大菩薩之社壇也、義兵成就之先兆、武将頓速之霊瑞也」と述べたごとく、八幡神を氏神・武運の神として崇拝した。当宮にも検校善法寺通清に付して度々戦勝祈願をしており、暦応元年(1338)兵火で社殿が炎上した際には、すぐさま再営に着手し年内に造営を完了させている。 この精神は足利氏代々に受け継がれ、幕府が京都におかれたこととも相まって武家政権のなかでは最も当宮と親近の関係を保った。幕府は一般社寺に対しては社寺奉行を置いたが、とくに当宮には男山奉行を置いた。
義満の時、社務は将軍代始に改補と決まった。この時社務は田中家であったが、義満は生母が善法寺通清女であった縁からも当宮善法寺家に親近であった。永和元年(1375)初参以来、社参は一五度を数え、康暦二年(1380)近江国福能部(ふくのべ)庄を寄進したのをはじめ(同年六月一日付足利義満寄進状)、所領寄進も怠りなかった。また明徳四年(1393)の放生会には、義満自らが上卿を勤めたりしている。
次いで義持は応永五年の初参以来三七度も社参。別当家では田中融清が応永七年検校に補されて以来応永-永享年中力を振るい、その坊舎として棟一○○坪の檜皮屋の日本一の家を作ったという(石清水祠官系図)。応永三五年義持没後、後継者を決めるに際し、石清水八幡の宝前でくじを引き、義教に決定したが(「満済准后日記」同年一月一七日・一八日条)、融清も三宝院満済とともにこれにかかわっていたと思われる。永享六年(1434)義教・御台を饗応したが、多分の引出物を献じ、一献料一万五千疋を用意したものだったという。義教は永享五年、八幡宮縁起二巻を当宮に奉納した(昭和二二年の火災で焼失)。
室町時代の所領寄進も歴代将軍や守護大名たちからかなりにのぼった。貞和元年(1345)八幡神領は役夫工米免除の幕府御教書が出され、応永一九年には、段銭以下諸公事并守護役・人夫・伝馬なども免除する旨の御教書が出されていたが、幕府体制の弱体化とともに、これら荘園も有名無実化して当宮経済も逼塞してゆく。
そのため当宮臨時祭は応仁元年(1467)を最後に、放生会も文明一五年(1483)を最後としていったん途絶えた。
さらに永正五年(1508)社殿が焼失したが、再建ははかどらず、大永六年(1526)にようやく遷宮している。
護国寺は明応三年(1494)炎上したが、長く再建されず、延宝六年(1678)になって仮殿および護国寺薬師堂が建造された。
ところで天皇行幸・臨時祭・放生会などの勅使の行路は、一一世紀中頃前には山崎路が用いられたが、以降は山崎橋の廃止とともに、京都から島羽の作り道を経て鳥羽離宮(跡地は現京都市伏見区)から水路淀(現京都市伏見区)へのコースが整備され利用されるようになっている(中右記、兵範記)。「長秋記」保延元年八月一四日条によると、鳥羽殿より桂戸居男が船(八幡迎船)を用意し、これに乗船して淀に着いている。後年足利義持は桂川を利用し嵯峨(現京都市右京区)から直接乗船して八幡に参詣したりしている(「看聞御記」応永二六年八月一一日条)。
〔近世以降〕
織田信長は天正七年(1579)山崎で当宮縁起を見、社殿修理の令を発したが、このとき木樋を唐金で鋳たものに変えたのは有名である。
豊臣秀吉は同一二年河内国星田庄(現大阪府交野市)内一二○石の御供米料を寄進、同一六年母の病平癒を祈して一万石を寄進、同一七年灯明料二二石、社務領六○石、田中家領一○○石、善法寺家領一四○石、善法律寺領一○○石などを寄進した。
同年病母の起請のため、社殿四方の回廊も再興。豊臣秀頼は慶長四年(1599)若宮殿再興、同六年狩尾(とがのお)殿、高良社造営、さらに同一一年修造費として一千石を下行し、旧社殿をことごとく取り除き新造している。
徳川家康は江戸開府前の慶長三年当宮に参詣しているが、以後幕府が江戸に置かれたこともあり、将軍の社参はなかった。祠官家田中流の東竹甲清の孫娘は家康側室となり尾張徳川家祖義直を産み、のち落飾して相応院と称した。ゆかりの正法寺は菩提所となり、徳川家の手厚い保護を受けて領内寺院中最も栄えた。
家康は、前代より当宮祠官家間で社務職を競望して度々相論があったことから、慶長五年五月社務職を廻職と定め、田中・善法寺・新善法寺・壇の四家が順位を守り廻職することにした。
さらに八幡宮領内八郷を神領として守護不入の地とし、他の村落のように領主・地頭・代官等の制御に属さず祭政ともに社務の掌握するところとした。
また年々江戸幕府に天下泰平の祈祷札を献上するのを例とし、江戸城白書院で将軍に謁見することとした。
また同年朱印地を次のごとく安堵している。田中一○○石、壇六○石、善法寺一四○石、新善法寺一○○石、そのほか山上衆合一千二六石余、神人衆合五八三石、八幡宮領内律宗寺院合三七○石、同禅宗寺院合二三○石、同浄土宗寺院合五五五石余で都合三千一七○石余であった。のちには総高六千四九八石余の朱印地を下している。
こののち元禄期(1688-1704)頃における朱印地は、七千三○○石余になっている。神領は検地免除の特典にあずかったから、実際はこれよりかなり多かったと思われる。ほかに当宮崇敬の大名からの寄進地も若干あり、社務・社僧等の買得私有地などもあり、さらに各坊ごとに大名の祈祷所として祈祷科を寄進されるなど、従前に比すべくもないが一応安定した経済運営がなされたと思われる。とくに豊蔵(ほうぞう)坊は幕府の祈祷所であったから、きわめて富裕で、朱印地三○○石、実際はその数倍の収入であったと思われる。
幕府の後援により元和四年(1618)社殿以下の修理がなされ、寛永八年(1631)からは大がかりな大修造が加えられ、同一一年遷宮式が行われた。さらに室町末以来廃絶していた放生会・臨時祭なども復活する。
また男山詣の船運も含め、淀川を利用する船は水運の神としての八幡に結びつく要素があり、享保一○年(1725)一月の淀二十石船由緒書に「神功皇后異国御退治之御船子ノ子孫ニ而、即八幡宮神人として只今ニ御神役相勤、八幡宮ニ付候船ニ而御座侯故、古ハ八幡社務之支配ニ而御座候由申伝候」とみえている。
文久三年(1863)四月、孝明天皇の攘夷祈願が通夜豊蔵坊でなされ、天皇の当宮社参は、勤皇派に大きなはずみを与え倒幕へと進んだ。
慶応四年(1868)三月の神仏分離令は、神仏習合の代表的存在であった当宮に大変動をもたらした。神号は八幡大菩薩を禁止し、八幡大神と改称され、神前に魚味を供すべき旨が命じられ、社僧は還俗妻帯し、諸坊は往時四八坊、当時一○坊ばかりあったが廃止され、山上の寺坊等も境内地から追放された。神仏分離がさらに廃仏毀釈に進み、当宮の多くの仏像・仏具・什器類も除去・売却・破棄された。
明治四年(1871)官幣大社に列せられ男山八幡宮と改称。大正七年(1918)もとに復して石清水八幡宮と称した。社領八千六○○石余も明冶四年残らず上地され、現在境内地のみとなり二万三千余坪。
現存する摂社には本宮遷座以前から座していた地主神という狩尾社のほか、水若宮(みずわかみや)社・若宮殿(わかみやでん)社・若宮社・高良神社・住吉社・石清水社・武内(たけうち)社がある。末社には、気比(けひ)社・貴船竜田(きぶねたつた)社・一童(いそら)社・広田・生田・長田社・水分(みくまり)社・三女(さんじょ)社・大扉(おおとびら)稲荷社がある。
〔文化財〕
現社殿のうち、寛永二年造営の本殿・外殿・幣殿・舞殿・楼門・東門・西門・回廊は重要文化財。永仁三年三月日の刻名のある石灯籠と鎌倉後期の五輪塔は重要文化財。当宮社家田中・菊大路(善法寺家が維新後改名)両家をはじめ諸家に伝わった石清水八幡宮文書(三五○巻)は重要文化財で、平安時代から江戸時代末期にわたる信仰・経済・法制・人事などを知りうる貴重な史料(現在東京大学史料編纂所寄託)。ほかに嘉禄三年(1227)五月一九日書写奥書のある「類衆国史」巻第一・第五(重要文化財)がある。
〔行事〕
一月一-七日修正会・同一八日大師供(行教忌)・同一九日心経会・同二三日比▲大神国忌、二月六日仲哀天皇忌・同上卯日御神楽・同一五日応神天皇国忌・同晦日修二月会、三月午日(三午には中の午日、二午には下の午日)臨時祭・同晦日卒都婆会、四月八日灌仏会・同一七日神功皇后国忌、六月二八日蓮華会・同晦日御祓御節、七月七日弥勒講・同一五日盂蘭盆講・同二六日大堂供、八月一五日放生会、九月晦日卒都婆会、一一月一三日慈恩大師講・同上卯日御神楽・同二四日天台大師供、一二月八日仏名会など(石清水八幡宮史)。以上仏事につながるものが多かった。
心経会は「満済准后日記」応永三三年一月二○日条に「彼法印〔融清〕申云、(中略)、此神事ハ自禁裏様并武家様御幣ヲ被進、洛中災難等ヲ払ルゝ表事ニテ、自宿院北門入、南門に出テ、於厄墓(ヤクツカ)此等御幣等ヲモ焼事也」とみえ、道饗祭として行われていたものが、いつの頃からか疫神から厄神にすり替えられ、当時は厄神会が行われていた。幕府より神馬を奉ったりしたことも散見する。
これが江戸時代頃には、厄除神となり厄年にあたる男女が厄難を逃れるため参詣する風を生じ、しかもそれが主として八幡神の職能のように考えられ、
石清水八幡宮はその中心的地位を占めて大変な賑いをみせる。
現在は青山祭と称して一月一八日に頓宮前庭に斎場を設けて神事が行われており、多数の参詣者で賑う。
臨時祭は寛平四年に始まるという賀茂社の臨時祭に準拠し、天慶五年、承平・天慶の乱平定の報賽に宣命・神宝および歌舞を調進し勅使を遣して行った。
その後天禄二年から毎年恒例とされ、天元元年からは三月中午日が祭日とされた。
南北朝時代には諸国動乱のため式日が延引・中止となることが多かった。
康暦元年、応永二三年、永享三年など天皇御代始の臨時祭が行われた。
応仁元年を最後に長く廃絶したが、文化一○年(1813)再興され、明治三年廃絶した。
放生会は宇佐宮より伝わったもので、養老四年(720)豊前守宇奴首男人が、宇佐大神を奉じて隼人征伐を行い多数を殺戮したので、毎年放生会を修するよう大神が託宣したことにより始められたという。当宮での放生会について「今昔物語集」巻一二(於石清水行放生会語)には、前世にこの国の帝王であった八幡大菩薩が、その殺生を償うため行うと記される。純粋な仏教儀礼であり、神前で最勝王経を講じ法会を行い行道をなし、諸鳥諸魚を放つなどの所作が行われた。貞観五年また一説に一八年から始まる。
当初の放生会がどの程度のものかわからないが、天慶二年山科藤尾(ふじお)寺(跡地は現滋賀県大津市)に新造の八幡宮は「凡厥霊験触事多瑞、仍遠近僧尼、貴賤男女、帰依如林、輻輳成市」という有様であったが、放生会も始められ「昼則迎伶人、尽音楽之妙曲、夜則請名僧、伝菩薩之戒、飲食禄物尽善尽美、布施供養如山如岳」(「本朝世紀」伺年八月一二日条)と盛況だったから、本宮の放生会がすこぶる寂寥になったという。他の神事仏事と異なり早くから衆庶に開かれた行事で信仰を集めていたと思われる。
その後天暦二年(948)宣命使が遣わされ勅祭とされ、天延二年からは朝廷の諸節会に準じ、雅楽寮によって舞楽が行われ、延久二年から賀茂祭に準拠して神幸を行幸の儀に準じ盛大に行われるようになった。文明一五年八月一五日を最後に中絶し、延宝七年再興された。明治元年中秋祭と改称、同一七年旧儀を復して男山祭と称し九月一五日に改め、大正七年以来石清水祭とし、現在に至る。
神楽のうち二月・一一月の上卯日に行われる恒例の初卯の神楽は、寛平年間敦実親王の始行という。応仁以前に絶えたが、延宝四年に復興、明治年間に中絶したが、大正六年再興し、現在に至る。三月の臨時祭の神楽は「権記」長保二年(1000)三月二九日条にみえ、「兵範記」保元三年三月二二日条に神楽次第が詳しく載る。このほか一二月の安居神楽・高良神楽などがあった。
武内社(たけうちしゃ)
摂社の一つで、本宮瑞垣内に鎮座し、「山城名勝志」に「在本宮内殿西北隅」とみえる。同書は「社記云」として「本社内右傍坐、是行教安宗先祖也、貞観二年六月十五日行教造神殿」と記す。同じく「石清水八幡宮末社記」に「号後見殿」、「帝王編年記」に「七十八年庚寅、大臣武内宿禰薨、(中略)今八幡武内明神是大臣也」などとみえる。すなわち行教・安宗ら紀氏の祖武内宿禰を祭祀する。八幡神の後見殿として本宮内殿に祀られた。
武内社の経所について、「男山考古録」は「空円修補末社堂塔記曰」として「武内経所、不断寿命経転読也、阿波院〔土御門天皇〕御時、社務祐清承元十〔二カ〕年八〔六カ〕月廿二〔三カ〕日被始之」と記す。現在の社は寛永二年(1634)将軍徳川家光造営のもの。
若宮(わかみや)
摂社の一つで、本宮の北に鎮座し、「山城名勝志」に「在本殿艮隅」とみえる。祭神仁徳天皇。「宮寺縁事抄」に「御垂跡御遷宮之最初奉祝歟」とみえて、貞観二年(860)本宮鎮座の時、行教が祭祀したという。
「石清水八幡宮末社記」に「竜宮御腹御誕生御童形也、一宇神殿二所御坐云々、天慶六癸卯三月十一日己卯両所大神奉授従五位下、仁徳与若宮御母各別勿論也、委見阿蘇本地記歟」とみえ、また「廿二社本縁」の「石清水事」には「若宮事、応神八幡御姫三人、男子一人坐寸、其中爾若宮登申寸和、男子仁天坐寸也、若宮四所登云和、姫宮三人共仁申寸登云恵利、若宮和仁徳天皇也、即平野大明神也」と記す。すなわち八幡神が応神天皇とされることにより、その若宮も応神の子仁徳天皇とその姉妹に比定されたものであろう。
本地仏は十一面観音とされる(宮寺縁事抄)。また同書に「今案云」として、「正像早過、末法爰来、五濁乱漫三毒熾盛也、(中略)故垂跡重顕垂跡、利生弥添利生、顕若宮権現、施難思化儀」とあって、八幡若宮は末法の世になって強力な援護者として再び垂跡して利生をもたらすものと考えられている。
「今物語」には、「八幡の袈裟御子」が若宮の祟りで一人娘の目がつぶれ、神前で「おく山にしをるしをりは誰がため身をかきわけてうめる子のため」という歌を何度も歌ったところ、その場で目があいたという話を載せる。また元久二年(1205)閏七月二一日付官宣旨に若宮巫女らが若宮に虹の立ったことを注進し、「公家御慎及恠所驚恐口舌病」のことを祈請することがみえる。
若宮は保延六年(1140)に本宮と同じく焼亡、さらに暦応元年(1338)にも兵火にかかり焼亡、永正五年(1508)にも焼亡した。この後天正七年(1579)一二月一六日若宮造営事始があって再造された。その後慶長年間(1596-1615)豊臣秀頼により修造された。寛永八年(1631)破損目録の再興を請う分の中には「若宮之楽屋并経女屋」がみえる。
当宮西方に経所があり「末社堂塔記」(「男山考古録」所引)に「若宮経所、法華不断経供僧十二口、近衛院御宇社務勝清、久寿元年十二月十六日被始之」とみえる。また建久四年(1193)一二月一一日に「拝殿並楽屋始造之」ともみえ、拝殿・楽屋・経所などが附属していたが、江戸時代にはなくなっていたようである。

ハムレットの水車小屋
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/993.html






黙示録11章2~3


2015/7/4
http://metalogue.jugem.jp/?eid=465
スー君は何かを見つけたようだ~http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/94.html
ヨハネの黙示録11章2~3をスー君は見つけた。
【ヨハネ黙示録11章2~3節】
聖所の外の庭はそのままにしておきなさい。
それを測ってはならない。
そこは異邦人に与えられた所だから。彼らは42か月の間この聖なる都を踏みにじるであろう。そして私は、私のふたりの証人に、荒布を着て、1260日の間預言することを許そう。 
1260日は12-60進法を表している。
この12と60の比は1:5であり、この3角形の面積は6であるから666はピラミッドを表している可能性もある。
なぜならギザのピラミッドは三基である。それこそがNOVUS ORDO MUNDI SECLORUM 。イルミナティとエジプトの関係は記事にした。
11と46
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/985.html
関連記事:福島で凄まじい事態が発生~二年前の記事だから恐ろしい
http://satehate.exblog.jp/19790800
宇野正美氏の情報では、政府中枢部からの極秘情報で、10-20年後に日本国家の人口が5000万人に半減する!と政府内部で予測されているそうだ。
5000万人が消えるということは、東日本が事実上、無人化し人口が消滅することを意味する。
関東東北周辺の5000万の人口が消えてなくなるということである。
以前、関東地方の人々の1/2から1/3の人に「死相」が出ているという話があったが、それが全く真実だったということである。
血に飢えた化け物たち
http://search.yahoo.co.jp/search;_ylt=A2RA1CNcM5lVYHkAhWGJBtF7?p=%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=&afs=
よい子のための隠された真実
https://sites.google.com/site/uranenpyou/home/frb
赤狩りのマッカーシーは偉かった?
https://sites.google.com/site/uranenpyou/sengo-nippon
コスミック・トリガー~https://twitter.com/cosmictrigger23?lang=ja
『オカルト陰謀論にはまっていくと、人はやがて神話的広がりをもった岐路に直面する。仲間内では、これを<チャペル・ペララス>(=危険な礼拝堂)と呼んでいるが、向こう側に出る時には、全くの「パラノイア」か「不可知論者」になってしまう。別の道はない』~ロバート・A・ウイルソン

ハムレットの水車小屋
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1021.html
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/528
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/312.html
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/506.html

黙示録11章2~3


2015/7/4
http://metalogue.jugem.jp/?eid=465
スー君は何かを見つけたようだ~http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/94.html
ヨハネの黙示録11章2~3をスー君は見つけた。
【ヨハネ黙示録11章2~3節】
聖所の外の庭はそのままにしておきなさい。
それを測ってはならない。
そこは異邦人に与えられた所だから。彼らは42か月の間この聖なる都を踏みにじるであろう。そして私は、私のふたりの証人に、荒布を着て、1260日の間預言することを許そう。 
1260日は12-60進法を表している。
この12と60の比は1:5であり、この3角形の面積は6であるから666はピラミッドを表している可能性もある。
なぜならギザのピラミッドは三基である。それこそがNOVUS ORDO MUNDI SECLORUM 。イルミナティとエジプトの関係は記事にした。
11と46
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/985.html
関連記事:福島で凄まじい事態が発生~二年前の記事だから恐ろしい
http://satehate.exblog.jp/19790800
宇野正美氏の情報では、政府中枢部からの極秘情報で、10-20年後に日本国家の人口が5000万人に半減する!と政府内部で予測されているそうだ。
5000万人が消えるということは、東日本が事実上、無人化し人口が消滅することを意味する。
関東東北周辺の5000万の人口が消えてなくなるということである。
以前、関東地方の人々の1/2から1/3の人に「死相」が出ているという話があったが、それが全く真実だったということである。
血に飢えた化け物たち
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よい子のための隠された真実
https://sites.google.com/site/uranenpyou/home/frb
赤狩りのマッカーシーは偉かった?
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コスミック・トリガー~https://twitter.com/cosmictrigger23?lang=ja
『オカルト陰謀論にはまっていくと、人はやがて神話的広がりをもった岐路に直面する。仲間内では、これを<チャペル・ペララス>(=危険な礼拝堂)と呼んでいるが、向こう側に出る時には、全くの「パラノイア」か「不可知論者」になってしまう。別の道はない』~ロバート・A・ウイルソン

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2016年11月6日日曜日

予知情報 ティブルティーナの巫言

2015/11/25
「ティブルティーナの巫言」  
 シャルルマーニュ(カール大帝)気取りのオランドを逮捕せよ!!
ハムレットの水車小屋
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1087.html
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1081.html
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1057.html


by 草野巧
世界最終皇帝とは、いかにもかっこよさそうな呼称である。
個人的には、この呼称だけでも十分に語るに値すると思うが、これはヨーロッパ中世の伝説に登場する、終末論的な英雄である。
世界最終皇帝について語っている最も古い資料は、「ティブルティーナの巫言」で、四世紀中ごろに出現したという。*
管理人注:
ティブルティーナの巫言 その1
http://blog.livedoor.jp/yoohashi4/archives/51354998.html
ティブルティーナの巫言 その2
http://blog.livedoor.jp/yoohashi4/archives/51355383.html
*詩編68:31:「青銅をエジプトから持ちきたらせ、エチオピヤには急いでその手を神に伸べさせてください」(日本聖書協会1955版)
関連記事:反キリストの権化「不法の人」の正体を暴く
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1081.html
ティブルティーナの巫言 その3
http://blog.livedoor.jp/yoohashi4/archives/51357656.html
後は以下参照
http://blog.livedoor.jp/yoohashi4/archives/2007-01.html
(* このことは、マージョリ・リーヴス著『中世の預言とその影響・ヨアキム主義の研究』大橋善之訳(八坂書房)などに書かれているのだが、その翻訳者である大 橋氏のブログには、ティブルティーナの巫言に関して、「どうやら〈世界最終皇帝〉という観念は後代の改竄嵌入(とはいえそれもいまだ正確に時代を特定でき るようなものではない模様です)とされ、もともとはなかった観念だとか。」と書かれている。しかし、ここではその種の事実関係は問わないことにする。)
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タマちゃん
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フィオレの大修道院長ヨアキム
マージョリ・リーヴス著『中世の預言とその影響・ヨアキム主義の研究』大橋善之訳(八坂書房)
内容(「BOOK」データベースより)
聖なる幻視者か、異端の贋預言者か?中世後期、終末論的な預言の数々とともに繰り返しその名を囁かれた「フィオレの大修道院長ヨアキム」とは誰だったの か?
真筆を峻別し、精妙に構築されたその歴史神学を読み解く一方、それを核として紡ぎ出されたアンチキリスト、世界最終皇帝、天使的教皇をめぐるさまざま な奇想に、人びとの情念の歴史をたどる記念碑的労作。『形象の書』『教皇預言集』をはじめとする貴重な図版も多数収載。
内容(「MARC」データベースより)
中世後期、繰り返しその名を囁かれた「フィオレの大修道院長ヨアキム」とは誰だったのか。歴史神学を読み解く一方、それを核として紡ぎ出されたさまざまな奇想に、人々の情念の歴史をたどる。貴重な図版も多数収載。
その「ティブルティーナの巫言」が語るのはおよそ以下のような預言だった。
『千年王国の追及』ノーマン・コーン著・江河徹訳から引用しよう。
「それは、ローマが捕われの身となり、暴君たちが貧しき民、罪なき者を苦しめ、罪深き者を保護する〈悲しみの時〉の到来について語っている。
しかしやがて、コンスタンスと呼ばれるギリシアの皇帝があらわれ、その支配の下で帝国の東西領土が統一されるというものである。
容姿端麗で顔は輝き、背は高く均整がとれ、威風堂々たる風采をしたコンスタンスが112年間(もしくは120年間)天下を統治する。
その間は豊穣の時代 で、油、酒、穀物がおびただしく採れ、かつ安価に手に入る。
それはまたキリスト教が最後の勝利をおさめる時代でもある。
皇帝は異教徒たちの都市を荒らし、 偽わりの神々の神殿を毀つ。
また異教徒たちを召喚してキリスト教の洗礼を授け、改宗を拒む異教徒たちを剣によって滅ぼす。その長期にわたる統治の終りにあ たっては、ユダヤ人も改宗し、このことの起こるに際しては、聖書が栄光に輝きわたるのである。
22人のゴグとマゴグがばらばらに分身して、海の砂子のよ うにおびただしい数になるが、皇帝は軍勢を呼び集めて、彼らを皆殺しにする。
任務を果たしおえると、皇帝はエルサレムにおもむきそこで帝冠と帝衣を脱いで ゴルゴダの丘に置き、キリスト教国を神の御手にゆだねる。
ローマ帝国は、この黄金時代と同時にひとつの終止符を打つことになるが、すべてのものの終りに先 立って、短いながら試練の時が残されている。なぜなら、このとき、反キリストがあらわれて、エルサレムの神殿において天下を治め、奇跡を行なって多くの 人々を欺き、欺きに乗せられない人々を迫害するからである。主は、選ばれた人々のためにこの期間を短縮し、反キリストを滅ぼすために大天使ミカエルを派遣 する。かくして遂に、主の再臨の実現する道が開かれるのである。」
世界最終皇帝に関する似たような伝説は、7世紀終りに東ローマ帝国で 書かれた『偽メトディウス』でも語られている。
「ティブルティーナの巫言」ではなく、この書こそが世界最終皇帝について語った最古の書だという説もある。 それはともかく、その内容は以下のようなものである。再度、『千年王国の追及』から引用しよう。
「その冒頭部分はエデンの楽園の始めから アレクサンドロスの時代に至る世界歴史の概観に始まっているが、それから一挙に著者自身の時代に下ってくる。やがて到来することの預言という体裁をとり、 かつてギデオンに敗北して砂漠の国へ追いはらわれたイシマエル部族が、ふたたび来寇してエジプトからエチオピア、ユーフラテス河からインドへとまたがる地 域を荒らしまわるさまを描いている。これらの遊牧民はむろんイスラムの攻撃軍に味方し、キリスト教徒たちはしばらくの間彼らに服従してその罪を罰せられ る。イシマエル人はキリスト教の司祭たちを殺し、聖地を汚し、力や策略をもって多くのキリスト教徒をそそのかして真の信仰から離脱させ、またキリスト教徒 の国を次々にかすめ盗り、キリスト教徒は永遠にわれらの手中に落ちたと豪語する。
しかし――ここで初めてこの預言は未来世界に一歩を踏み入れる ことになるが――状況がさらに一段と悪化したそのとき、人々が長い間亡きものと思っていた一人の強き皇帝が、眠りをはらい除けて憤然と立ち上がる。
彼はイ シマエル人を打ち破り、火と剣をもって彼らの国を破壊し、かつて彼らがキリスト教徒の首にかけた軛(くびき)の百倍も重いものを彼らの上にかけ、また主を 拒んだキリスト教徒たちにも怒りをぶちまける。
それに続いて平和と歓喜の時代が訪れ、その間、この偉大な支配者の下で統一を達成した帝国は未曽有の繁栄を とげる。
しかしやがてゴグとマゴグの大軍が殺到し、全世界に恐怖と恐慌をもたらすので、神は天の軍勢の指揮者を派遣し、またたく間に討ち滅ぼさせる。
皇帝 はエルサレムにおもむき、そこで反キリストの出現を待つ。
その恐るべき事態が発生すると、皇帝はゴルゴダの丘の上の十字架に帝冠を架ける。
するとその十字 架は天に向かって舞いあがる。
かくて皇帝は戦死し、反キリストが天下を統治しはじめる。
しかし間もなく、十字架が人の子(キリスト)のしるしとして再び天 に現われ、キリストが自ら雲に乗り、権力と栄光につつまれながら天下って、その口の息をもって反キリストを殺し、最後の審判を行うのである。」
これらの伝説からうかがえるのは、まさに小型メシアのような世界最終皇帝の姿である。
なぜ「小型」なのかといえば、世界最終皇帝によって平安と繁栄が成就されることは確かだが、それは一時的なものであり、その後に、アンチキリストの支配す る邪悪な時代が来るとされているからである。
つまり、世界最終皇帝がいかに待望された存在だったとしても、アンチキリストにはかなわないのであり、その力 の大きさにおいて、本物のメシアとは全く異なるものだからである。
だが、たとえそうだったとしても、こうして歴史の中に登場した世界最終皇帝の伝説は、中世ヨーロッパの人々に広く受け入れられることになった。
そして、フランスにおける《第二のシャルル・マーニュ》、ドイツにおける《復活するフリードリヒ二世》のような新たな世界最終皇帝の伝説が誕生し、人々に熱狂的に語られることになったのである。
内容(「BOOK」データベースより)
本書は、十一世紀から十六世紀にかけてヨーロッパの根無し草的な貧民のあいだにあらわれた千年王国の幻想とその背後の中世社会を描いている。ユダヤ教や初期キリスト教、あるいは十三世紀の修道院フィオレのヨアキムや異端的神秘主義者たちから受けつがれた千年王国信仰が、預言者やメシア、宗教的セクトを媒介にして、現世での楽園を求める民衆のエネルギーや想像力とどのように結びついたかを、本書はドラマティックに再現する。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
コーン,ノーマン
1915年、ロンドンに生まれる。1933‐39年までオックスフォード大学クライスト・チャーチの研究員をつとめ、戦後、イングランド、アイルランドの諸大学で教鞭をとる。元サセックス大学教授。1968年に人種関係問題でアニスフィールド・ウルフ賞を受賞。2007年没
江河/徹
1926年、大分県日田市に生まれる。1962年東京都立大学博士課程修了(英文学専攻)。立教大学、フェリス女学院大学各名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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ロシア

ロシアが発表した2つの新型武器に見る未来 :「日本の国土面積の2倍を一発で吹き飛ば せる」スーパー核兵器「悪魔2号」、そし て、新しい物理的原理に基づいて設計された 正体不明の新型電子兵器
 2016/10/25
2016年10月25日の英国の報道
・Mirror
2016年10月14日のロシアの報道
・kievsmi.net
今回はこの報道にあるようなことの関連について少しご紹介しようと 思います。
物騒づく最近のロシア
今日(10月25日)、下のような報道がありました。
ロシアが、ヨーロッパとの国境で大規模な「侵攻訓練」的な軍事演習 をおこなったというものです。
2016年10月25日の英国デイリースターの記事より
・Daily Star
そして、その少し前に、冒頭の2つの「ロシアの新しい兵器」に関し ての報道が、それぞれまったく別のものとしてリリースされていまし た。
ここ最近のロシアをめぐる話は「物騒な」という言葉がよく合いまし て、過去記事の、
・ロシア非常事態省が「モスクワのすべての市民を地下シェルターに 避難させる用意ができた」と発表したこと。そして、大地震の前の上 空の電子数の変化が地震予知に使われるかもしれないこと
2016/09/30
では、モスクワに住むすべての市民( 1200万人)を収容できる対核 攻撃用地下シェルターが用意できたというアナウンスがあったことに ふれ、その後、
・広がり続ける「第三次世界大戦の噂」
2016/10/17
という記事では、ロシア市民 4000万人(ロシアの全人口の約3分の 1弱)を動員しての対核攻撃の演習が行われたというようなことも記 しまして・・・まあつまり、何だかこう物騒ではあります。
それに加えて、今日のヨーロッパ国境付近での演習や、そして新型の 武器ということで、それらについて論評なしにご紹介しておこうと 思った次第です。
新型の武器とは、簡単に書きますと、
・一回の攻撃でテキサス州の面積すべてを吹き飛ばせる 新型核兵器「サタン2」
・まったく新しい概念の強力な電子兵器
という大変に物騒なものです。
ところで、余談になってしまうのですが、「ロシアの独自性」という と、話題としては夏前のものですが、とても強烈に記憶に残ったもの があります。
ロシアの偽造牛乳
ロシアというのは不思議な国で、いいところも悪いところも「意外 性」がある部分があります。以前、 BS の海外ニュースか何かを見て いた時に、ロシアからの報道で、
「ロシア国内で牛乳の偽造が大規模に蔓延している」
ということを報じていまして、ロシア国内では結構な割合で「偽造牛 乳」が出回っているのだそうです。
「それにしても、牛乳ってどういうふうに偽造するんだ?」
とは思いました。
中国大先生などの例を代表として、いろいろな国でいろいろな食品の 偽造が行われていますが、牛乳というのはあまり聞いたことがありま せんでした。
そのテレビでは偽造の方法については具体的には述べていなかったの で、ロシア国内の報道をインターネットで調べてみますと、下のよう なものが次々と出てきました。
ロシアのタス通信より
・tass.ru
「ほお、チョーク」と私はそのオリジナル性に唸りました。
本文を少し読んでみますと、偽造する人々や組織などによって、いろ いろな製法はあるのでしょうが、以下のように記されていました。
(ロシアでの牛乳の偽造では)乳製品に、澱粉、チョー ク、石鹸、ソーダ、石灰、ホウ酸かサリチル酸、あるい は石膏を混入する。
クリームを偽造する場合は、通常、水、ヨーグルト、そ して脱脂カッテージチーズで希釈し、そこに植物油、大 豆タンパク、低品質の乳成分、澱粉、安定剤および香味 剤を注入する。場合により、マーガリンや他の水素化脂 肪を加える。
「なんかすごい」とは思います。石鹸などという言葉も出てきてい て、「創意工夫」という言葉が浮かびますが、ここまで手間暇をかけ るなら、単に牛乳やクリームをそのまま売ったほうが利益が出るので はないかと思いますが、いろいろと事情があるようです。
そして、こんなにいろいろなことをした乳製品がロシア国内に少なく も「数パーセントを上回る規模」で流通しているという可能性がある そうです。
いくら何でも「味で・・・わからないの?」とは思いますが、これら が発覚しているのは、内部告発や当局の調査によるもののようで、消 費者側からの告発といったようなものではないようですので、ロシア の偽造乳製品は味ではわからないものようです。
悪魔という新型兵器
話がまったく逸れてしまいましたが、そういうような独自性に溢れる ロシアで、最近2つの「兵器」の発表を行いまして、これもどちにも オリジナリティに溢れたものでした。そのふたつが先ほども書きまし た、
・一発でテキサス州を吹き飛ばせる新型核兵器
・新型の電子兵器
というもののようです。
どちらの武器も詳細はあまりはっきりしないのですが、核兵器「サタ ン2」のほうに関しては、どの報道でも、「一回の攻撃でテキサス州 全土ほどの面積を壊滅させられる破壊力」を持つ最大16個の核弾頭が 装填されている兵器とあります。
ちなみに、テキサス州はアメリカで2番目に面積の大きな州で、その 面積は日本の2倍近くあります(テキサス州約 70万平方km、日本の 面積は約 38万平方km)。
ですので、このサタン2の攻撃ですと、日本列島なら全体的に消えて しまうものなのかもしれません。
まあ、名称がサタン2、つまり「悪魔2号」ですしね・・・(ここま でストレートに悪魔的な名称の兵器は珍しいのでは)。
そして、もうひとつの「新しい電子兵器」についても詳細はよくわか らないのですが、タス通信には、
「新しい物理的原理に基づいて設計された武器の最初のサンプル」
とあり、何か今までの電子的な兵器とは違うもののようで、どうや ら、「物理的に対象を破壊できる」タイプの電子武器のようで、SF 映画などに出てくるようなタイプのものなのかもしれないです。
いずれにしても、牛乳も含めて物騒この上ない話ではありますが、武 器の詳細については、これ以上はわからないですので、今回は、冒頭 から3つめに貼りました「ヨーロッパとの国境近くでの軍事演習」の 記事をご紹介します。
今回の記事はそこで一度締めたいと思いますが、今は何だかいろいろ ありますね。
In Deep
http://indeep.jp/russian-two-new-arms-satan2-nuke-radio-electronic-weapons/
第10巻75番
Tant attendu ne reuiendra iamais,
Dedans l'Europe en Asie apparoistra:
Vn de la ligue yssu du grand Hermes,
Et sur tous Roys des Orients croistra.
非常に切望されつつも
ヨーロッパの中に戻らず、登場するのはアジアだろう
偉大なるヘルメスで結束し送られ
東洋の他の王の権力をことごとく越える力を持つだろう
「Fate/stay night」のセイバールートに関する予言とされる。
アーサー王であるセイバーはヨーロッパに戻ることを切望されたが、日本の冬木市に召喚された。
また3行目の「ヘルメス」とは魔術師のことであり、召喚儀式のために遠坂、マキリ、アインツベルンの3家が結束するさまが示されている。
セイバーが「東洋の他の王の権力をことごとく越える力を持つ」のは周知の通りである。
第10巻86番
Comme vn gryphon viendra le Roy d'Europe,
Accompagne' de ceux d'Aquilon,
De rouges & blancs conduira grand troupe,
Et iront contre le Roy de Babylon.
ヨーロッパの王がグリフォンのいでたちにて立つ
北に住む強者たち
彼は赤と白との軍を従えて
やがてバビロン王に立ち向かわんとす
まず目に付くのは「ヨーロッパの王」と「バビロン王」であるが、両者が戦うとなるとアーサー王とギルガメッシュ、つまりセイバーと金アーチャーしかありえない。
やはりこれも「Fate/stay night」に関する予言である。
「北」というのはゲームの舞台である冬木市、そこに「住む強者」とはマスターとサーヴァント達、「彼」とは主人公の衛宮士郎、「赤と白との軍」とは遠坂凛とセイバーのことである。
また1行目でセイバーについて予言しておきながら、あえて3行目で主人公が凛とセイバーを連れて行くと予言していることから「両手に花」の凛Goodendの予言とされる。
なお、文脈からはアレクサンドロス大王とダレイオス3世とのガウガメラの戦いを示しているとも考えられるが、それはノストラダムスが生まれるよりもさらに2000年も前の出来事であり、これでは予言でなく伝記になってしまうとの批判がある。
ノストラダムスの「予言集」は「壮大なギャグ性」を有していて、彼に芸人およびコメディ作家としての才能があることが明らかになった。
彼は死後数百年後にヨーロッパから遠く離れた極東の地で、思っても見なかった形でその才能を見出されたといえよう。
なおノストラダムスはこの「予言集」の中で、日本を始めとする諸国にこのような珍解釈をする人が現れ、大恥をかくことも予言していたといわれる。第2巻36番の詩がそれである。
Du grand Prophete les lettres seront prinses.
Entre les mains du tyrant deviendront:
Frauder son roi seront les entreprinses,
Mais ses rapines bien tost le troubleront.
偉大な預言者の書が横取りされ
暴君の手にそれが渡る
彼らは国王を騙そうとしたが
その盗みのために窮地に追い込まれる
* ウラジーミル・プーチン(恐怖の大王?)』アンサイクロペディアWikiより
この大王がプーチンであればロシアということになり整合性がとれてくる。三つ考えられる。
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Ⅰ: 『ファティマ第三の秘密はシスター・ルチアが,レイリア~ファティマ教区の司教にあてて1941年8月31日に書いた「第三の回想録」による。
........それでは,秘密について少しお話しし,最初の質問にお答えしなければならないと思います。
秘密はこうです。
天からのお許しはすでにいただいているので,お話ししてもよいと思います。
また,地上における神の代理者たちは,お話しする権限を何通ものお手紙で繰り返しくださいました。
この手紙は,ホセ・ベルナルド・ゴンサルぺス神父様からのもので,そのなかで,神父様は,教皇にあてて書くようにと勧めてくださいました。
そこでわたしに指示されたことの一つは,秘密を明らかにすることです。
.......いいでしょう。秘密は,異なる三つのことがらについてで,そのうちの二つを今明らかにしようとしているのです。
第一は地獄のビジョンでした。
マリアは,わたしたちに広大な火の海をお見せになりました。
それはまさに,地の下にあるもののようでした。
この火の中に,サタンと人間の形をした魂とが閉じ込められていました。
この魂は,透き通るように燃え上がる燃えさしのようで,すべては黒く,あるいは,光り輝く青銅色をしていて,大きな炎の中に漂っていました。
彼らは自分の中から放つ炎によって,巨大な煙の雲とともに空中に吹き上げられ,(管理人注:核兵器の意味)ぞっとするような,しかも恐怖に震え上がるような苦痛と失望の悲鳴とうめき声を上げながら,重さもバランスも失って,火花のように大火の中を四方八方に飛び散っていました。
サタンは,見たこともない奇怪な動物の形をしていたのでそれと分かりましたが,戦慄を覚えさせるような気味の悪い形相をしており,透明で黒い色をしていました。
このビジョンは,ほんの一瞬の間続いただけでした。
天の母マリアが,最初のご出現のときにわたしたちを天に連れて行くことを前もって約束してくださっていたことに,わたしたちはどれほど感謝したことでしょう。
もしそうでなければ,わたしたちは恐怖のあまり死んでしまったと思います。
そのあと,マリアに目を上げると,優しいけれども悲しそうに,こうおっしゃいました。
「あなたちは,あわれな罪びとの魂が落ちていく地獄を見ました。
罪びとを救うために,神は,わたしの汚れない心に対する信心を世に定着させるように望んでおられます。
もし,わたしがあなたたちに言うことを人々が実行するなら,多くの魂は救われ,平和を得るでしょう。戦争がもうすぐ終わろうとしています。
しかし,もし人々が神に背くのをやめないなら,ピオ11世が教皇である間に,もう一つの,もっとひどい戦争が始まるでしょう。
ある夜,まだ見たことのない光がやみを照らすのを見たら,それは,戦争や飢餓,教会と教皇に対する迫害による世の罪のために今まさに神が,世を滅ぼそうとしておられる大いなる徴(しるし)であると悟りなさい。
それを防ぐために,わたしの汚れない心にロシアを奉献することと,償いのために毎月初めの土曜日に聖体拝領をするよう,わたしはお願いにまいります。
もし,わたしのこの要請を受け入れるなら,ロシアは回心し,平和が訪れるでしょう。
さもなければ,ロシアは,戦争と教会への迫害を推し進めながら,自分の誤りを世界中にまき散らすでしょう。
善良な人々は殉教し、教皇は非常に苦しみ,多くの国々は滅ぼされるでしょう。
けれども,最後には、わたしの汚れない心が勝利するでしょう。教皇は,ロシアをわたしに奉献し,ロシアは回心し,世界に平和の時が与えられるでしょう」』
Ⅱ: また、肩を竦めるアトラスでは『第三次世界大戰の最初の三十分で米國民の凡そ九割りが死に絶える。最初の一時間で三千のミサイルが米國に打ち込まれる。殆どの工業都市は破壞される。』ようにこれはロシアからのミサイルを意味している。これはフィリップ・ロスチャイルドが愛人に書かせたもので今でもベストセラーである。第三次世界大戦は2026年と断定してよいだろう。
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