2016年10月19日水曜日

シナゴーグ跡発見


1世紀前半のユダヤ教会堂跡、日本の調査団発見・・イスラエル・テル・ヘレシュ遺跡
2017-01-31
「1世紀前半のシナゴーグ跡、日本調査団が発見・・イスラエル・テル・ヘレシュ遺跡」
読売新聞2016・10・19
イスラエル北部ガリラヤ地方のテル・ヘレシュ遺跡を発掘調査している日本の調査団が今夏、
紀元後1世紀前半に建てられたシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)跡を発見した。
これまで初期のシナゴーグは発見例が少なく、貴重な成果となる。
調査団は、天理教や立教大などの研究者が参加し、2006年から同遺跡を発掘。
発見されたシナゴーグ跡は、未発掘部分も含め、南北9メートル、東西8メートルになるとみられる。
壁の内側には、古い時代のシナゴーグの特徴である石のベンチが設けられていた。
出土した土器やコインの型式から、1世紀前半~2世紀前半に使われたと判断した。
シナゴーグは、後70年にローマ帝国がユダヤ教の中心地だったエルサレム神殿を破壊した後、
ユダヤ教の信仰の場として重要な役を担うようになったとされる。
テル・ヘレシュは人口80~100人の集落だったと考えられ、
今回の調査によって、小規模集落にも早い時期からシナゴーグがあったことが確認された。
ガリラヤ地方は、イエス・キリストが宣教を開始した地域として知られる。
新約聖書の「マタイによる福音書」には、「イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教えた」ことが記され、
長谷川修一・立教大准教授(聖書考古学)は、
「テレ・ヘレシュは、イエスが暮らしていたナザレから16キロしか離れていない。
この会堂でもイエスが教えたかもしれない」と話す。
調査団は来年以降、未発掘の東側部分を発掘し、シナゴーグの全容を明らかにする方針だ。
           ・・・・・
この記事を読み、この遺跡の発掘にも関わり、記事でも見解を述べている長谷川修一氏の「聖書考古学」という本を読んでみました。
時代背景などをざっと補足しておきたいと思ったからです。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
           *****
         (引用ここから)
パレスチナはヘレニズム時代初期、エジプトのプトレマイオス朝の勢力下にあった。
その後、紀元前200年ごろ、シリアのセレウコス朝がプトレマイオス朝から同地域を奪取する。
ヘレニズム時代後期には、ユダヤ人が「ハスモン朝」と呼ばれる独立王国を一時的にユダヤに打ち立てた時代もあった。
このセレウコス朝下で、ユダヤ人は反乱を起こし、
ハスモン家がユダヤ人の王国を再び樹立することに成功したきっかけは、
紀元前167年、時の王が神殿を汚したことにあった。
セレウコス朝との闘いに勝ち、「異邦人」の手から神殿を奪還したユダヤ人たちは、神殿をきよめる儀式をおこなった。
この義域には、ろうそくを8日灯さなければならなかったが、神殿には1日分の油しか残っていなかった。
ところが、この1日分の油で、8日間ろうそくが灯るという奇跡が起こったとされる。
ユダヤ人は「神殿のきよめ」と、「この時起こった奇跡」を記念し、「ハヌッカー」という祭を今日までお祝いしている。
もしこの闘いに負けていたら、「ユダヤ教」は今日のような形で残っていなかったかもしれない。
そしてユダヤ教を母体として成立した「キリスト教」も、今日なかったかもしれない。
ユダヤ人の王朝であるハスモン朝の下で、ユダヤ教は繁栄した。
とくに神殿のあったエルサレムは、政治と宗教の中心地として大いに栄えた。
紀元前2世紀後半、エレウコス朝の弱体化に伴って、ハスモン朝は勢力を強め、
次第にエルサレム周辺よりもさらに北方の地域をも制服していった。
ハスモン朝は、征服した地域の住民に、ユダヤ教に改宗するか?と力で改宗を迫ったという。
人々が出て行った後の土地は、ユダヤ人を入植させた。
言わば、パレスチナの「ユダヤ化」がすすんだ時代であった。
後にイエスが育ったガリラヤ地方が「ユダヤ化」されたのも、この時代である。
しかし西の方では、ローマが勢力を強め、やがてセレウコス朝を破った。
そしてローマは弱体化したハスモン朝をよそに、最終的にはパレスチナの実質上の支配者となっていくのである。
「マタイによる福音書2章1節」には、「イエスが生まれたのはヘロデ王の時代であった」と書かれている。
イエスの誕生に関連してその名をよく聞かれるこの大王の生涯を概観してみよう。
ヘロデが生まれたのは、紀元前74年頃のことと言われる。
彼は「異邦人」、つまり「非ユダヤ人」であった父の下に生まれた。
彼の父親はユダヤ教に改宗し、ハスモン朝に仕えていたが、
ローマがパレスチナまで勢力を強めると、ローマ軍の軍事行動を積極的に支持し、ローマのユリウス・カエサルの信任を得ている。
カエサルの死後、ヘロデはマルクス・アントニウス(カエサルの養子)の支持に回った。
つねにローマの勢力を後ろ盾にしながら、たくみに同盟相手を乗り換えることによって、
ヘロデは着実にパレスチナでの権力を強固なものにしていった。
彼がユダヤ教に改宗したことや、ハスモン朝の王女を妻に迎えたことは、
自分の統治していたユダヤ人に受け入れられやすいようにするための方策だったと言われている。
ヘロデは紀元前37年に、ローマからユダヤ国王として認められると、
自分に反乱を起こしそうなハスモン朝の末裔たちを次々に殺害していった。
自分の妻や息子さえも殺した。
ヘロデが死んだのは、紀元前4年である。
「福音書」の記述に従えば、イエスはそれよりも前に誕生していたことになる。
ヘロデはその生涯中に行った様々な建設活動で、ローマ世界に名をとどろかせている。
とりわけ特筆すべきは、エルサレムの神殿の修復と拡張である。
当時のエルサレムの神殿は、ペルシア時代に建てられた「第2神殿」であった。
律法のこまかい指示に則って建てられた神殿の構造、装飾を変更することを避け、
ヘロデは神殿を取り囲む部分の拡張と装飾に集中した。
後世のユダヤの賢人は、完成した神殿域のあまりの美しさに、
「ヘロデ王の建てた建物を見るまでは、美しい建物を見たとは言えない」という言葉を残しているほどである。
この工事の際、ヘロデはユダヤ人の信仰の拠り所である、神聖な神殿に、ヘレニズム=ローマの建築様式を取り入れた。
ヘロデは他の面でも巧みに振る舞い、ユダヤ人からもローマ人からも敬われた。
ヘロデの後継者たちは、誰一人として彼のようにユダヤ人とローマ人の双方からの敬意を勝ち取ることはできなかった。
かれらは逆に、一神教を奉じるユダヤ人と多神教のローマ人の間の緊張関係を高めてしまう。
その結果、紀元後66年、ユダヤ人はローマに対する大規模な反乱を開始した。
そして紀元後70年になると、エルサレムはローマ軍によって破壊され、その住民は奴隷となり、
ヘロデが大拡張した美しい神殿もまた破壊されてしまったのである。
紀元132~135年に、ユダヤ人は再びローマに対して反乱した(第2ユダヤ戦争)
紀元1世紀のエルサレムの家屋から、しっくいの壁に刻まれた装飾がみつかった。
そこに描かれている〝枝付き燭台″は「メノーラ」とよばれるものだが、
ヘロデ時代の神殿の聖域に建てられて燭台を描写したものではないかと考える研究者もいる。
当時のユダヤ人がいかに神殿を誇りに思っていたかを、このような資料からもうかがうことができるであろう。
紀元30年代、イエスがエルサレムとその神殿を訪問した頃、神殿の一部はまだ建設中であった。
ヘロデが着手した建築計画は、彼の死後も続けられ、ほぼ100年たってようやく完了したのである。
紀元70年、エルサレムに侵攻したローマの将軍(後のローマ皇帝)は、神殿のあまりのみごとさに打たれ、
自ら全軍に破壊命令を下さなければならないことを嘆いたと言われている。
           (引用ここまで)

始まりに向かって
http://blog.goo.ne.jp/blue77341/c/cd86d706a9d8afba44ecf5d76c3b98ca









過越というのは、一般的な説明では下のようなものです。
過越 – Wikipedia
過越(すぎこし)またはペサハ (pesach) とは、聖書に記載されているユダヤ教の祭り。
特に、最初の夜に儀式的なマッツァー(酵母の入らないクラッカー状のパン)等のごちそうを食べて、
その後、お祝いする。
ユダヤ暦は太陰暦であり、過越は「春分の日の後の最初の満月の日」に祝われる。
というものですが、この祭事が始まった「本当の意味」を書きますと次のようになります。
ユダヤ教の「過越」は、神が与えようとした十の厄災のうちの「最後の災い」を避けるために「犠牲」を捧げる祭
なんです。
十の厄災とは、旧約聖書『出エジプト記』に出てくるもので、下のような厄災が順次訪れるというものです。
聖書に記述されている「十の災い」
1. 水を血に変える(川や海が赤くなる)
 2. カエルの大群を放つ
 3. ぶよを放つ
 4. アブを放つ
 5. 疫病を流行らせる
 6. 腫れ物を生じさせる
 7. 雹(ひょう)を降らせる
 8. イナゴを放つ
 9. 暗闇でエジプトを覆う
 10.初子(長子)をすべて殺す
ジャパネットたかたを見ていますと、私などは「この値段で十分に安いのでは」と思っていても、
「何と、ここから下取りで2万円引き!」とか、「さらに、ここから 5000円値引き」というように矢継ぎ早に値引きが提示されますが、
聖書の神の厄災の場合も、私などは「イナゴだけでも十分なのでは」と思うのですが、
そこに「カエル、ぶよ、アブも」と矢継ぎ早に災いが訪れるのです。
それで、いろいろとあった後の最後の災いが、
> 10.初子をすべて殺す
となっているのです。
これは「すべての家の最初に生まれた子どもを殺す」という意味です。
それは困ります。
それは本当に困るということで、その回避方法が聖書に出ているのですが、
その記述が過越の祭の「本当の意味」です。
旧約聖書からその部分を抜萃いたします。
出エジプト記 12章 21-24節
モーセは、イスラエルの長老をすべて呼び寄せ、彼らに命じた。
「さあ、家族ごとに羊を取り、過越の犠牲を屠りなさい。
そして、一束のヒソプを取り、鉢の中の血に浸し、鴨居と入り口の二本の柱に鉢の中の血を塗りなさい。
翌朝までだれも家の入り口から出てはならない。
主がエジプト人を撃つために巡るとき、鴨居と二本の柱に塗られた血を御覧になって、その入り口を過ぎ越される。
滅ぼす者が家に入って、あなたたちを撃つことがないためである。
あなたたちはこのことを、あなたと子孫のための定めとして、永遠に守らねばならない。
モーセは、「さあ、家族ごとに羊を取り、過越の犠牲を屠りなさい。 」と言っています。
これはつまり、家族のために羊を自らの手で殺しなさいと。
そして、「その羊の血をドアの鴨居(かもい)に塗りなさい」と。
鴨居に殺した羊の血を塗る様子
・A Survey of the Old Testament Law–“You shall keep the Passover”
聖書には、
> 主がエジプト人を撃つために巡るとき、鴨居と二本の柱に塗られた血を御覧になって、その入り口を過ぎ越される
とありますが、この「過ぎ越される」は、神が「災いを与えずに通り過ぎていく」という意味で、
そこから「過越」という言葉がありますが、
これは要するに、「入口に羊の血が塗られている家の子どもは殺さない」ということで、
「神に犠牲の証拠を見せなければならない」
ということになるのでしょうかね。
聖書の世界では、自分の子どもの命を守るためには、
「他の命(たとえば羊)を犠牲にしなければならない」というのが神の命令が描かれているようです。
しかし、現代社会には「殺す羊はそうそういない」ということも言えます。
「そういう場合の犠牲の証拠は?」
というようなことを当時考えたりしたものでした。
まあ、しかし、そのことはいいです。別に「羊の代替が人間」というようなことを書こうと思っているわけではありません(書いてるじゃないの)。
いずれにしても、2014年4月から始まった壮絶な犠牲の連続の時期は 2015年9月28日で終わったわけですが、
しかし、過越の祭そのものは、毎年行われます。
今年はいつかといいますと、先ほどの Wikipedia に、
> 過越は「春分の日の後の最初の満月の日」に祝われる
ということで、今年 2017年の春分の日の後の最初の満月は 4月11日で、つまり、昨日から「過越」が始まっています。
今年の過越は何かの天文現象と重なっているわけではないですが、
ただ、 今年 2017年というのは、この年全体を通して「日食において、歴史的な年となる」ことが確定している年でもあることは、
・「99年ぶりのアメリカの皆既日食」と「北緯33度線」がクロスする唯一の都市へいざなってくれた使者たち 2016/11/18
という記事などから何度かふれています。
2017年のふたつの完全な日食のルート
そして、その「犠牲の祭事」過越が始まった 4月11日、アメリカのトランプ大統領は、「朝鮮半島に無敵艦隊を送った」と語ったのでした。
北朝鮮へ「無敵艦隊」派遣=挑発容認しないと米大統領
時事通信 2017/04/12
米メディアによると、トランプ大統領は12日に放送予定のFOXビジネス・ネットワークのインタビューで、
北朝鮮対応について「『無敵艦隊』を派遣した」と語った。
北朝鮮の近海に向かっている米海軍の原子力空母カール・ビンソンを中心とした空母打撃群を指しているとみられる。
一方、スパイサー大統領報道官は11日の記者会見で、大統領は北朝鮮の弾道ミサイル発射を含む一連の挑発行動を
「容認しないと明確にしている」と述べた。
その上で「大統領はすべての選択肢をテーブルの上に置いている」と指摘し、
軍事力行使も選択肢に含まれていることを示唆した。
この「無敵艦隊(英語で Armada / アルマダ)」という言葉は、
1588年のアルマダの海戦での「スペイン無敵艦隊」以来使われている言葉ですが、
実際には、この時のスペインの無敵艦隊は
しかし、7月から8月にかけて行われた無敵艦隊とイギリス海軍との決戦は、機動力に富んだイギリス海軍の大勝利に終り、スペインに帰国した戦艦は半数以下であった。
無敵艦隊の大敗北により、制海権はイギリスの手に渡り、
スペインの国際貿易,植民地経営は打撃を受け国力の衰退を招くにいたった。
(ブリタニカ国際大百科事典)
というもので、当時の大国だったスペインが、
> 国力の衰退を招くにいたった
キッカケを作ったものでもありました。
なので、「無敵艦隊は国の衰退の象徴」ともいえそうで、
どうして、トランプ大統領がこの言葉を使ったのはわからないですが、
・犠牲の時期
と共に、
・国力衰退の象徴
が動き出す、という微妙なタイミングとなってきています。
どうなるのでしょうかね。
なお、今年の「過越」が終わるのは 4月17日です。

In Deep
http://indeep.jp/what-means-us-sending-armada-to-north-korea-in-2017-passover/






春の満月と同時に始まるユダヤ教の犠牲の祭典「過越」に突入した日に、国力衰退の象徴「無敵艦隊」がアメリカから朝鮮半島に向けて出発した
2017/04/12  
・See a Stunning Pink Moon Rise Tonight
「過越(すぎこし)」の祭というのはユダヤ教の重要な祭事のひとつですが、私がこの奇妙な響きの日本語を知ったのは 2014年のことでした。
その年 2014年 4月からの約1年半の間、
「ユダヤ教の祭事と4回連続する皆既月食の奇妙な連続するシンクロが始まった」
ということを知ったのです。
そして、このことに、かなり強い興味を持ったのでした。
下の表はそれを示したもので、このように4回連続で皆既月食が起きることをテトラッドといい、
これ自体も珍しいものですが、そこにすべてユダヤ教の宗教的祭事が重なったのでした。
そして、今年もまた過越の期間に突入しました。

In Deep
http://indeep.jp/what-means-us-sending-armada-to-north-korea-in-2017-passover/










異常な「大量犠牲の時期」だった1年半を振り返れば
このことに関しては最初、
・赤い月と黒い太陽: 2014年から 2015年まで「4回連続する皆既月食」がすべてユダヤ教の重要宗教祭事の日とシンクロ。
そして、過去の同じ現象の時に「イスラエルの建国」があった
 2014/04/06
という記事でご紹介した後、
「どうも、このシンクロは《流血》と《犠牲》と関係しているように思えて仕方ない」
というようなことになり、その後いくつかの記事に書いたこともあります。
[参考記事]
 ・「神の意志、あるいは悪魔の輪郭」 : 北緯 33度線にある韓国の済州島。そして「血の月」の連続と共にユダヤ教では祭りに突入
 (2014/04/18)
 ・テトラッドの3回目の皆既月食がやってくる中で何だかいろいろとおかしい : トルコとオランダの大停電、CERNの大型ハドロン衝突型加速器の故障、相次ぐ事故や爆弾予告 (2015/04/01)
そして実際に、先ほどの表にしました1年半の間というのは、
信じられないほど「事故」や「若者の大量の犠牲」が多く発生した時期で、
韓国でフェリーが沈没したのもこの時期でしたし、「飛行機の事故」に至っては、下のように「異常な数」でした。
4回連続した皆既月食の期間(2014/04/15 – 2015/09/28)に発生した旅客機事故や行方不明
・2014年03月08日 マレーシア航空370便 消息を絶つ(乗客乗員 239名 / 安否不明)
 ・2014年04月16日 韓国セウォウル号の沈没( 295 名死亡)
 ・2014年07月17日 マレーシア航空17便 ウクライナで撃墜(乗客乗員 298名 / 全員死亡)
 ・2014年07月23日 トランスアジア航空222便 台湾で墜落(48名死亡)
 ・2014年07月24日 アルジェリア航空5017便 マリで墜落(118名死亡)
 ・2014年08月10日 セパハン航空140便 イランで墜落(39名死亡)
 ・2014年12月28日 エアアジア8501便 インドネシアで墜落(乗客乗員 162名 / 84遺体収容)
 ・2015年03月24日 ドイツ旅客機が墜落(乗客乗員 150名 / 全員死亡)
この最後のドイツ旅客機が墜落した 2015年3月以降の2年間を考えれば、
この1年半の期間の旅客機事故の数は「異常」と表現して構わないと思います。
上にあげたリストだけでも、たった半年の間に、旅客機事故だけで 1349人が亡くなっているのです。
他にも、この期間には、2014年7月から 8月にはイスラエルのガザ攻撃で 2100名が死亡したり、
2015年6月には、IS がラマダン攻撃を行い、各国で 403名が死亡しています。
後から振り返れば、ものすごい時期だったことがわかります。
しかし、「なぜ犠牲が?」と私は当時思っていたのですが、何よりも、
「過越という祭事そのものが犠牲の祭り」
だということを知ります。
犠牲の日々の中で「人間は羊の代役」なのかもしれないと思ったり

In Deep
http://indeep.jp/what-means-us-sending-armada-to-north-korea-in-2017-passover/






西暦 2017年 4月 11日は、
旧暦 2017年 3月 15日 大安(たいあん)です。
ユリウス日 = 2457854.1667
太陽の黄経 = 20.976°
月の黄経  = 194.263°
本日の月齢 : 14
月相    : 13
輝面比   : 99.66%

【みんなの知識 ちょっと便利帳】旧暦計算
http://www.benricho.org/koyomi/kyureki/




西暦 2018年 4月 11日は、
旧暦 2018年 2月 26日 先負(せんぷ、せんまけ、さきまけ)です。
ユリウス日 = 2458219.1667
太陽の黄経 = 20.736°
月の黄経  = 316.473°
本日の月齢 : 24.6
月相    : 23
輝面比   : 28.29%

【みんなの知識 ちょっと便利帳】旧暦計算
http://www.benricho.org/koyomi/kyureki/


0 件のコメント:

コメントを投稿