名無し先生: 大本節分祭~ヤタガラスと女真族
名無し先生
2020年01月24日
驚愕!カラスの正体 ◎◎一族の陰謀
【驚愕!カラスの正体 ◎◎一族の陰謀】
2013/12/06 08:17
今回は名無し先生も頻繁にお会いし、お話をされるカラスのみなさまについてです。
最近、名無し先生は中国で進められている計画に度々触れておられます。何故、日本人はこのような計画に乗せられてしまうのか?また、ベルベット側が満州にこだわるのは何故なのか?
かの有名なベンジャミン・フルフォード氏は、書籍、講演会、ビデオなどで、国際情勢、陰謀論を語る事をお仕事にされているプロのライターです。彼によりますと、日本の天皇家には世界最強のヤタガラスというのがいて、彼らが日本を守っているそうです。
しかし、これは間違いです。彼はそう聞かされているだけらしいので、悪気は有るのか無いのか分かりませんが・・・
そこで今回は、カラスがどこから来たのか?について解説します。
まず、カラスたちは何者かというと、日本書紀、古事記に出てくる神達の子孫だとされています。
それは、実際には中国大陸の55の少数民族の事を指します。
■女真族
漢民族とか大きな括りを細分化すると55の民族に分けられます。
少数民族の一覧(Wikipedia)
現在、「少数民族」として分類されているのは以下の55集団である(50音順)。
1.アチャン族(阿昌族)、2.イ族(彝族)、3.ウイグル族(維吾爾族)、4.ウズベク族(烏孜別克族)、5.エヴェンキ族(鄂温克族、オウンク族)、6.オロチョン族(鄂倫春族)、7.回族(ホウェイ族、フェイ族)、8.カザフ族(哈薩克族、ハザク族)、9.キルギス族(柯尔克孜族、クルグズ族)、10.高山族、11.コーラオ族(仡佬族)、12.サラール族(撒拉族)、13.ジーヌオ族(基诺族)、14.シェ族(畲族)、15.シベ族(錫伯族、シベ族)、16.ジン族(京族、越族、ベトナム族)、17.スイ族(水族)、18.タジク族(塔吉克族)、19.タタール族(塔塔尔族)、20.タイ族(傣族、ダイ族)、21.ダウール族(達斡尔族)、22.チベット族(蔵族)、23.チャン族(羌族)、24.朝鮮族、25.チワン族(壮族)、26.チンプオ族(景頗族)、27.トゥ族(土族)、28.トゥチャ族(土家族)、29.トーアン族(德昂族、旧称パラウン族)、30.トーロン族(独龍族)、31.ドンシャン族(東郷族)、32.トン族(侗族)、33.ナシ族(納西族)、34.ヌー族(怒族)、35.ハニ族(哈尼族)、36.バオアン族(保安族)、37.プーラン族(布朗族)、38.プイ族(布依族)、39.プミ族(普米族)、40.ペー族 (白族)、41.ホジェン族(赫哲族、ホーチォ族)、42.マオナン族(毛南族)、43.満州族、44.ミャオ族(苗族)、45.ムーラオ族(仫佬族)、46.メンパ族(門巴族)、47.モンゴル族(蒙古族)、48.ヤオ族(瑶族)、49.ユグル族(裕固族)、50.ラフ族(拉祜族)、51.リー族(黎族)、52.リス族(傈僳族)、53.ローバ族(珞巴族)、54.オロス族(俄羅斯族)、55.ワ族(佤族)
また、ロシアと中国、日本、北方領土、朝鮮に股がって存在するツングース系の民族が有ります。
現在のツングース
現在民族集団を形成しているツングース系民族は以下である。
* 満州民族 中国
* シベ族 中国
* オロチョン族 中国
* エヴェンキ 中国
* エヴェン ロシア
* ナナイ ロシア・中国
* オロチ ロシア
* ウリチ ロシア
* ネギダール ロシア
* ウデヘ ロシア
* ウィルタ ロシア・日本
このリストにある満州民族。これの前身が女真族です。最近、名無し先生が何度も書かれている女真族です。
満洲民族の前身は、12世紀に中国の北半分を支配した金を建てた女真族であり、女真以前にこの地方にいた粛慎、挹婁、勿吉、靺鞨の後裔であると考えられている。
民族名となったマンジュは、よくサンスクリット語のマンジュシュリー(文殊師利、文殊菩薩のこと)に由来すると言われているが、実際は不明である。元来は16世紀までに女真と呼ばれていた民族のうち、建州女真に分類される5部族(スクスフ、フネヘ、ワンギヤ、ドンゴ、ジェチェン)の総称であった。岡田英弘はダライ・ラマが「マンジュと言われるからには、清朝皇帝は文殊菩薩の化身である」と宣伝したものを乾隆帝が利用したことから文殊菩薩が民族名の由来となったという俗説が生まれたのではないかとしている。
女真(女眞、じょしん、ヨジン)は、女直(じょちょく)ともいい、満洲の松花江一帯から外興安嶺(スタノヴォイ山脈)以南の外満州および朝鮮半島北部にかけて居住していたツングース系民族。10世紀ごろから記録に現れ、17世紀に「満洲」(「マンジュ」と発音)と改称した。「女真」の漢字は女真語の民族名「ジュシェン」(または「ジュルチン」)の当て字である。「女直」は遼興宗の諱(耶律宗真)に含まれる「真」の字を避けた(避諱)ため用いられるようになった[1]。金朝を滅ぼしたモンゴル帝国および元朝時代の漢文資料ではおおよそ「女直」の方で書かれる傾向にあるようだが、同じくモンゴル帝国時代に編纂されたペルシア語の歴史書『集史』などでも金朝や女真人について言及される場合、「女直」の音写である جورچه jūrcha で呼ばれている。民族の聖地を長白山としている。
■景教
女真族の宗教は景教です。
景教とは、キリスト教のネストリウス派のことです。ネストリウス派とは、古代キリスト教の教派の1つ。コンスタンティノポリス総主教ネストリオス[1]により説かれ、431年、エフェソス公会議において異端として排斥された。唐代の中国においては景教と呼ばれる。のちアッシリア東方教会が継承した。日本に多大な影響を与えた唐で隆盛していたため、景教が何らかの形で日本にまで伝播し、影響を与えていたはずだと主張する言説は複数存在する。(同じく同時代の三夷教(景教、祆教、摩尼教)の1つである祆教(ゾロアスター教)に関しても、同じような主張がある。)
佐伯好郎[4]によると、渡来系氏族である秦氏によって日本にも景教が伝わったともいわれる。中国ではダビデを漢訳して大闢と書くが、秦氏は西日本の日本海各地に大避神社と号する神社を建立し、また京都の広隆寺の隣に秦始皇帝を祭神の1つとして建立した大酒神社も、昔は大辟、さらにさかのぼると大闢と号していた。また同神社が管理している木嶋坐天照御魂神社にある「三柱鳥居」という珍しい鳥居は三位一体を表し、また「いさらい井戸」はイスラエルの転訛で、したがって旧約聖書に登場する失われた10支族の末裔ではないか、などと推察している。しかしこれには多くの異論があり、偽言語比較論として否定する向きも多い。(→日ユ同祖論)
弥勒信仰 というのがあります。
これはミロク(Miroku)=マイトレーヤ(Maitreya)であり、ミトラ教(Mithraism)で有る訳です。
弥勒菩薩(みろくぼさつ)、梵名マイトレーヤ(Skt.मैत्रेय [maitreya])、パーリ名メッテーヤ (Pali. metteyya मेत्तेय्य)は仏教の菩薩の一尊である。一部の大乗経典では字(あざな)が阿逸多 Ajita とされているが、スッタニパータ第五章や、中阿含経中の説本経などの初期経典の記述では、弥勒と阿逸多は別人である。弥勒はインドの波羅奈(バーラナシー)国に生まれ釈迦仏の化導を受けて、人寿八万歳の未来においてその時代の仏陀となるという記別を受け、また阿逸多は仏陀ではなく転輪聖王となるという記別を受けている。
ミトラ教またはミスラス教(-きょう,英語:Mithraism)は、古代ローマで隆盛した、太陽神ミトラス(ミスラス)を主神とする密儀宗教である。
普通、ミトラス教は古代のインド・イランに共通するミスラ神(ミトラ)の信仰であったものが、ヘレニズムの文化交流によって地中海世界に入った後に形を変え、主にローマ帝国治下で紀元前1世紀より5世紀にかけて発展、大きな勢力を持つにいたったと考えられている。しかし、その起源や実体については不明な部分が多い。
近代になってフランツ・キュモン(en)が初めてミトラス教に関する総合的な研究を行い、ミトラス教の小アジア起源説を唱えたが、現在ではキュモンの学説は支持されていない。
■弥勒信仰
仏教には、弥勒菩薩が存在し、「弥勒信仰」がある。この弥勒は、サンスクリット語ではマイトレーヤというが、マイトレーヤとは、ミスラの別名またはミスラから転用された神名である。すなわち「マイトレーヤ」は、ミスラ神の名と語源を同じくする。「mitra/miθra」は本来「契約」というほどの意味だが、後には転じて契約によって結ばれた親密な関係にある「盟友」をも意味するようになった。マイトレーヤはその派生形容詞/名詞で「友好的な、友情に厚い、慈悲深い(者)」の意味となる。また、弥勒の字である阿逸多 Ajitaはミトラの母であるアーディティヤが変化したものと言われている。ミスラはクシャーナ朝ではバクトリア語形のミイロ(Miiro)と呼ばれ、この語形が弥勒の語源になったと考えられ[27]、クシャーナ朝での太陽神ミイロは、のちの未来仏弥勒の形成に影響を及ぼす[28]。ミイロの神格は太陽神であるということ以外不明であるが、定方晟はマニ教の影響なども考慮して、救世主的側面があったのではないかと推測している。
このような比較神話学および比較言語学の系統分析によって、ミトラ教の神話体系が仏教では菩薩として受け入れられ、マイトレーヤを軸とした独特の終末論的な「弥勒信仰」が形成されたといわれる[29]。マイトレーヤ信仰または弥勒信仰はのち中国など東アジアに伝わった。
なお仏教の弥勒信仰以外にもインドではミトラ信仰・マイトレーヤ信仰があった。
{中央アジア経由でソロアスター教から仏教に融合されて日本に至った神にミトラ神がある。ミトラ神はゾロアスター教では主神アフラ・マズダの下位の神である。このミトラ神が漢訳されて毘沙門天つまり多聞天となった。ミトラ神は、ソロアスター教の文献によれば千の耳を持つとされる。ゆえに多聞天と意訳された。(京都大学名誉教授、宮崎市定が推定)}
ミトラ教とはゾロアスター教とルーツは同じ。
ゾロアスターは拝火教です。
ゾロアスター教の起源は古く、紀元前6世紀にアケメネス朝ペルシアが成立したときには、すでに王家と王国の中枢をなすペルシア人のほとんどが信奉する宗教であった[1]。紀元前3世紀に成立したアルサケス朝のパルティアでもヘレニズムの影響を強く受けつつアフラ・マズダーへの信仰は守られ、3世紀初頭に成立した、後続するサーサーン朝でも国教とされて王権支配の正当性を支える重要な柱とみなされた[1]。ゾロアスター教は、活発なペルシア商人の交易活動によって中央アジアや中国へも伝播していった。
ゾロアスター教は光(善)の象徴としての純粋な「火」を尊ぶため、拝火教(はいかきょう)とも呼ばれる。ゾロアスター教の全寺院には、ザラスシュトラが点火したといわれる火が絶えることなく燃え続けており、寺院内には偶像はなく、信者は炎に向かって礼拝する。ペルシャ、ギリシャから中国まで伝播し、日本に渡って来たのがゾロアスター教です。イエスに洗礼をしたヨハネですが、各地で水で洗礼を行い、こう言います。
「後から来る方はより強い洗礼を行う事が出来る、その方は火による洗礼を行い、邪悪なる物を焼きつくす」
後から来る人。
これがキリストを指しているんです。要するに、
キリスト教=ミトラ教
なんです。原始キリスト教の時代、イエスの弟子たちから結成されたエルサレム教団がありました。原始キリスト教(げんしキリストきょう)は、最初期のキリスト教のことであり、イエスの直弟子(使徒)たちがユダヤ、ガリラヤにおいて伝道活動(布教)を始めた時代より、新約聖書の主要な文書が成立した後の西暦150年頃までをいう。
最初に書かれた福音書であるといわれる『マルコ福音書』が成立した頃の西暦70年頃以前を「ユダヤ教イエス派の運動」と呼ぶ聖書学者もいる[1]。キリスト教がローマ帝国で広まり、ローマ皇帝テオドシウス1世が380年に国教と定める以前に建てられたキリスト教会を「初代教会」又は「原始教会」と呼ぶ。
最初の教会は、エルサレムに成立したとされる。そして、ユダヤ教徒によるエルサレム教会に対する迫害を契機にし、ステファノのグループが福音をサマリア・シリアへと宣教しにいき、それにペテロやパウロが加わって、福音はエーゲ海周縁諸都市から遂には60年頃にはローマにまで達したといわれる。これは当時ユダヤ教の時代、その中に違う宗教ができた=クーデターに匹敵する出来事です。オーム真理教が出て来た時みたいな・・・このエルサレム教団が、奥義として伝承していたのがミトラ教です。これが日本に伝播していたのです。日本に拝火教が多いのはミトラ教が元だからなんです。
このミトラ教の中でカバラを主体としたのがゾロアスター教。ミトラ教とエジプト文明が混ざった物と言われています。
このゾロアスターが栄えた地がギリシャ。ローマ帝国前の古代ギリシャの時代にこの勢力が根付いていた訳です。古代ギリシャではミケーネ文化が繁栄していたが、『前1200年のカタストロフ(前1200年の破局とも)』をきっかけに崩壊、それまで使用されていた線文字Bも使用されなくなり文字資料が乏しくなった。この状況はギリシャ人とフェニキア人が接触することによりアルファベットが成立してエーゲ海地帯に普及するまで続く。フェニキア人が接触するまでは暗黒時代で、接触後、繁栄して行く。まさに天才的なユダヤ人じゃないですか・・・
ローマ帝国に支配される前の時代に地中海を支配したフェニキア人勢力です。このギリシア帝国の交易に対する影響力を裏で宗教が操ったんですね。この流れは客家人に受け継がれているんです。そして後の日本の戦国時代にも。この様子を日本側から諜報活動し、一族内の伝書を作っていた部族が居ます。
柳生一族です・・・
新井白石が作成した系譜の『藩翰譜』(または後世の『寛政重修諸家譜』)によると、柳生氏の姓は菅原姓とされ、菅原道真が祖先とも言われている。使用の家紋は、「地楡に雀」、替紋に「柳生笠」。実際の柳生氏の事項が明らかになるのは、南北期の播磨守永珍(別名:宗珍、大膳亮永家の子とされる)の頃からで、柳生家の家譜である『玉栄拾遺』によると、元弘3年(1331年)に、南朝方として、六波羅探題の北条仲時・時益の軍勢と戦った永珍は戦功によって、後醍醐帝から賜った大和国小楊生(大楊生とも)庄の領主となり、柳生氏と名乗ったことから始まるとされる(ただし、『玉栄拾遺』の記述自体も伝承の域を出ないという)。
柳生家の発祥地は大和国添上郡柳生郷(現奈良市柳生地区)で、大和国北部にある。また「楊生」・「夜岐布」・「夜支布」・「養父」とも記され、いずれも「やぎう」と発音するという。戦国期に、上泉信綱から新陰流を相伝された柳生宗厳(石舟斎)は、永珍(宗珍)から8代目の子孫に当たる人物である。
この柳生一族は客家人なんです。もちろん、Wikipediaには、そんなこと書かれていません。
客家は大きく8流に分ける事ができ、言語も8つの方言があるそうです。この分けられた「流」のそれぞれを「柳」と呼びます。これが柳生という名の由来です。
客家人はシルクロードの各地、特に山岳地域に根を張って移動しましたので、情報ネットワークは繋がっていたんです。したがって15~6世紀にオランダを含む欧州情報が、日本の柳生家まで届けられていました。
当時の日本の武将達は、こうした他の誰も知らない情報を入手できる一族を、取り立てないはずが在りませんね?当然他の部族が持たぬ武器、戦術も持っていた。こうしたシステムで様々な国で、客家人は国家の重要な地位に取りたてられている訳です。
要するにカラスの真のルーツはこれなんです。
朝廷側の重責を担う秘密機関がカラスで、将軍側が柳生だったんです。両者ともに客家人。裏では通じていた・・・しかし、こうした原理原則とかけ離れた、古事記や日本書紀の記述から、皆カラスを解析して議論するんです。だから正しい答えは出て来ないのです。
付録:大本の節分儀式の様子
posted by r at 14:30 | 情報
コアな情報
http://utg.sblo.jp/article/187076843.html
日本人は、なぜに海を渡ったのでしょうか。
これまで、西へ渡った大きな理由は、7300~6300年前のキカイカルデラ火山活動による、壊滅的な環境破壊だと申して参りました。その時の地層も、地生する植物の進化も、いたる所で見る事ができます。ところが、その倍ほど昔、東へと渡っていたのです。
それは、火山活動の時の太陽信仰以前の、超古代の太陽信仰です。太陽の日の足(影延び、日足、太陽の子)が私たちでありますので、太陽が昇る東を求めたのです。さらには、その日足(八咫烏の足)の黒い影が、ワタリガラスの姿として現れ、追いかけて行く事になったのだと考えています。
拝ヶ石巨石群は、太陽観測のための巨石ですが、河内町芳野東門寺という住所で、町全体が石造りでもある河内町(坂口の実家は船津亀石)の東でもあります。
ところで、今週も、地球創世記、最初のアメリカ人は縄文人の、TV番組を観ています。
毎週毎週の番組を貫くキーワードは、ワタリガラスです。
アイヌから九州へ嫁に来た大叔母の話では、森や村を守るための戦いのため、人々を先導するワタリガラスの話があり、その話は、神武天皇を先導した八咫烏の神伝と似ています。
ところで、環太平洋のその土地土地の、インディアンやインディオの人類創世にかかわってきた金烏(迦那烏)こそ、私たち神日族(神日巣)日本人の祖先(阿耶高)です。偶然、宇宙人を呼び出す時の言葉も、アヤタカだそうです。そして、インディアン、インディオの方々にとって、日本人は、神であったのです。
ところで、縄文人の縄文土器こそ、それまで、人類にとって毒であったものを無毒化し、人口増加を可能にした神器でありました。されど、最も重要な鍵は、海藻を消化できるという、日本人特有の機能です。お隣の国も海苔を食べますが、生海苔は、日本人のようには、消化できません。この能力が、海岸づたいに、舟で遠距離を渡る事を可能としました。また、私たちの祖先が、天神(北極星)を信仰して参りましたのも、元は、航海のためであったと思われます。
坂口の家に伝わる顕幽神の、八咫烏の三本の足を祀る磨製石器も、造舟のための石です。拝ヶ石巨石群の星座が刻まれた巨石も、拝ヶ石では最も信仰された巨石です。
https://m.facebook.com/groups/501535436672325?view=permalink&id=1295167957309065
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