2017-02-27 | 日本の不思議(現代)
現代の稲荷巫女・三井シゲノさんの言葉の聞き書き、アンナ・ブッシー氏の「神と人のはざまに生きる」のご紹介を続けさせていただきます。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
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(引用ここから)
ある日のシゲノのお告げの様子である。
ホオオーー ホンーー ホオーー ホン
弁財天 龍王 お世話ずき 白龍・・・ハア
はや鎮まった この貴重な日に 御守護 欠くことなく(意味不明の言葉)・・
かみより受けた 無限のちから・・・
手放さず・・・ハアア かさねて 祈りを 捧げます ウン
きょうは よい日あがり ウン
前半は やはり つらいものにて ある
後半には 笑うことがあると 信じて 年を迎うべし
なにごとも 心砕かず フウン ただ一筋に 一日は 感謝をして くらす
こころのさとりを ひらくべし
悟りと 感謝 悟りと 感謝
人間の道 かみより さずかったちから
なにごとがやはり さとりをひらけ
よろこびは かさねてあるが心得
誓いを わすれてはいかん
本年は 十二分の年と 申しよう
十二分努力をし 八分を十分におもえて 喜び、 これが・・・の神
人間のちから・・・
これにかさねて やはり十二分で あるようにして 努力しよう
迎う年は よき年と あれかし ハアア ハン ホオオ ・・・
これらの言葉が口より発せられる間、シゲノは合掌した両手を幾度となく頭上高く振りかざすのだった。
時に叫び声を上げ、時にため息をもらしていた。
・・・
(シゲノの家でお茶を飲みながら雑談している時)
「たとえば、「白高(しらたか)さん」はよく笑い声を上げる、荒々しい「神さん」です。
この「神さん」が降りてくると、なんであれ、ものを言う前に、決まって豪勢な大笑いから始めるようです。
逆に言えば、私が笑う時には、「白高(しらたか)さん」が憑いていると分かるわけです」。
不意にシゲノの娘が言葉を挟んだ。
「それにまた、「白高(しらたか)さん」だけが見せる、他のことによってもそれとわかります。
うちの「神さん」は、眷属の「神さん」ですが、降りてくると、時おり「オダイ」の身にまったく奇妙な振る舞いが生じるのです。
たとえば「お神酒くれ」と、神前にお供えしたお神酒を欲しがられるといったことが、かつてありました。
すぐに茶碗に並々と注いでさしあげると、それを口に運んで飲む様といったら、意外なものでした。
まるで動物がするかのような具合なのです。
それから、ううわっと雄叫びを上げて、何か食べ物を欲しがられるのですが、その後にお口の中をきれいにして差し上げなくてはなりません。
でないと怒ります。
それが済んで、「オダイ」は「神さん」のお言葉を告げるのです。
こうした光景を目にするたびに、私は驚く以上に、これこそうちの「白高(しらたか)さん」の有様だと、いつも思っておりました。
「白高さん」は荒々しく乱暴な物言いをなさいますが、決して下品なわけではなく、普通の話し方よりもう少し丁寧な言葉遣いをなさいます」。
(シゲノ談)
お勤めやお伺いがうまくいったかどうかを、証し立てるようなことがございます。
たとえば火護摩を焚いて呼び込みをする時、
ちょうど私の口を通してその「神さん」が自分の名を告げる瞬間、急に私の体が、座ったまま突然一尺ほど浮き上がることが時々あるのです。
もちろん自分の体がどうやって浮き上がるのかも、それがどれくらい続くのかも私にはわかりません。
と言いますのも、始めるとすぐ私は普通の意識でなくなり、そしてその間の記憶は後では全く無いのです。
自分の体がどうやってまた地に降りるのかもわからないのですが、私としてはそのように体が浮き上がるということは、
たとえお供えがたったおにぎり一つしかなかったとしても、お祀りが首尾よく行われたということを、
つまりこの時「神さん」がちゃんと降りたこと、これを待っていた、ということを意味するものなのです。
また、常に同じことが一つございます。
それはまさにその時、私が「神さん」をお呼びして「神さん」がこの私に降りて来られる間に覚える感覚です。
もはや周りにあるもの一切が、分からなくなるのです。
それから何か、音が聞こえてきます
どんな音かと問われれば、町中で銭湯のそばを通る時に、湯気立つ窓から聞こえてくるような音とでも申せましょうか。
まさに湯煙の立ち込める風呂の中のむんむんした熱気越しに漏れてくる、あのたくさんの声の入り混じった、よく聞き取れない音のような、内にこもった響きなのです。
遠くとも、近くともつかない、響き会う声音は、聞き取れることもあれば、聞き取れないこともあるような、そんな老若男女の入り混じった声の木霊がとめどもなく、ふぁ、ふぁ、ふぁ、と湯気の中から響いてくるのですが、その時体全身が震えだすのです。
大体そのように体が震えるのは、年取った「神さん」が何事かを教えようとなさっている時であります。
若くて力のみなぎっている「神さん」の場合は、この両手が一挙に天へ振り上がるや、突如大きな叫び声が、神さんご自身の御心から弾けるように噴き出して、その御名に続けて、お言葉が発せられます。
とは言いましても、その時私は、私の口から出る言葉を自覚しているわけではありません。
・・・
シゲノはこのように彼女が「夢のお告げ」と称する状態を語った。
(引用ここまで)
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夫婦のような「シラタカさん」とシゲノさん。彼らの生きる世界は、現実のことだと思います。
シゲノさんは、「シラタカさん」に見染められて、嫁に行ったのですね。
そしてそのことを後悔していないのだと思います。
始まりに向かって
http://blog.goo.ne.jp/blue77341
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