ヴォイニッチ手稿とアステカ文明のリンク(1)
: 植物学者とアメリカ国防総省の元情報技術者がつきとめた「古代メキシコの植物学、消滅した古典ナワトル語」とヴォイニッチの共通性
ヴォイニッチ手稿に関しての新しい論文と、それに関しての複数の報道を目にしました。
欧米ではヴォイニッチ手稿に関しては、新しい考察や論文が出ると、一般のメジャーメディアでもかなり大々的に記事にされますので、
それだけヴォイニッチ手稿に興味が持たれ続けているようです。
そして、その「欧米」という部分がヴォイニッチ手稿の解読の障壁となっていた可能性もあります。
今回は、論文が発表された、
米国植物協議会( American Botanical Council )の、
・ A Preliminary Analysis of the Botany, Zoology, and Mineralogy of the Voynich Manuscript
(ヴォイニッチ手稿の植物学、動物学、および鉱物学に関しての予備的分析)
というものから、少しご紹介したいと思います
ところで、昨日 2月 9日は関東は記録的大雪となり、
私の住むあたりも史上最高レベルの雪が降りましたけれど、関東の大雪については数多く報道されましたので、雪には触れずに本題に入ります。
In Deep (旧)
http://oka-jp.seesaa.net/article/387784557.html
voynich.com
http://www.voynich.com/folios/
ヴォイニッチ手稿とは
ヴォイニッチ手稿は、一般的な説明を Wikipedia から抜粋しておきますと、次のようになります。
14世紀から16世紀頃に作られたと考えられている古文書。
全230ページからなり、未知の言語で書かれた文章と生物を思わせる様々な彩色された挿絵から構成されている。
文章に使用されている言語は、
単なるデタラメではなく言語学的解析に照らし合わせ、
何らかの言語として成立機能している傍証が得られているため、
一種の暗号であると考えられているが内容は不明。
ページの上部や左右にはかなり緻密な、植物や花の彩色画が描かれている。
植物の絵が多いが、それ以外にも、銀河や星雲に見える絵や、
精子のように見える絵、複雑な給水配管のような絵、
プールや浴槽に浸かった女性の絵などの不可解な挿し絵が多数描かれている
なお、書かれた年代に関しては、アリゾナ大学で行われた放射性炭素年代測定により、
ヴォイニッチ手稿に使用されている羊皮紙が「 1404年から 1438年に作られたと判明」したことが
2011年2月11日の Discovery News で報じられました。
内容の執筆時期はさらに後年の可能性があるそうですが、
いずれにしても 1400年代のその頃から記述され始めたということは濃厚のようです。
Wikipedia の説明にある「文章に使用されている言語」は下のような表記です。
現在、下のサイトですべてのヴォイニッチ手稿のページが閲覧できます。
・Voynich Manuscript - Photo gallery
ヴォイニッチ手稿に関しては、過去に何時か記事にしたことがあります。
・『ヴォイニッチ手稿を解読した』という人物の登場
2011年12月06日
・クロップサークルやエジプトの亡霊の話題などの続編と「年代が特定されたヴォイニッチ手稿」のことなど
2011年02月14日
などです。
In Deep (旧)
http://oka-jp.seesaa.net/article/387784557.html
そして、このヴォイニッチ手稿は、多くの人が解読に挑んできた歴史があります。
The Most Mysterious Manuscript in the World には、これまで世界中の非常に多くの、言語学者、歴史学者、暗号学者、植物学者、
オカルティストたちなどが解読に挑んで、ことごく失敗してきた歴史などが書かれてあり、
そして、現在の科学界では、
「この手稿を解読しようと試みるものは皆、
人生の貴重な時間をまったく成果のない調査に費やすことになるであろう」
という結論への帰結を辿ろうとしているようです。
上記サイトには、中世において、ヴォイニッチ手稿は、
・植物学者たちは植物についてはナンセンスであるとした。
・天文学者たちは天体についてはナンセンスであるとした。
・占星術師たちは占星術的なものはナンセンスであるとした。
・製剤の専門家たちは薬草はナンセンスであるとした。
・暗号作成者たちは暗号はナンセンスであるとした。
・美術史家たちは絵の年代は特定できないとした。
・古書の研究家たちは書の年代は特定できないとした。
・そのスタイル、体裁、出版は知られているものと共通点はない。
とされましたが、
結局、これらは当時の「西洋の視点と知識からの見識」だけのものだったからこのような結論となったということがいえるかもしれません。
そして、植物学的にはかなり的確な指摘だと思われる今回の米国植物協議会の論文は、
ヴォイニッチ手稿が、メキシコのアステカ文明下での知識を示している可能性が高いということに迫るものなのです。
また、ヴォイニッチ手稿で使われている言語(表記ではなく文法)を解くポイントに関しても、
現在は消滅した言語である「古典ナワトル語」というものとの文法の関連性が指摘されていて、
どうやら、ヴォイニッチ手稿はヨーロッパの神秘主義との関連よりも、
メソアメリカ文明の「実生活」との関連を探ったほうが近いという可能性を感じます。
あくまで、非常に個人的な感覚としてのことですが、
ヴォイニッチ手稿は、アステカ文明の薬学か医学の知識が書かれている書物だという感じがします。
In Deep (旧)
http://oka-jp.seesaa.net/article/387784557.html
アステカ文明の歴史は Wikipedia によりますと、
・1428年頃から1521年までメキシコ中央部に栄えたメソアメリカ文明の国家
とあり、また、上に書きましたように、ヴォイニッチ手稿は、放射性炭素年代測定からは、
・ 1404年から 1438年頃から編纂され始めた可能性が強い
となっていて、アステカ文明とのリンクは年代でも適合する部分もあります。
In Deep (旧)
http://oka-jp.seesaa.net/article/387784557.html
http://oka-jp.seesaa.net/article/387784557.html
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