2016年6月19日日曜日

一二三(ひふみ)神示


一二三(ひふみ)神示(日月神示) エドはどうしても火の海ぞ
出口王仁三郎・ひふみ(一二三・日月)神示 > 出口王仁三郎・ひふみ神示(一二三・日月神示) - 2011年05月26日 (木)
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キの巻  第9帖
昭和20年01月29日(1945年) - 昭和20年03月20日(1945年)
悪(ワル)いこと待(マ)つは悪魔(アクマ)ぞ、
何時(イツ)建替(タテカエ)、大峠(ダイトウゲ)が来(ク)るかと
待(マ)つ心(ココロ)は悪魔(アクマ)に使(ツカ)はれてゐるのざぞ。
この神示(フデ)世界中(セカイジュウ)に知(シ)らすのざ、
今迄(イママデ)は大目(オオメ)に見(ミ)てゐたが、
もう待(マ)たれんから見直(ミナオ)し聞(ヒラ)き直(ナオ)しないぞ、
神(カミ)の規則通(キソクドオ)りにビシビシと出(デ)て来(ク)るぞ、
世界(セカイ)一平(ヒトヒラ)に泥(ドロ)の海(ウミ)であったのを、
つくりかためたのは国(クニ) (ノ)常立(トコタチ) (ノ)尊(ミコト)であるぞ、
親様(オヤサマ)を泥(ドロ)の海(ウミ)に
お住(ス)まひ申(モウ)さすはもったいないぞ、
それで天(テン)におのぼりなされたのぞ。
岩(イワ)の神(カミ)、荒(アレ)の神(カミ)、
雨(アメ)の神(カミ)、風(カゼ)の神(カミ)、
地震(ジシン)の神殿(カミドノ)、
この神々様(カミガミサマ)、御手(ミテ)伝(ツタ)ひで
この世(ヨ)のかため致(イタ)したのであるぞ、
元(モト)からの竜体(リュウタイ)持(モ)たれた
荒神様(コウジンサマ)でないと
今度(コンド)の御用(ゴヨウ)は出来(デキ)んのざぞ、
世界(セカイ)つくり固(カタ)めてから臣民(シンミン)つくりたのであるぞ、
何(ナニ)も知(シ)らずに上(カミ)に登(ノボ)りて、
神(カミ)を見(ミ)おろしてゐる様(ヨウ)で、
何(ナン)でこの世(ヨ)が治(オサ)まるものぞ。
天(テン)と地(チ)の御恩(ゴオン)といふことが
神(カミ)の国(クニ)の守護神(シュゴシン)に
判(ワカ)りて居(オ)らんから難儀(ナンギ)なことが、
愈々(イヨイヨ)どうにもならん事(コト)になるのぞ、
バタバタとなるのぞ。
臣民(シンミン)生(ウマ)れおちたら
ウブの御水(オミズ)を火(ヒ)で暖(アタタ)めて
ウブ湯(ユ)をあびせてもらふであろが、
其(ソ)の御水(オミズ)はお土(ツチ)から頂(イタダ)くのざぞ、
たき火(ビ)ともしは皆(ミナ)
日(ヒ)の大神様(オオカミサマ)から頂(イタダ)くのざぞ、
御水(オミズ)と御火(オヒ)と御土(オツチ)で
この世(ヨ)の生(イ)きあるもの生(イ)きてゐるのざぞ、
そんなこと位(クライ)誰(ダレ)でも知(シ)ってゐると申(モウ)すであろが、
其(ソ)の御恩(ゴオン)と云(イ)ふ事(コト)知(シ)るまいがな、
一厘(イチリン)の所(トコロ)分(ワカ)かるまいがな。
守護神(シュゴシン)も曇(クモ)りてゐるから
神々様(カミガミサマ)にも
早(ハヨ)うこの神示読(フデヨ)んで聞(キ)かせてやれよ、
世間話(セケンバナシ)に花咲(ハナサ)かす様(ヨウ)では
誠(マコト)の役員(ヤクイン)とは云(イ)はれんぞ、
桜(サクラ)に花咲(ハナサ)かせよ。
せわしくさしてゐるのざぞ、
せわしいのは神(カミ)の恵(メグ)みざぞ、
今(イマ)の世(ヨ)にせわしくなかったら
臣民(シンミン)くさって了(シマ)ふぞ、せわしく働(ハタラ)けよ。
 三月(サンガツ)十一日(ジュウイチニチ)、
 ひつぐの神(カミ)。
◇◆◇
σ(・・*)ひと言
 不安な事は良く理解しますが、
「いつ・どこで・どのくらいの規模の」
という事を考える事は、
悪魔=悪神=日本を狙っているものたちの思うつぼという事です。
いつ、何処で起きてもいいように心身共に覚悟を決めて
「み霊磨き」をしておきなさいという事ですね。
ひふみ神示で言われている神の御名は
「根本(コンポン)の、太(オオ)(ヒ)(ツ)(キ)大神(オオカミ)さま」というそうです。
この神様が救う人は何処にいても救うと言われています。
落ち着いて日々をおくる事が大事だという事です。
illust3786_thumb ぽ用下
松の巻  第2帖
昭和20年06月17日(1945年) - 昭和20年07月19日(1945年)
神(カミ)の国(クニ)を、足(アシ)の踏(フ)むところない迄(マデ)にけがして仕舞(シマ)ふてゐるが、それで神力(シンリキ)は出(デ)ぬぞ。
臣民(シンミン)無(ナ)くなるぞ。
残(ノコ)る臣民(シンミン)三分(サンブ)むつかしいぞ。
三分(サンブ)と思(オモ)へども、二分(ニブ)であるぞ。
邪魔(ジャマ)せん様(ヨウ)に、
分(ワカ)らん臣民(シンミン)見物(ケンブツ)して御座(ゴザ)れ。
ここまで知(シ)らして眼(メ)覚(サ)めん臣民(シンミン)なら
手(テ)引(ヒ)いて見(ミ)てゐて御座(ゴザ)れ。
見事(ミゴト)仕上(シア)げて見(ミ)せるぞ。
雀(スズメ)ちうちう烏(トリ)かうかう。
 六月(ロクガツ)十八日(ジュウハチニチ)、
 あめのひつ九(ク)か三(ミ)。
第7帖
エラ)い人(ヒト)皆(ミナ)俘虜(トリコ)となるぞ。
夜明(ヨア)け近(チカ)くなったぞ。
夜明(ヨア)けたら何(ナニ)もかもはっきりするぞ。
夜明(ヨア)け前(マエ)は闇(ヤミ)より暗(クラ)いぞ、慌(アワ)てるでないぞ。
神(カミ)の国(クニ)一度(イチド)負(マ)けた様(ヨウ)になって、終(シマ)ひには勝(カ)ち、また負(マ)けた様(ヨウ)になって勝(カ)つのざぞ。
腹(ハラ)の中(ナカ)のゴモク
一度(イチド)に引張(ヒッパ)り出(ダ)してもならぬし、
出(ダ)さねば間(マ)に合(ア)わんし、
いよいよ荒事(アラゴト)にかかるからそのつもりで覚悟(カクゴ)よいか。
わからん人民(ジンミン)
退(ノ)いて邪魔(ジャマ)せずに見物(ケンブツ)してござれよ。
 六月(ロクガツ)二十三日(ニジュウサンニチ)、
 アメのひつ九(ク)の(カミ)
第8帖
神(カミ)の国(クニ)には
昔(ムカシ)から神(カミ)の民(タミ)より住(ス)めんのであるぞ、
幽界(ガイコク)身魂(ミタマ)は幽界(ガイコク)行(ユ)き。
一寸(チョット)の住(ス)むお土(ツチ)も神国(シンコク)にはないのざぞ。
渡(ワタ)れん者(モノ)が渡(ワタ)りて穢(ケガ)して仕舞(シマ)ふてゐるぞ。
日本(ニホン)の人民(ジンミン)、
大和(ヤマト)魂(ダマシイ)何処(ドコ)にあるのざ、
大和(ヤマト)魂(ダマシイ)とは
神(カミ)と人(ヒト)と解(ト)け合(ア)った姿(スガタ)ぞ。
◇◆◇
σ(・・*)ひと言
 現在の日本人を叱咤激励されていますね。
日本民族の根本である「大和魂」を神様が示しておられます。
己が日本という神の国にふさわしい身魂であるのか内省せよと言うことですね。
上つ巻  第11帖
昭和19年06月10日(1944年) ー昭和19年07月09日(1944年)
いづくも土(ツチ)にかへると申(モウ)してあろうが、
東京(トウキョウ)も元(モト)の土(ツチ)に
一(ヒト)ときはかえるから、その積(ツモ)りでゐて呉(ク)れよ。
神(カミ)の申(モウ)したこと違(チガ)はんぞ。
東京(トウキョウ)は元(モト)の土(ツチ)に
一時(ヒトトキ)はかへるぞ、
その積(ツモ)りで用意(ヨウイ)して呉(ク)れよ。
 六月(ロクガツ)の十九日(ジュウクニチ)、
 一二(ヒツク)のか三(ミ)。

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25帖
一日イチニチ)に十万(ジュウマン)、人(ヒト)死(シ)にだしたら神(カミ)の世(ヨ)がいよいよ近(チカ)づいたのざから、よく世界(セカイ)のことを見(ミ)て皆(ミナ)に知(シ)らして呉(ク)れよ。
この神(カミ)は世界中(セカイジュウ)のみか天地(アメツチ)のことを
委(マカ)されてゐる神(カミ)の一柱(ヒトハシラ)ざから、
小(チイ)さいこと言(イ)ふのではないぞ、
小(チイ)さいことも何(ナン)でもせなならんが、
小(チイ)さい事(コト)と臣民(シンミン)思(オモ)うてゐると
間違(マチガ)ひが起(オコ)るから、
臣民(シンミン)はそれぞれ小(チイ)さい事(コト)も
せなならんお役(ヤク)もあるが、よく気(キ)をつけて呉(ク)れよ。
北(キタ)から来(ク)るぞ。
神(カミ)は気(キ)もない時(トキ)から知(シ)らして置(オ)くから、
よくこの神示(フデ)、心(ココロ)にしめて居(ク)れよ。
一日(イチニチ)一握(ヒトニギ)りの米(コメ)に泣(ナ)く時(トキ)あるぞ、着(キ)る物(モノ)も泣(ナ)くことあるぞ、いくら買溜(カイダ)めしても神(カミ)のゆるさんもの一(ヒト)つも身(ミ)には附(ツ)かんぞ、着(キ)ても着(キ)ても、食(ク)うても食(ク)うても何(ドウ)もならん餓鬼(ガキ)の世(ヨ)ざ。
早(ハヨ)う神心(カミココロ)にかへりて呉(ク)れよ。
この岩戸(イワト)開(ヒラ)くのは
難儀(ナンギ)の分(ワカ)らん人(ヒト)には越(コ)せんぞ、
踏(フ)みつけられ踏(フ)みつけられている臣民(シンミン)の
ちからはお手柄(オテガラ)さして、
とことはに名(ナ)の残(ノコ)る様(ヨウ)になるぞ。
元(モト)の世(ヨ)に一度(イチド)戻(モド)さなならんから、何(ナニ)もかも元(モト)の世(ヨ)に一度(イチド)は戻(モド)すのざから、その積(ツモ)りで居(オ)れよ。
欲張(ヨクバ)っていろいろ買溜(カイダ)めしてゐる人(ヒト)、
気(キ)の毒(ドク)が出来(デキ)るぞ、
神(カミ)よく気(キ)をつけて置(オ)くぞ。
この道(ミチ)に縁(エン)ある人(ヒト)には、
神(カミ)からそれぞれの神(カミ)を守(マモ)りにつけるから、
天地(アメツチ)の元(モト)の・(てん)の大神(オオカミ)、
くにの大神(オオカミ)と共(トモ)に、よく祀(マツ)りて呉(ク)れよ。
 六月(ロクガツ)の三十日(サンジュウニチ)、
 ひつくのか三(ミ)。
富士の巻 第27帖
 神の堪忍袋 切れるぞよ、
臣民の思ふやうにやれるなら、やりて見よれ、
九分九厘でグレンと引繰り返ると申してあるが、
これからはその場で引繰り返る様になるぞ。
誰れもよう行かん、臣民の知れんところで何してゐるのぞ、
神には何も彼も分りてゐるのざと申してあろがな、
早く兜脱いで神にまつはりて来いよ、
改心すれば助けてやるぞ、鬼の目にも涙ぞ、
まして神の目にはどんな涙もあるのざぞ、
どんな悪人も助けてやるぞ、どんな善人も助けてやるぞ。
江戸と申すのは東京ばかりではないぞ、今の様な都会みなエドであるぞ、江戸は何うしても火の海ぞ。それより他 やり方ないと神々様申して居られるぞよ。秋ふけて草木枯れても根は残るなれど、臣民かれて根の残らぬやうなことになりても知らんぞよ、
神のこのふみ早う知らしてやって呉れよ。
八と十八と五月と九月と十月に気つけて呉れよ、
これでこの方の神示の終わりぞ。
この神示は富士(二二)の巻として一つに纒(まと)めておいて下されよ、
今に宝となるのざぞ。八月の三十日、のひつ九 。
◇◆◇
σ(・・*)より、ひと言
 神様は、現在の都会は元の穢土にするおつもりのようですね。
どのような形で起きるのかは不明ですが(神様の計画なので)、
現在大地震の前触れも起きていますし、
今後も注意をしながら身魂(みたま)磨きをしていく他ないようですね^^;
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地つ巻   17帖  ◆大事◆
まことの善(ゼン)は悪(アク)に似(ニ)てゐるぞ、まことの悪(アク)は善(ゼン)に似(ニ)てゐるぞ、よく見分(ミワ)けなならんぞ、
悪(アク)の大将(タイショウ)は光(ヒカ)り輝(カガヤ)いてゐるのざぞ、
悪人(アクニン)はおとなしく見(ミ)えるものぞ。
日本(ニホン)の国(クニ)は世界(セカイ)の雛形(ヒナガタ)であるぞ、
雛形(ヒナガタ)でないところは真(シン)の神(カミ)の国(クニ)でないから、
よほど気(キ)つけて居(オ)りて呉(ク)れよ、
一時(ヒトトキ)は敵(テキ)となるのざから、
ちっとも気(キ)許(ユル)せんことぞ、
神(カミ)が特(トク)に気(キ)つけておくぞ。
今(イマ)は日本(ニホン)の国(クニ)となりて居(オ)りても、神(カミ)の元(モト)の国(クニ)でないところもあるのざから、雛型(ヒナガタ)見(ミ)てよく腹(ハラ)に入(イ)れておいて下(クダ)されよ、
後悔(コウカイ)間(マ)に合(ア)はんぞ。
九月(クガツ)二十三日(ニジュウサンニチ)、
ひつ九(ク)のか三(ミ)。
◇◆◇
σ(・・*)より、ひと言
 神様は、
「日本(ニホン)の国(クニ)は世界(セカイ)の雛形(ヒナガタ)であるぞ」と
はっきり言われていますね。
この一二三(ひふみ・日月)神示を
それぞれがじっくりと読んで、
また声を出して読んで(大声じゃなくても真心を込めた声で)
また読んでを繰り返して実行されてみてください。
それぞれが何かを感じたら、それで良いのだと思われます。
じっくりと!
ゆっくりと!
しんけんに!
まったりと!
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