2016年12月28日水曜日

古代アステカ伝承

古代アステカ伝承
マヤの予言と一口に言っても、実は様々なものがある。
大きな範囲でマヤの予言を取り上げようとすると、マヤ地域、つまり現在のメキシコやグアテマラを中心とした地域に伝わる予言伝承や予言体系全般が関わってくる。厳密なマヤの予言というよりも、包括的な意味でマヤ以外の他の部族の予言も含まれることになる。
中央アメリカ地域全般の予言は、マヤ暦と類似した暦の体系や、それに基づく周期説が常に背後にある。マヤの暦他の部族も使っていたので、厳密にマヤだけを取り上げて境界線を引くことは難しく、またこれらの予言は相互に関連している。
マヤの人々やその他中央アメリカに生きる人々にとっては、少なくともスペイン人がやってくる16世紀までは、彼ら独自の暦と同時に予言もまた文化の一部であり、生活の一部であった。また毎日の生活を司る彼らの暦そのもの、そして多く残されている遺跡やピラミッド群が、暦の体系すなわち予言の体系をもとにして作られてると言っても良い。
この意味では彼らの予言は「預言」となっていたと言えるだろうし、また彼らの建造物は、マヤ文明が滅亡を自ら予言した事実を物語るかのように、今も無言の声で私たちに語りかけている。
彼ら古代のマヤ人やマヤと文化的に交流のあったその他の部族は、毎日を生きることで予言そのものを生きていた。
この事実を踏まえることが、マヤや他の中央アメリカの部族の予言の解釈において、重要な要素の一つであるように思う。
以下、中央アメリカの予言の中で最も代表的なものと思われるものを紹介しよう。
まず、予言の基盤となるものとして、次の伝承が挙げられる。
古代アステカの人々の間で伝承されてきた物語に、「5つの太陽の伝説」と呼ばれる神話がある。この伝説は、人類が創造された場所に関する記述や、過去に4つの太陽が滅び、どのようにして5番目の現在の太陽の時代がやってきたのかについて、述べられている。
メキシコシティの国立人類学博物館の代表的な展示物、アステカのカレンダーストーン(暦石)に記録された4つの太陽と5番目で中央の太陽の姿を思い浮かべられる読者もいるかもしれないが、まさにあの石の彫刻を裏付けるような物語である。
この伝承における太陽とは、単なる物理的な太陽魚さすだけではなく、特定の時代区分をさす。
太陽は地上に光をもたらす存在であり、俺は地上の生き物は、全て光によって物事を認識する。また、物理的な意味で地球は太陽の周りを公転しながら1年という時を刻んでいる。事実、私たち地球に住む者たちの時間は、太陽にもよってもたらされていると言っても良い。つまりすべての物事は太陽にその起源を持つのである。このような考え方は特にこの伝説をもたらしたトルテカ人やアステカ人に強く見られ、彼らは「五つの太陽」と呼んで、各々の時代を太陽に見立て語る。資料によって数値(年表)の表記が、表記の内容に様々なバリエーションがあるが、この伝説の内容の一例を次に見てみることにしよう。
第一の太陽は彼らの暦に基づいて、「4・虎」という名前が与えられている。この時代は676年間(52年×13)続いた。この太陽の人に住む者たちは「1・葦」の年、「4・虎」の日に虎に食われて、その太陽と世界は消滅した。
第二の太陽は「4・風」と呼ばれる。この太陽の下にあるもの全ては「1・火打石」の年、「4・風」の日に吹き飛ばされてしまい、人間は全て猿になってしまった。この太陽の時代は364年間(52年×7)続いた。
第三の太陽は「4・雨」と呼ばれ、312年間(52年×6)続いた。この世界は火の雨が降って滅びる。太陽は燃えあがり、家は焼けてしまった。「1・火打石」の年、「4・雨」の日の事であった。
第四の太陽は「4・水」と呼ばれ、676年間(52年×13)続いた。この世界は「1・家」の年、「4・水」の日に滅亡した。天が崩れ落ちるように水が落ち、52年間地上は水浸しになり、人間は魚になった。
このようにして4つの太陽の時代は過ぎ去った。「4・虎」、「4・風」、「4・雨」、「4・水」と呼ばれる太陽は、それぞれ「土」、「風」、「火」、「水」の太陽とも呼ばれ、自然の4大元素や4方向にも関連づけられている。そして、最後に中央の5番目の太陽の時代、すなわち今の時代がやってきた。
第五の太陽は、「4・動き」と呼ばれている。この太陽は最初は止まったまま動き始めることがなかったが、神々に死がもたらされることで、太陽は動き始める。それは「13・葦」の年、西暦で言うと751年のことだったと「クワティトラン年代記」には書かれている。
また西暦699年にあたる年から、この年までの52年間は、世界は活動やめており、動き出すことはなかったと記録されている。これらの伝説や記録を総合すると、私たちは西暦751年から、新しい「第五の太陽の時代」に入ったことになる。
事実、この 「クワティトラン年代記」によれば、翌年の西暦752年から、トルテカ帝国が始まった。
トルテカ帝国とは、この時期以降に中央アメリカ地域を席巻することになる部族の名前である。
マヤ暦は、2012年思って5000年以上に渡った大きな歴史の1サイクルが終わる。ここで興味深いのは、西暦752年から、この暦の終わりの時点である2012年まで、正確に1260年であることである。つまり、見方によっては、この時期から1260年間という、最後で第五番目の太陽サイクルに私たち人類は生きているのである。
また、そのまま伝説を継承した形でこの時代が滅びるとすれば、「4・動き」の日に、何らかの「動き」で滅びることになる。この「動き」は、アステカ人のサワトル語で「オリン」と呼ばれ、変化や地震、または飢餓を象徴するものである。
これらの伝説を読み解くにあたって、ポイントは二つある。一つはこれだの伝説が全てマヤの暦法の基本となる52年のカレンダーラウンド(還暦)一周として、その倍数によって構成されているということである。中国式の60年1サイクルの還暦というよりも、マヤやアステカの暦はむしろ52年サイクルをひとまとまりとしている。
マヤの予言はこの周期を基本としているが、中央アメリカ地域の予言を語るにあたっては、この52年1サイクルの周期が常に背景にあるのである。
-日本文芸社 予言の全て 1996年刊

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ヴォイニッチ手稿とは
ヴォイニッチ手稿は、一般的な説明を Wikipedia から抜粋しておきますと、次のようになります。
14世紀から16世紀頃に作られたと考えられている古文書。
全230ページからなり、未知の言語で書かれた文章と生物を思わせる様々な彩色された挿絵から構成されている。
文章に使用されている言語は、
単なるデタラメではなく言語学的解析に照らし合わせ、
何らかの言語として成立機能している傍証が得られているため、
一種の暗号であると考えられているが内容は不明。
ページの上部や左右にはかなり緻密な、植物や花の彩色画が描かれている。
植物の絵が多いが、それ以外にも、銀河や星雲に見える絵や、
精子のように見える絵、複雑な給水配管のような絵、
プールや浴槽に浸かった女性の絵などの不可解な挿し絵が多数描かれている
なお、書かれた年代に関しては、アリゾナ大学で行われた放射性炭素年代測定により、
ヴォイニッチ手稿に使用されている羊皮紙が「 1404年から 1438年に作られたと判明」したことが
 2011年2月11日の Discovery News で報じられました。
内容の執筆時期はさらに後年の可能性があるそうですが、
いずれにしても 1400年代のその頃から記述され始めたということは濃厚のようです。
Wikipedia の説明にある「文章に使用されている言語」は下のような表記です。
現在、下のサイトですべてのヴォイニッチ手稿のページが閲覧できます。
・Voynich Manuscript - Photo gallery
ヴォイニッチ手稿に関しては、過去に何時か記事にしたことがあります。
・『ヴォイニッチ手稿を解読した』という人物の登場
 2011年12月06日
・クロップサークルやエジプトの亡霊の話題などの続編と「年代が特定されたヴォイニッチ手稿」のことなど
 2011年02月14日
などです。

In Deep (旧)
http://oka-jp.seesaa.net/article/387784557.html



そして、このヴォイニッチ手稿は、多くの人が解読に挑んできた歴史があります。
The Most Mysterious Manuscript in the World には、これまで世界中の非常に多くの、言語学者、歴史学者、暗号学者、植物学者、
オカルティストたちなどが解読に挑んで、ことごく失敗してきた歴史などが書かれてあり、
そして、現在の科学界では、
「この手稿を解読しようと試みるものは皆、
人生の貴重な時間をまったく成果のない調査に費やすことになるであろう」
という結論への帰結を辿ろうとしているようです。
上記サイトには、中世において、ヴォイニッチ手稿は、
・植物学者たちは植物についてはナンセンスであるとした。
・天文学者たちは天体についてはナンセンスであるとした。
・占星術師たちは占星術的なものはナンセンスであるとした。
・製剤の専門家たちは薬草はナンセンスであるとした。
・暗号作成者たちは暗号はナンセンスであるとした。
・美術史家たちは絵の年代は特定できないとした。
・古書の研究家たちは書の年代は特定できないとした。
・そのスタイル、体裁、出版は知られているものと共通点はない。
とされましたが、
結局、これらは当時の「西洋の視点と知識からの見識」だけのものだったからこのような結論となったということがいえるかもしれません。
そして、植物学的にはかなり的確な指摘だと思われる今回の米国植物協議会の論文は、
ヴォイニッチ手稿が、メキシコのアステカ文明下での知識を示している可能性が高いということに迫るものなのです。
また、ヴォイニッチ手稿で使われている言語(表記ではなく文法)を解くポイントに関しても、
現在は消滅した言語である「古典ナワトル語」というものとの文法の関連性が指摘されていて、
どうやら、ヴォイニッチ手稿はヨーロッパの神秘主義との関連よりも、
メソアメリカ文明の「実生活」との関連を探ったほうが近いという可能性を感じます。
あくまで、非常に個人的な感覚としてのことですが、
ヴォイニッチ手稿は、アステカ文明の薬学か医学の知識が書かれている書物だという感じがします。

In Deep (旧)
http://oka-jp.seesaa.net/article/387784557.html


アステカ文明の歴史は Wikipedia によりますと、
・1428年頃から1521年までメキシコ中央部に栄えたメソアメリカ文明の国家
とあり、また、上に書きましたように、ヴォイニッチ手稿は、放射性炭素年代測定からは、
・ 1404年から 1438年頃から編纂され始めた可能性が強い
となっていて、アステカ文明とのリンクは年代でも適合する部分もあります。

In Deep (旧)
http://oka-jp.seesaa.net/article/387784557.html













予知情報

数秘術で終わり《9》を意味する2016年か ら、始まり《1》を意味する2017年への移行 の中での激変を避けることはまず不可能
 2016/12/12
・micheleknight.com
2 + 0 + 1 + 6 = 9
今日は、今年の途中くらいから考えていたことの詳細などを調べてい て、結局すべてを書くのには間に合わなかったのですけれど、何を調 べていたかといいますと、昨年の 12月に、
・2016年からは正念場を迎えるかもしれない日本(15年後に国の借金は3500兆円)について思ういくつかのこと
2016/12/30
という記事を書いたことがあります。
その最後のほうに、2016年という年の数が「数秘術」から見れば 「9」という数字を意味するということに少しふれています。
抜粋しますと、以下のように書いていました。
2016年の「 2016」という数字は、数秘術からいえば「9」 という数を意味します。
数秘術は1から9までの数字にすべてを還元しますので、そ の最後の数字ということになり、その意味は、数秘術のサイ トによれば、
終わり。ヴィジョン。寛大。変容。スピリチュアル な意識。宇宙。教え。全体性意識。完全性。
とあり、2016年は「完全性」を表す数の年でもあります。
数秘術とは、それが正しいのがどうかは別にして、以下のようなもの です。
数秘術とはより抜粋
数秘術では、その基本原理としてひとつひとつの数には特別 な意味があると考えます。また、この宇宙のすべてのもの は、「数の法則」によって秩序づけられ、支配されていると もみなされます。したがって、その数の法則に基づくこと で、わたしたちひとりひとりの「運命」、「使命」、「才 能」、「カルマ」、「人生の意味」などといったことすべて を明らかにできる、と数秘術師たちは考えています。
これを知った時、最初は単なるオカルトだと思っていたのですが、そ の後、年代や人の名などを含む様々な「数」を数秘術に照らし合わせ ると、それは「本当そうだよなあ」という結果となることがとても多 いのです。
それでも、真偽はともかくとして、数秘術では、言葉(アルファベッ トなど)も数字も、すべて「一桁の数字」に集約させて、その意味を 見ます。
つまり、数か名称を持つすべての事象が「1、2、3、4、5、6、 7、8、9」のどれかの意味を持つということです。0(ゼロ)はあ りません。
そういう意味では、今年 2016(2+0+1+6)年は「 9 」を意味し、 先ほどの抜粋にもありましたが、「 9 」の意味は、「終わり」とか 「変容」などといったものを意味します。
では、その次はどうか。つまり、たとえば、2016年の次は 2017年で すが、それはどうなるかというと、2017年なら「 2+0+1+7 = 10 → 1+0 = 1 」となり、来年 2017年は「 1 」となります。
この「 1 」の意味はといいますと、先ほどリンクしたサイトの説明で は、
はじまり。独立。革新。リーダーシップ。男性原理。
とあります。
数字 9 が「終わり」なのに対して、こちら 1 は、「はじまり」の意味 が強いものなのです。
そういう意味では、来年 2017年は、そういう年になるはずです。
そ れについては間違いないと思われます。
しかし、それは「いい始まりばかりではない」でしょうけれど。
たとえば、前回の「9から1に移行した年」としては、
2007年(2+0+0+7= 9 )から 2008年(2+0+0+8= 10 → 1+ 0 = 1 )
でした。
その1の意味を持つ「始まりの年」だった 2008年は本当にいろいろ なことがあったとはいえ、特に代表的なものを無理やり絞れば、
・リーマンショック ・バラク・オバマ大統領誕生 ・四川大地震(死者数推定8万7000人) ・ガザ紛争(推定死者数1300人以上)
などでしょうか。
そんな「始まり」の年でしたが、今回は、「終わり(数字9)」であ る 2016年に、ドナルド・トランプ大統領が誕生して、「始まりの年 (数字1)」の 2017年に就任します。
「1」の年の 2008年にはリーマンショックをはじめとして、本当に いろいろなことがありましたが、
実は、前年の「9」の年である 2007年にはそれほど大きな出来事はなかったような印象があります。
かなり調べてみても、個人的な意味で大きかった「バージニア工科大学銃乱射事件(33名死亡 / 容疑者チョ・スンヒ)」以外はあまり大き な印象がないです。
私はこのバージニア工科大学銃乱射事件をキッカケとして、「クレア なひととき」というブログを書き始め、それが In Deep につながって いきました。
ちなみに、その 2008年の前の「1」の年は・・・といいますと、 1999年でした。
これは「ミレニアム=1000年紀の最後の年」でもありましたし、ある いは、ノストラダムスの大予言などで「人類の滅亡」が予言されてい て、予言通りに滅亡した年でもあります。
その 1999年の前の「1」の年は、1990年です。
・イラクのクウェート侵攻(後の湾岸戦争に発展) ・東西ドイツ統一 ・新天皇陛下(平成天皇)の即位の礼
がありました。
1990年に、平成天皇の即位の礼があり、その前年に昭和天皇が崩御な されたのですが、つまり、昭和天皇は 1989年(1+9+8+9= 27 = 2+ 7 = 9 )の、終わりを意味する9の年に崩御されたということになり ます。
また、この「終わり」を意味する 1989年は、手塚治虫死去、美空ひ ばり死去、松田優作死去、そして、天安門事件とベルリンの壁崩壊と いう「終わりに満ちた年」だったとも言えます。
そして、今年 2016年。
これは同じ終わりの「9」の年でもあります。
この「終わりの年」にどんなことがあったかは、それを列挙するのは 難しいくらいにいろいろとありました。
リーマンショックのあった 2007年の出来事で絞りに絞って4つにま で減らせましたが、今年はどうか。
どうやっても、下にまでにしか絞れません。
2016年で印象に残っている出来事
・熊本地震 ・パナマ文書 ・イギリスEU離脱 ・北朝鮮が水爆実験 ・欧米各地でテロの連鎖(ベルギー、フランス、ドイツ、米 国他) ・トルコのクーデター未遂。死者200人以上 ・日本で戦後最多の大量殺人(相模原障害者施設殺傷事件) ・タイの国王ラーマ9世が死去 ・アメリカ大統領選でドナルド・トランプ氏が勝利
今年という年は、感覚的な意味ではなく、本当にいろいろなことが あったのです。
そして、この状態のまま来年の「9年単位での何らかの始まり」の年 に突入すると考えると、眠くなるではないですか(眠くなるのか よ)。
まあ、眠くなるのはヘンですが、妥当な言葉が思いつきませんでし た。
ちなみに、私が生まれた年は実は「1」の年(1962年)で、それから の9年単位で世界の歴史を見直していたのですが、さすがに時間的に 厳しく、うまくまとめることはできませんでした。
なお、今年もあと 20日くらいですが、2016年で「日付けを合わせて 9を意味する日」は、あと2日だけです。
2016年12月15日(2+0+1+6+1+2+1+5 = 18 → 1+ 8 = 9 ) 2016年12月24日(2+0+1+6+1+2+2+4 = 18 → 1+ 8 = 9 )
別にこの日に何か意味があるということではないですが、年も日付け も合わさった「完全な9の日」があと2日なのだなと思いますと、何 となく特別感はあります。
熊本地震が起きた日も9の日でしたが(2016年04月14日 / 2+0+1+ 6+0+4+1+4 = 18 → 1+8 = 9 )、今年の「9」の日は意識しなが ら過ごしてきましたが、それもあと2日ということになり、そして 「最後がクリスマス・イヴ」というのも、まあ、そういうような今年 のしめくくりとなります。
これらの数の話は、オカルトはオカルトですが、個人的には結構強い 示唆だと思っていますので、今年(何かの終わり)や来年(何かの始 まり)をそのように思って過ごしても構わないとさえ感じます。
ちなみに、私の生まれた「1」の始まりの年である 1963年は、キン グ牧師の「私には夢がある」のフレーズで有名な演説があり、ケネ ディ大統領が北緯 33度線上のダラスで暗殺された年でした。
そんな年に生まれた我輩は猫である(最後にウソで終わるのかよ)。

In Deep
http://indeep.jp/what-numerology-nuber-9-means/

2016年12月20日火曜日

Merry Xmas






水瓶座の時代
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/769.html
BC 4300年 ~ BC 2150年  牡牛座の時代
BC 2150年 ~ AD  0年 牡羊座の時代
AD  0年 ~ AD 2150年  双魚座の時代
AD 2150年 ~ AD 4300年  水瓶座の時代
注:2150年から水瓶座になりますのでイエスキリストという玉は使えない。
一体誰がメシアになるのでしょうか。

ハムレットの水車小屋
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/944.html











西洋文明の根幹に、天文学、及び占星術があり、
地球の歳差運動の周期が25800年であることが紀元前より知られており、
黄道12星座の12で割ると、一つの星座に割り当てられる時間が2150年となり、
これを西洋文明では、Age(時代)と呼びます。 
そして、春分の日にどの(星座)位置から太陽が昇ってくるかと言うのが春分点で、
春分点はこの2150年という長い期間をかけて、黄道十二宮の星座を西回りに、
ゆっくりと移動します。 
実は、牡牛座の時代BC4300~BC2150(シュメール文明など)
→羊座の時代BC2150~AD0(ユダヤ文明)
→魚座の時代AD0~AD2150年(キリスト文明)
→水瓶座の時代AD2150~AD4300(フリーメーソン思想的文明)
と時代は区分されており、信心している人には申し訳ないのですが、
キリスト教もフリーメーソンも、その星座にまつわる占星術の話に、
話を合わせているに過ぎないのです。
牡牛座は農耕・光・忍耐の象徴で、守護星は金星。  
シュメール時代に太陽の春分点は牡牛座にあり、世界で最初に農業が営まれ、
牛を家畜化したのはシュメール文明で、
シュメールの最高神アンは、二本の牛の角を持っており、
これがパレスチナ(フェニキア)やインドに伝わり牛は神聖なものとなりました。 
シュメール文明の栄えたウルの地に生まれた、
アブラハムは神からの啓示を受けて、約束の地カナン(イスラエル)に向かい、
そこからイスラエル人(ユダヤ人)がカナンの地に入植してゆきますが、
もともとカナンの地に住んでいたのは、海洋民族のフェニキア人で、
ローマ帝国と戦ったカルタゴは、フェニキアの植民地です。 
カナンの地で、農業を学んだイスラエル人は、
フェニキアに同化し、バール神をも信仰しており、
古代イスラエル教は、一神教ではなく、
多数の神様の中からひとつを拝むという拝一神教でありました。 
しかしながら、モーゼの時代に強烈な一神教となってゆくユダヤ教では、
牛の角の生えたバール神を悪魔に仕立て上げ、
それから西洋では悪魔は2本の角を持つようになりました。 
それが日本にも伝わり、鬼や地獄の番人である牛頭は、2本の角を有しています。
モーゼがシナイ山に登り、神から十戒を授けられたとき、
山から下りると人々が黄金の子牛をつくり、
偶像崇拝しているのを見て、黄金の子牛を叩き壊しますが、
これはまさしく牡牛の時代から、ユダヤのシンボルである、牡牛の時代から決別し、
羊の時代に入った事を象徴するものであります。
牡羊座は、決断・革新、イスラエルの象徴で、その守護星は火星。 
牡羊座は、シュメール語の星座名では 「Lu Hunga」 で、雇われる人、また従順な人を意味し、
宗教的な時代ともいえます。 
イエスキリストもユダヤ人ですが、神の従順な子羊であり、
またキリスト教信者も子羊にたとえられ、何かと羊という言葉がでてきます。 
AD13年にシリアで鋳造されたコインには、表面に王を表すギリシア神話のゼウス、
裏面には12星座の羊が空を飛びながら東方に輝く星を振り返っている様子が描かれていました。 
古代の星座は、特定の地域も表しており、
牡羊座は、「イスラエル地方」を表しています。
魚座は情緒・自己犠牲・償いの象徴で、守護星は木星。 
最後の晩餐、ユダの裏切り、十字架という魚座の自己犠牲でクライマックスを迎えますが、
イエスは3日後に復活するので、終わりであると当時に始まりでもあります。  
新約聖書を読むと、やたらと2匹の魚がでてきます、
例えばガリラヤ湖での2人の漁師ペトロとアンデレの話、
また2匹の魚と5つのパンで5000人の人々を満腹にさせた奇跡、etc.
パンと魚の増加教会 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/415.html
この2匹の魚は、ギリシア神話によると、
美の女神「アフロディテ」とその子「エロス」がエリダヌス川(=エリダヌス座)のそばを歩いていると、
そこに、怪物「テュポン」が現れ、
驚いた2人は「魚の形」になって逃げますが、
2人は離ればなれにならないように、ひもをつけて逃げた、という話からの双魚座からきています。  ローマ神話では、母ヴィーナス(=ギリシアのアフロディテ)と息子キューピット(=ギリシアのエロス)になります。
古今東西、女性は子供産むことから、五穀豊穣のシンボルとされてきましたが、ギリシア神話のデーメテールや日本の天照大神などがいます。
小麦はBC7000~9000頃から、イスラエルやメソポタミア地方で栽培されていた貴重な食料ですが、
小麦の収穫時期である8月~9月が星座の乙女座の時期で、
乙女座はヘブライ語で収穫を意味する「Bethulah」の事であり、
ギリシア神話の五穀豊穣の女神デーメテールの星座であります。 
イエスが誕生した地はベツレヘムですが、
この地名はパンの家という意味で(Beth=家、lechem=パン)で、
清純な処女をイメージする乙女(座)からイエスが誕生したことを表すものであります。 
乙女座では、乙女が子供を抱き、麦の穂を持っていますが、
この穂の部分が乙女座のα星スピカで、飛び出していることからスパイクの語源となりました。 
乙女座の星を一筆書きにしたらローマ字のmのような形になり、
それが西洋ではマリア、インドに伝わりお釈迦の母マーヤとなり、
Mから始まる聖母の名前は世界に広まりました。
また、乙女座の、息子を抱く母の姿は、
アリアが十字架から降ろされたキリストを慈愛深く、
優しく抱く姿 「ピエタ」 となり、キリスト教文化圏で、
多くの芸術作品を生み出してきました。
Pieta
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/444.html
2008/9/20

ハムレットの水車小屋
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/769.html






古代では自然発生的に、太陽信仰が起こり、
広く普及したものエジプトのホルス神があり、
フリーメーソンのシンボルマークの真実を見通す目も 「ホルスの目」 であります。 
ホルスの目 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/590.html
実はこのホルス神とイエスキリストの話は良く似ています。  
ホルスは12月25日に生まれましたが、母親は処女のイシス。 
誕生のさい東の星が現れ、三人の王がその星をめぐり誕生した救世主に贈り物を捧げました。  
12歳で天才少年教師と呼ばれ、30歳でアナプという存在に洗礼され牧師として活動を始め、
ホルスは12の使徒と共に旅をし、病を治し水の上を歩いたりなどの奇跡を行い、
ホルスは様々な別名で呼ばれました。   
例えば「真実」「光」「祝福されし神の子」「良い羊飼い」「神の子羊」などであります。  
テュフォンに裏切られたホルスは十字架に掛けられ三日の間、理葬され、そして復活します。
一方、イエス・キリストは処女マリアから12月25日、ベツレヘムで生まれ、
東の星が彼の誕生を示し、三人の王がその星をめぐり、
誕生した救い主を見つけ出し贈り物を捧げました。 
12歳で教師となり、30歳でヨハネに洗礼され、彼の牧師活動が始まりますが、
イエスは12の使徒と共に旅をし、病を癒し水の上を歩き、死者を蘇らせるなどの奇跡を行いました。  彼の別名は「王の中の王」「神の子」「世の光」「アルファとオメガ」「神の子羊」などなどであります。  そして、ユダに裏切られ、十字架に掛けられて、墓に入れられ三日後に復活し天に昇ります。
また、ローマ帝国でキリスト教が国教と認められる以前に、
広く普及していたのがミトラス教で、ここで、キリスト教について、
我々が理解しておかなければならないのは、聖書はイエスキリストの弟子たちが書いたもので、
その後の教義やキリスト教文化というものは、
ローマ帝国が帝国内の人々を支配するための道具に、
イエスキリストを利用したものであります。
ディオクレティアヌス帝のキリスト教迫害命令から、
わずか10年後のAD313年に、コンスタンティヌス帝が「ミラノ勅令」を出して、
キリスト教を公認しました。  
この背景には、ローマ帝国の政治的腐敗に嫌気がさしていたローマ市民にとっては、
ローマ帝国がキリスト教徒を迫害すればするほど、
彼らに同情し、キリスト教徒は増加し、もはやキリスト教徒を敵に回しては、
ローマ帝国を治めることが出来なくなっていたからです。
しかしながら、キリスト教が認められる前に、
広範に流布した宗教はミトラス教で、キリスト教とローマ帝国の国教の地位を争ったほど
優勢な宗教であった為、まだ信者が多く、
ローマ帝国が人々を治めるには、従来から続いてきたミトラス教の風習も大事に受け継ぐ必要がありました。  
彼らは、太陽信仰をしており、冬至を大々的に祝う風習があり、
ゾロアスター教の大天使・ミトラの誕生日である12月25日にお祭りをしていたため、
これをやめるわけにはいきませんでした。
そして、ミトラス教とイエスキリストの教えは融合されてゆき、
イエスキリストの誕生日は12月25日と決めたのは、コンスタンティヌス大帝で、
彼自身がキリスト教に改宗したのは、死の直前で、それまでは、ミトラス教信者で、
ミトラ神の誕生日の12月25日を、イエスキリストの誕生日にしたのです。
それでは、西洋における古代の太陽信仰に於いて、ホルス、ミトラ、イエスなど
太陽神の誕生日が12月25日なのかと言えば、ご存知のように、太陽は東から上り、
西へと沈みますが、その高度は夏に高く、冬は低くなり、
冬至で太陽の南中高度は最も低くなり、1年の中で昼は最も短くなり、夜が最も長くなります。
そして不思議なことに、12月22日、23日、24日と3日間、一番低い位置で留まり、
25日からまた太陽の位置は高くなっていきます。  
すなわち、これが太陽の死と復活で、
世界各地にある太陽信仰の神話のモデルとなっています。  
また、この太陽が死ぬとされた3日間は、太陽は南十字星の近くに位置し、
これがキリストの死と十字架を結びつけるものとなっています。
2008/9/20

ハムレットの水車小屋
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/769.html



さらに、クリスマスツリーの頂上に輝く大きな星があると思いますが、
それはベツレヘムの星で、
キリストが誕生の時に輝いていた星で、
東方の三博士がこのベツレヘムの星をみて、
ユダヤの王となる赤ん坊をエルサレム、さらにベツレヘムにまで、
イエスキリストを礼拝しにやってきました。 
冬の空で、目立つ大きな星座はオリオン座ですが、
オリオン座にある三つの星は明るいことから、昔から三人の王と呼ばれており、
この三つの星を直線で結んだところに、おおいぬ座で、大きく光る星シリウスがあります。  
さらにこの直線を延ばし、地球の地平線と交錯する位置(南東方面)から、
12月25日に太陽は昇ります。  
すなわち、ベツレヘムの星(シリウス)に案内されて、
東方の三博士(オリオン座の三人の王)がやってきたのが、
キリストが誕生する(太陽が昇る)場所、ベツレヘムであったと言う事です。  
これが、太陽信仰を行う西洋の各地で、太陽神が25日に誕生する物語になっており、
後からイエスキリストも12月25日に誕生したと決められたのです。
そうして、春分点(春分の日に太陽が昇る位置)が双魚座の位置にくる紀元0年頃に、
魚のシンボルであるイエスキリストは誕生するのです。 
今日ではジーザス・フィッシュ(Jesus Fish)やクリスチャン・フィッシュ(Christian Fish)とも呼ばれているイクトゥス ( ichthys ichtus ΙΧΘΥΣ ) は、一筆書きで書いたような、魚を横から見た形に描いたシンボルですが、
これを初期のキリスト教徒は、隠れシンボルとして用いました。  

ハムレットの水車小屋
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映画(DVD)で、Quo Vadis(クォ・ヴァディス)を観られた人もいるかと思いますが、ローマ帝国のネロ皇帝の時代に、隠れキリスト教徒たちが、仲間である合図として、砂の上にイクトゥスを描いていたのを思い出します。
極めつけは、イクトゥス ( ΙΧΘΥΣ )=ギリシア語の魚 とは、ΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ (ギリシア語でイエス、キリスト、神の、子、救世主)の頭文字を並べたものであります。
すなわち、キリスト教というものは、ローマ帝国が帝国内の人々を治めるために、
それまで西洋文明に脈々と流れるエッセンスを凝縮して、
天文学や従来の神々と整合させながら、
世界に冠たるローマ帝国の一線級の学者達によって、つくられたものであると言うことができます。 
天文学・占星術の立場から言えば、魚座の次にくるのは水瓶座であり、
自由・平等・博愛を象徴するもので、
水瓶座は革命と独立をシンボルとする、天王星を守護星として持っており、
既存の価値観から解放され、新しい価値観を構築して行く時代であります。
フリーメーソンのシンボリックなキーワードも自由・平等・博愛であり、
フランス革命、アメリカ独立革命、イタリア統一(革命)運動、明治維新、ロシア革命、
第二次大戦敗戦後のGHQフリーメーソンによる改革、など次々と、革命に深く関与してきましたが、
これも革命と独立をシンボルとする天王星を守護星と持っていることと一致します。

ハムレットの水車小屋
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うお座の時代からみずがめ座の時代へ
ジョン・ホーグは、将来起こる出来事の予言だけに焦点を当てるのではない。彼の予言の特徴は、人間の集合無意識の配置の変化からどのような種類の出来事が将来発生しやすいのかを予測することにある。その意味では、出来事の発生のリズムを読み取るコルマンのマヤカレンダーの解釈に似ている。
ホーグがこれを明らかにするための手段が、ノストラダムスと西欧占星術なのだ。したがってホーグのノストラダムス解釈は、将来起こるであろう出来事の正確な予言というよりは、今後世界が向かう方向性を指し示す指示機としての意味の方が強いように思われる。
ではホーグは今の時代をどのようなものとして理解しているのだろうか?
ホーグの基本的な認識は明白である。ホーグによれば、占星術では黄道12星座のそれぞれの星座を2千年かけて通過するとされるが、現代は、2千年続いたうお座の時代が終わり、これから2千年続くみずがめ座の時代にちょうど入ったばかりだという。これにより、人間の集合無意識の配置が大きく変化し、人間の基本的なメンタリティーも劇的な変化が迫られる時代が現代だという。
ホーグによると、うお座の時代の特徴は、宗教やイデオロギーに人間が従属し、巨大な教団や組織に対する忠誠心の強さが人間の価値を決定した時代であるのに対し、これから始まるみずがめ座の時代は、教団や組織ではなく、個人の覚醒や悟りが強化され、個人としての意識が最大限拡大される時代であるということだ。一言でいえば、教団や組織の時代から覚醒した個の時代への転換ということだろう。メンタリティーのこのシフトは人間の精神活動のあらゆる側面に現れるとしている。
2007年と2008年
ホーグはいつみずがめ座の時代に入ったのかその時期を正確に明示してはいないが、07年と08年はそのはじめの2年間だとしている。
この2年は、これまでの年とはことなるある特徴が集中的に現れる年だと理解されている。その特徴とは、終了しつつあるうお座の時代の特徴が、いわばロウソクの炎が最後燃え尽きるように、凝縮して出てくる年であるとされている。
うお座の時代は、巨大組織のイデオロギーが人間を支配した時代であった。人間は巨大組織の構成要素でしかなく、それに従属することでしか人間はその価値は認知されなかった。スピリチュアル的に自立した個人など存在としてあり得なかった。
こうしたうお座の時代の特徴が凝縮して現れるとは、ホーグによると、これまで巨大組織を支えていたイデオロギーや古い宗教的な教義などが、そのもっとも純粋な形で現れ、これに多くの人間が支配されてしまうということを指す。これはまさに、教典に書かれている通りにものごとを解釈する原理主義的な宗教運動の復興ということだ。それは簡単にいえば、アルマゲドンの後にキリストが天から降臨してユダヤ教徒が改宗し、その後千年にわたる至福の世界が実現するというヨハネ黙示録の記述を、将来実際に起こる出来事として信じ、その実現を目指して行動するようなことを指す。このような動きがあらゆる宗教や教団で加速し、さまざまな混乱をもたらすすのが07年と08年の2年間の際だった特徴だという。ホーグによれば、なぜこのような現象が起きるかというと、古い時代の遺物が次の時代に滅び駆逐されるため、あえて表層に出てくるからだという。
2007/07/23(月)

ヤスの備忘録 歴史と予言のあいだ
http://ytaka2011.blog105.fc2.com/blog-date-200707.html






2016年12月18日日曜日

フランキー・マクドナルド



【予言】ニュージーランド地震M7.8を的中させたフランキー・マクドナルド氏の過去の予測を検証~最新の予測も紹介
11月14日のエクストリーム・スーパームーンの日にニュージーランド南島で起きたM7.8の地震。
これを予言していたカナダの男性、フランキー・マクドナルド氏については、下記11/19の記事で紹介した。
tankyu.hatenablog.com
Frankie Macdonald氏は、自閉症のアマチュア気象予報家という謎の人物だ。
以前から、この人が過去にYouTubeに投稿していた他の地震の予言(?予測)について検証したいと思っていた。
今日やっと時間がもてたので、紹介することに。
検証にあたって
マクドナルド氏の気象予測は、そのほとんどは世界のハリケーンだとか冬の嵐だとかいう天候の事象に関する予測(予言?)だ。
それらの予言は、全て調査対象から除いている。
というのも、このような気象の予測は、たとえば日本の気象庁に当たる機関が長期予報や中期予報として公表しているだろうから。
そのような情報をたとえ悪意がないものだとしても、無意識レベルで得ていたかもしれない。
この人のそのような気象予測は、見たところ予測対象日の1日とか2日前にYouTube上で発表することが多いようだ。
肝心の地震の予測は、全体のうちで5%かそれ以下しかない。
それらを、過去のものから順に見ていくことにする。
2015/03/15:日本でM7.0以上の地震
まずは、昨年2015年3月15日に投稿された動画。
ここでは、日本でM7.0かそれ以上の地震がすぐに起きるという予言している。
日本で起きる地震を予測するならば、M5かM6程度の地震では相手にされないだろう。
では、対応するような地震はあっただろうか。
それから2ヶ月半ほど経った2015/05/30に、小笠原諸島西方沖でM8.1の地震があった。
規模的には十分な大きさで、これならば数年に一度起きるかどうかという頻度になる。
チリでM7.0超の地震
次は、2016/11/15に投稿されたもので、南米チリでM7.0以上の地震がすぐに起きるというもの。
特にサンティアゴを襲うとある。
結果としては、投稿日から5日後の2015/11/20 20:57(UTC)に、アルゼンチンのサンファンの南西でM6.4の内陸地震が発生した。
人的被害は特になし。
震源は「チリ」ではなかったものの、アルゼンチンとチリの国境から150Km弱のところで、チリに近いところだった。
指定されたサンチアゴの北東270Km位?の距離だ。
カリフォルニアで地震
次は、米国カリフォルニア州の地震の予言で、最初の投稿の2日後に再度改訂版(?)が投稿されている。
(1)2016/02/13
M7.0以上の地震がカリフォルニア州をM7.0以上の大地震がすぐに襲うというもの。
(2)2016/02/15
2016年にM7.0以上の地震がSeattle Washington、Vancouver British Columbiaを襲うという内容。
対応すると思われる地震はずっと起きていなかったが、
もしかすると数日前の2016/12/08にカリフォルニア州沖で起きたM6.5の地震のこと?
あるいは、より大規模な地震がこれから来るのだろうか?
バンクーバーで地震
次は、2016/06/19に投稿されたもの。
M7.0以上の地震がすぐにVancouver Britishを襲うという内容だ。
対応する地震としては、2016/09/24にバンクーバーの北方Port Hardyの西200Km沖で起きたM5.7の地震があった。
3ヶ月ほど経って起きた地震だった。
まとめ
以上の地震の予言の中で、もっともインパクトがあるものは、
今回紹介したものではなく、やはり11/14のニュージーランドM7.8の地震の予測だろう。
その次を挙げるとすれば、チリで起きると予言して実際はアルゼンチンで起きたM6.4の地震だろうか。
これはもう「予測」というよりも超常現象的な要素が加わった「予言」といえるかもしれない。
それと、昨年5月の小笠原諸島西方沖地震(M8.1)を2ヶ月半前に予言していた件も、
ちょっとタイムラグがあるが、M8クラスを当てた点で印象深い。
やはり、何か持っている人ではないかと推測する。
自閉症の人というのは、私の身近にいたことはなく、かつてダスティン・ホフマンが主演した映画『レインマン』から得た程度の情報しかない。
何か常人の意識が及ばない部分に注意を向けたり、尋常ではない能力を発揮することができるのかもしれない。
今後も、気象の予測だけでなく地震の予測ももっと行ってほしいものだ。

探求三昧 by 百瀬直也 - 地震前兆・超常現象研究家が地震予知・予言・スピ等を探求
http://tankyu.hatenablog.com/entry/2016/12/10/frankie

「日本は2016年17年にハイパー・インフレへ

ジム・ロジャーズ「日本は2016年17年にハイパー・インフレへ」
2016-03-12 の記事ですが、前に持ってきます。
ウォーレン・バフェット研究家の東条雅彦(とうじょうまさひこ)です。
■ジム・ロジャーズの2015年日本経済予測
というニュース記事を読みました。
ジム・ロジャーズは前々からアベノミクスについて批判的な発言を行っていました。
今回、2015年の日本の株価と為替がどのようになるのかについて下記のように見解を述べていました。
日本銀行が追加の金融緩和策を決めたことが決定的であり、
円を大量に供給することで円安に誘導し、株価も上昇を約束しているようなものだからだ。
この状況はしばらく続くと予想している。
さらに、今の日本の経済政策について警告とも取れる内容の発言をしておりました。
そのまま下記に引用します。

あほうどりのひとりごと 幸福への近道
http://www.xn--l8ji6b8dbd9a6a7e0hd.com/


今後、株価上昇はいつまで続くのだろうか。
ロジャーズ氏によれば、リーマンショックを超える悲劇が2016年、17年にも起こると予想している。
なぜなら、今回の日本銀行が行った金融緩和策のように無限に紙幣を刷り続けて成功した例は世界中で一つもない。
最期はハイパー・インフレになるのが目に見えているからだ。
株価は無限に上昇をするわけはなく、一度大きく落ち込むという見解だ。
特にオリンピックのようにインフラに資金が必要となってくれば、
政府の債務も当然膨らみインフレに追い打ちをかけるはずだ。
目先の株価は良いだろうが、将来的にはツケが残らないような政府の対応が望まれるところだ。
・・・ジム・ロジャーズのことを知らない人からすると、ちょっと過激な発言に聞こえるかもしれません。
ジム・ロジャーズはバイクで世界を横断した走行距離(65,065マイル)でギネス記録を持つ冒険家の顔も併せ持っています。
実際に世界中を旅して、現地の人々とふれあい、生の経済を肌で感じながら、投資をしてきました。
机上の知識で経済を予想している経済学者とは一線を画するものがあります。
経済学者が道場で戦う剣士だとしたら、ジム・ロジャーズは戦場で戦う武士です。
そして、市場は道場ではなく、戦場です!!
ジムの話は無視すべきではないと私は感じました。
歴史を非常に重視する姿勢が印象的で、
「無限に紙幣を刷り続けて成功した例は世界中で一つもない」
という話が特に勉強になりました。
ジム・ロジャーズが、
日本がハイパー・インフレになる具体的な時期(2016年、17年)について言及したのは、今回が初めてです。
この予想が当たるのであれば、あまり時間的な猶予はありませんが、
私たちは最後まで諦めることなく、生き残りの可能性を探っていくことが大切です。
転載ここまで

あほうどりのひとりごと 幸福への近道
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もう一度言っておくが、これは始まりに過ぎない。
日本はもう景気後退期に差しさしかかっている。
すでに調整は始まっているのだ。
2008年のリーマンショックの時より深刻な状況になるかもしれない。
債務は当時より膨らんでいるのだから。
通貨に関しては米ドル、日本円、人民元を保有しているが、
日本円はもう売り時と考えていて、来週には売ってしまおうと思っている。
だいぶ円高に動いたからね。
ただ、前々からの持論だが、農業関連の資産に投資するのは有効だと思っている。
安全資産と言われている金は、最近また価格が上がり始めているが、
価格が1トロイオンス1000ドルを下回らなければ投資する価値はないと思っている。
既存のシステムを継続するには、無理があるのではないでしょうか。
この手の話は実はよくわかりませんが、素人の私でも今、よろしくない風向きが感じられます。
ひとつも暮らしはよくならず、生活が苦しくなっていく人が増えているとも言われています。
自分を含め、そういった人びとがどこにいるの?と思ったりしますが…
あまり目にはしませんので…。
しかし現実には、最近私の周りで子どもの高校進学により、
・事務仕事2つ掛け持ち
・パートの時間を増やしてもらった
・送迎時間を夜シフトに変えて時給アップの勤務に変更してもらった
・夜中の宅配センターの仕分け仕事を始めた
・車を一台処分した
など聞きます。
ということは、庶民の暮らしはきつくなっていることにほかなりませんよね。
ギリギリのところで廻っている収支バランス、これが崩れるとどうなるか・・・。
そう、ローンで動けないし、かといって収入増はこれ以上どうやったってむずかしい。
これが奴隷となっているということでしょうね。
わたし自身は家のローン(賃貸です)、車のローン(数年前に買った中古車)はないんですけど、
貯蓄はないし金ももっていないというのは……。
何かに備えるとしたら、食料備蓄といったところです。
(食糧と絶対に必要な日用品)そして、ささやかに始めた家庭菜園です。
いつまでもは続かない、夢はいつか覚めます・・・・
既存のシステムからなるべく早く抜け出さないと~~~。こっそりと頑張りましょう。

あほうどりのひとりごと 幸福への近道
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ロジャーズ:グローバルに動けるように、準備しなければならないだろう。
私は娘たちに常日頃から「英語、中国語のほかにさまざまな言語を習得せよ」と言っている。
娘の教育に関しては、自分の力で自立して生きていける子になってほしいと願っている。
だから、若いうちから親元を離れさせるつもりだ。
私も実際、そうして生きてきたから。
これからの時代、どこでも生きていけるようになるには、やはり言葉だろう。
これから50年後、日本は確実に人口が減る。
それだけに、いろんな国で生きていけるように準備するのは大事なことだ。

あほうどりのひとりごと 幸福への近道
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成宮寛貴の今後の「逮捕」の可能性


成宮寛貴さんの今後の「逮捕」の可能性および時期について(第2報)
天瀬ひみかの真実のスピブロ♡ 『不思議の国のAmase』 AMaSe IN WONDeRLaND
2016-12-18 00:41:27
きのう、コカイン吸引疑惑が原因で現在日本を脱出中の元有名俳優・成宮寛貴さんの今後の「逮捕」の可能性について、
以下のような内容の記事がニュースになりましたが・・・
元刑事と事件記者が探る! “コカイン疑惑”成宮寛貴「逮捕」の可能性は?(日刊サイゾー)
2016年12月17日
http://news.livedoor.com/article/detail/12428599/
写真誌「フライデー」(講談社)にコカイン吸引疑惑が報じられて芸能界引退を発表した元俳優の成宮寛貴について、
専門家から警察の内偵捜査が進んでいるのではという話が出ている。
警察の裏事情にも詳しい元兵庫県警刑事の飛松五男氏は
「内偵は、とっくに始めているのでは? 成宮さんがコカインをやっていたウラが取れるかどうかが、
勝負となるでしょう。
本人が海外に逃亡しているなら、警察の心証は悪い。
髪の毛や尿からドラッグの成分が出ないよう時間を稼ぐ『薬抜き』とみられているでしょう」と話す。
また、数々の著作でも知られる事件記者の田村建雄氏も「ズバリ、1月末までには逮捕もあり得る」とする。
「警視庁が麻薬取締法違反容疑とするには、日本を脱出する前に残した髪の毛などを鑑定しつつ、
逮捕状が取れるだけの材料を集められるかどうか。
成宮さんは独自に尿検査をして『シロ』としたようですが、そんなものは証拠にはならない。
告発者も含めて数年前からの人脈をたどり、少しずつ集めた状況証拠が、逮捕状を取れる条件まで届くかどうか。
それがそろえば、逮捕もあり得ます。
海外に行っても、警察の行動確認がついていると聞いていますし」
さらに田村氏は、「フライデー」がスクープする前に、
警察が成宮のドラッグ疑惑をつかんでいた可能性もあるとする。
「私が聞いた情報では、警察に情報提供があったそうです。
ただ、捜査するまでの証拠はそろっていなかった。
今回、『フライデー』の報道は警視庁にとって渡りに船で、
これだけ騒がれると人員をあらためて割けるので、状況も変わってくるかもしれない」(同)
成宮が疑惑の記事内容に具体的な反論をすることなく引退して海外へ出てしまったことについては
“逃亡”の印象も強く、極めてクロに近いグレーと思う人も少なくない。
ただし、本人や所属事務所は一切の疑惑を否定。「フライデー」に掲載された写真と証言者の話だけでは刑事事件とするだけの証拠にはなりにくい。
これは、飛松氏と田村氏それぞれの「ウラが取れるかどうか」「材料を集められるか」という言葉通りだろう。
そのため、成宮のファンからは「引退してしまったので、ドラマの代役は仕方ないとしても、逮捕されてもないのに出演作の放送自粛とかCM放送中止は理解できない」との疑問も出ている。
これについてテレビ関係者に聞いたところ
「タレントを使う場合、事務所を身元保証人にした形でもあるので、引退すれば放送中のCMも中止するのは当然です。
ドラマ再放送は著作の所在によるのですが、出演者サイドの許諾などが必要な場合は、
そこがハッキリするまでいったん自粛となるのも仕方ない」とする。
ただし、「声に出しては言えない部分」という補足として、
「万が一にも逮捕されれば、問答無用ですべてが吹っ飛んでしまうので、
局側としては、そのリスク回避という面での縁切りもある」とも話した。
実際に成宮の捜査が行われているのかどうか、警視庁広報室に聞いてみたが
「捜査中かどうかを含めて、発表事案となっておりません」との回答だった。
その声が、ちょっと緊迫していたようにも感じたのだが、果たして……。

(文=ハイセーヤスダ/NEWSIDER Tokyo)
この「日刊サイゾー」の記事に書かれている、
来年(2017年)の「ズバリ、1月末までの逮捕もあり得る」は、(残念ながら?幸いにも?)起きないでしょう。
成宮氏の逮捕時期について、コード分析により最も濃厚と予測されるのは、
おととい16日に、ここに書きましたように〈来年7月〉です。
ただ、それよりはかなり現象化確率は下がりますが、
その7月前にもし事情聴取、場合によっては勾留や逮捕があり得るとするなら、
それは来年2017年〈3月3日〜4月28日〉の間です。
[2016年12月18日0時23分記:コード分析結果より]

天瀬ひみかの真実のスピブロ♡ 『不思議の国のAmase』 AMaSe IN WONDeRLaND
http://blog.goo.ne.jp/himika105

パプア・ニューギニア地震

【地震】パプア・ニューギニア付近でM7.9(M8.0)の地震発生~津波の可能性~3連続スーパームーンの影響がついに出たか?
探求三昧 by 百瀬直也 - 地震前兆・超常現象研究家が地震予知・予言・スピ等を探求
さきほど、日本時間12月17日(土)19:51頃(現地時間20:51)、
太平洋パプア・ニューギニア、ニューアイルランド付近でM7.9(USGS発表)の地震が発生した。
当初はM8.0の情報(気象庁発表など)もあった。
気象庁は、太平洋の広い範囲で津波が発生するおそれがあるとして、周辺の各国に「北西太平洋津波情報」を発表した。
エクストリーム・スーパームーンの影響か
11月14日に、68年ぶりとなる近さに月が地球に接近したエクストリーム・スーパームーンがあった。
その前後の満月もスーパームーンとなり、
12月14日の3連続目のスーパームーンの数日後までは、大きな地震に注意を呼びかけていた。
幸い日本ではなかったが、
やはり21/14の満月から数日後に太平洋プレート境界付近で大きな地震が起きるというのは、ほぼ想定内のことだった。
12/9にはソロモン諸島M7.8の地震も
12月9日にはソロモン諸島でM7.8の地震が発生していたが、そこから千キロちょっと西へ行ったところが震源となった。
使い古しと思われるかもしれないが、いつものデータを。
Google Earthに、1900年から現在までに発生したM7.0以上の地震の震源をマッピングしたデータを取り込んだのが、下記のマップだ。
今日の震源も、ソロモン諸島M7.8の震源も、黄色い丸印で埋もれている。
それだけ、この界隈ではM7超の地震が「ありふれた地震」にすぎないことがわかる。
M7超の地震の密度ということでは、
日本付近の太平洋プレート境界あたりで発生する地震よりも過密になっているように思える。

探求三昧 by 百瀬直也
http://tankyu.hatenablog.com/entry/2016/12/17/papua





地震の影響は?
この地震の直後から、すでに余震が発生しているようだ。
下記のGoogle Earthのマップを見ると、本震の震源からかなり離れているようだ。
赤丸印は、現時点(22:20)から1時間以内に発生したという意味だと思う。
気になる地震の影響だが、本震はニューブリテン島から45Kmほど離れいるようだ。
2011年に発生した東北地方太平洋沖地震(M9.1)の本震が、陸地から70Kmほど離れていたので、それよりも近いことになる。
人的・物的被害が気になるところだ。
津波の恐れは?
震源付近では、津波発生の恐れがあるという。
日本への津波到達の可否については、現在まだわかっていない。
現時点(12/17 23:55)の気象庁の津波情報は、以下のように記されている。
若干の海面変動が予想される時刻は、早い沿岸で18日00時00分頃です。
これらの沿岸では今後1日程度は若干の海面変動が継続する可能性が高いと考えられます。
その「海面変動」の各地で予想される高さは、下記の通り。
三重県南部      0.2m未満
伊勢・三河湾     0.2m未満
伊豆諸島       0.2m未満
兵庫県瀬戸内海沿岸  0.2m未満
北海道太平洋沿岸中部 0.2m未満
北海道太平洋沿岸東部 0.2m未満
北海道太平洋沿岸西部 0.2m未満
千葉県九十九里・外房 0.2m未満
千葉県内房      0.2m未満
和歌山県       0.2m未満
大分県瀬戸内海沿岸  0.2m未満
大分県豊後水道沿岸  0.2m未満
大東島地方      0.2m未満
大阪府        0.2m未満
奄美群島・トカラ列島 0.2m未満
宮古島・八重山地方  0.2m未満
宮城県        0.2m未満
宮崎県        0.2m未満
小笠原諸島      0.2m未満
山口県瀬戸内海沿岸  0.2m未満
岡山県        0.2m未満
岩手県        0.2m未満
広島県        0.2m未満
徳島県        0.2m未満
愛媛県宇和海沿岸   0.2m未満
愛媛県瀬戸内海沿岸  0.2m未満
愛知県外海      0.2m未満
有明・八代海     0.2m未満
東京湾内湾      0.2m未満
沖縄本島地方     0.2m未満
淡路島南部      0.2m未満
熊本県天草灘沿岸   0.2m未満
相模湾・三浦半島   0.2m未満
福岡県瀬戸内海沿岸  0.2m未満
福島県        0.2m未満
種子島・屋久島地方  0.2m未満
茨城県        0.2m未満
長崎県西方      0.2m未満
青森県太平洋沿岸   0.2m未満
静岡県        0.2m未満
香川県        0.2m未満
高知県        0.2m未満
鹿児島県東部     0.2m未満
鹿児島県西部     0.2m未満
津波予報(若干の海面変動)
パプア・ニューギニアやソロモン諸島のような島々に住む人々は、何らかの津波対策を伝承してきているのだろうか?
それを調べてみたくなってきた。
いうまでもなく、太平洋プレート境界沿いの地震の震源がジワジワと北上しつつあるようで、
そろそろ日本も要注意ということになりそうだ。
3連続スーパームーンの影響がいつまで続くのかということについては、
私も断言できないが、もうしばらくは様子を見た方が良さそうだ。

探求三昧 by 百瀬直也
http://tankyu.hatenablog.com/entry/2016/12/17/papua






パプアニューギニア付近で地震
12月17日 日本時間19時51分
8.0の地震がパプアニューギニア東海岸でヒットした後に津波警報が出されました。
太平洋津波警報センターは、広範囲に及ぶ危険な津波が可能であると述べています。
気象庁によりますと、ハワイにある太平洋津波警報センターから気象庁に入った連絡によりますと、
日本時間の17日午後7時51分ごろ、ニューギニア付近のパプアニューギニア、ニューアイルランド付近を震源とするマグニチュード8.0の大きな地震がありました。
気象庁は、この地震で日本への津波の影響があるかどうか調べています。
気象庁は太平洋の広い範囲で津波が発生するおそれがあるとして、周辺の各国に「北西太平洋津波情報」を発表しました。
USGS 地震ハザード プログラム、モニタリング、レポート、および地震と地震災害研究者によると、
M8.0 - 60 キロ、パプア ニューギニアタロン東、73.4 km の深さ。
緯度 南緯4.5度
経度 東経153.6度
波がおそらくパプアニューギニアだけでなく、インドネシア、ソロモン諸島、ポンペイ、チューク、ナウル、コスラエとバヌアツだけでなく、
いくつかの海岸に沿って3時間で到達する予測があります。
61マイル深い - 米国地質調査所は、マグニチュード7.9の地震が土曜日にパプアニューギニアで29マイル東タロンに発生したと発表しています。
より深い地震は浅いものより少ない損傷を引き起こす傾向があります。
地球の地殻のメガ涙が大規模な津波や巨大地震の恐怖を巻き起こした後、それが付属しています。
致命的な地震と火山活動のために知られている太平洋の危険なスポット - 海底でのリッピングは火のリングを介して実行されます。
リングオブファイアーがニュージーランドから伸びる東のアジア、カナダおよび米国の海岸と南部アフリカのすべての方法の周りにあります。

あほうどりのひとりごと 幸福への近道
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2016年12月17日土曜日

ナグ・ハマディ写本




ナグ・ハマディ写本 - Wikipedia
ナグ・ハマディ写本の一部(コーデックスII収録の「ヨハネのアポクリュフォン」の末尾と
「トマスによる福音書」の冒頭部分)
ナグ・ハマディ写本(ナグ・ハマディしゃほん、The Nag Hammadi Codices)
あるいはナグ・ハマディ文書(ナグ・ハマディぶんしょ、The Nag Hammadi library)とは
1945年に上エジプト・ケナ県のナグ・ハマディ(エジプト・アラビア語版)
(より正確には、ナグゥ・アル=ハムマーディ[1])村の近くで見つかった
初期キリスト教文書のことである。
ナグ・ハマディ写本は、二十世紀最大の考古学的発見に数えられており、
事実、初期キリスト教の研究を飛躍的に進展させた。
ナグ・ハマディ写本は、古代キリスト教を知るための原資料としては
死海写本につぐ重要性を持つと見なされている。

Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%9E%E3%83%87%E3%82%A3%E5%86%99%E6%9C%AC






概要
写本は、農夫ムハマンド・アリー・アッサーマン(Muhammad ʽAlī al-Sammān)が偶然土中から掘り出したことで発見された。
発見時、文書は壷におさめられ、
羊の皮でカバーされたコーデックス(冊子状の写本)の状態であった。
ナグ・ハマディ写本は全部で13冊からなっている。
より正確に言うと、12冊の写本と8枚の断片からなっており、
後者は13冊目の写本から破られたものと6冊目の裏表紙に挟まれていたものである。
写本の多くはグノーシス主義の教えに関するものであるが、
グノーシス主義だけでなくヘルメス思想に分類される写本や
プラトンの『国家』の抄訳も含まれている。
ナグ・ハマディ写本研究の第一人者ジェームズ・M・ロビンソン(英語版) (James M. Robinson)
 による『英訳ナグ・ハマディ文書』の解説によると、
本写本はエジプトの修道士パコミオス(英語版)がはじめた修道士共同体(後世の修道院に相当する)に所蔵されていたのかもしれないという。
写本はコプト語で書かれているが、
ギリシャ語から翻訳されたものがほとんどであると考えられている。
写本の中でもっとも有名なものは新約聖書外典である『トマスによる福音書』である(同福音書の完全な写本はナグ・ハマディ写本が唯一)。調査によって、ナグ・ハマディ写本に含まれるイエスの語録が1898年に発見されたオクシリンコス・パピルス[注 2]の内容と共通することがわかっている。そして、このイエスの語録は初期キリスト教においてさかんに引用されたものと同じであるとみなされる。写本が作られた時期に関してはほとんど議論の余地がなく、西暦350年から400年の間と推定されている[7][9]。この年代は、カートナージ[注 3]やコプト語の字体から決定できる[12]。写本が土中に埋められたのは4世紀よりも以前である[13]。
一方、写本に収録された各編の原本の成立時期については異論があり確定できていない。
ナグ・ハマディ文書そのものはカイロのコプト博物館(エジプト・アラビア語版)に所蔵されている。
ナグ・ハマディ写本の発見以前、少数の例外を除くと
キリスト教グノーシス派由来の直接的な文献はほとんど発見されていなかった。
そのため、グノーシス派に関する研究は、反異端の立場からグノーシス派を非難した
古代の正統教会の教父たちが残した文献に頼らざるを得なかった。
ナグ・ハマディ写本は古代キリスト教の異端としては最初で最大の勢力だったキリスト教グノーシス派の原資料にあたり、
キリスト教グノーシス派の教理・神話論などを正統教会の偏見を通さずに知ることが出来ることから重要な写本である。

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発見の経緯
写本が発見されたナグ・ハマディの位置
ナグ・ハマディ写本が発見された経緯について
最初に調査したのはフランス人古代オリエント学者ジャン・ドレス[19] (Jean Doresse) で、
1950年1月のことである。
この時の結果は1960年に
『ナグ・ハマディ文書の発見―キリスト教の基盤を揺るがす現地調査の記録』
として出版された。
ドレスの調査した時期は写本が発見されてから5年しか経っておらず、
写本発見に関する証人たちの証言内容は信頼できるものだったというが、
ドレスは厳密に言えばコプト学の専門家ではなかったことから、
J.M.ロビンソンはその調査結果に不満足だった。
そこでロビンソンは、1970年代初めに数ヵ月に渡って調査を実施し、
その結果をまとめて、
『ファクシミリ版ナグ・ハマディ文書』の最終巻の序文で公表した。
ロビンソンによる調査結果の概要は以下の通りである。
ただし、ロドルフ・カッセル(スイスのコプト学の第一人者)、
マルチン・クラウス(ドイツ・ミュンスター大学の著名なコプト学者)らのように、
ロビンソンによる調査内容に対して批判的な者も存在することにも留意する必要がある。
カッセルは、エジプトの農民は報酬を得ようとして話をでっちあげる傾向があり、
地元住民にとって何の重要性もない、取るに足らない出来事を、
発見から何十年も経っているのに詳しく覚えているのは不自然であると批判している。

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ジャバル・アッターリフ
文書発見の経緯は、アラブ人農夫ムハマンド・アリー・アッサーマンが偶然土中から壷を掘り出したことにさかのぼる。
1945年12月、ムハマンドは、弟のカリファ (Kalīfah) と共にラクダに乗って、
ジャバル・アッターリフ(Jabal al-Tārif) の南側へ出かけた。
ジャバル・アッターリフは、ナイル峡谷の北壁を下限として北側に連なる石灰岩からなる山岳地帯で、
その南斜面には150以上の洞穴がミツバチの巣のようにあいている。
これらの洞穴はもともとは自然にできたものだったが、
既に第6王朝の時期には中をくりぬき彩色を施して墓所として使っていた。
この地方では、サバッサ(硝酸塩を含んだ軟土)をジャバル・アッターリフから掘り出して肥料として使っていた[3]。ムハマンドがジャバル・アッターリフからの落石と思われる巨大な石の周りを掘ってサバッサを採取していたところ、鍬の先に何かが当たった[4]。掘り下げてみると、4つの把手が付いた高さが1mもある素焼きの壷が現れた[4]。この壷が出てきた場所は、ジャバル・アッターリフのふもとの第六王朝時代の墓地跡(ケノポスキオンからほぼ真北に約30km北上した付近)から東に約1km離れた場所である[19]。
当初、ムハマンドは壷を割ることをためらっていた。
ムハマンドの証言によると、中にジンが入っているのではないかと恐れたからである[26]。しかし、金(きん)が入っているかもしれないと思い直して、鍬で壷を割ってみた[26]。壷の中から出てきたのは13冊の本で、パピルスでできており皮で装丁されていた[25]。ムハマンドはその本を服でくるんでから肩にかけて、家に持ち帰った[26]。この本が現在ナグ・ハマディ写本と呼ばれているものである。ムハマンドは持ち帰ったあと本をばらして、かまどの隣に敷いてあったわらの上に置いた[25]。これらの写本は最終的には全てコプト博物館の収蔵品になったが、そこに至った経緯は複雑である。
この発見の半年前の1945年5月7日の夜に、2人の兄弟の父親アリー(畑の灌漑の夜警の仕事をしていた)が、見回り中に1人の泥棒を殺した[26]。アリーはその仕返しを受けて翌朝までに殺された[26]。この事件が、後のナグ・ハマディ写本の運命と関係してくる。
ムハマンドが写本を発見した1ヶ月後、
家の近くの道端で日中の暑さで眠りこけている男がいた。
隣人がこの男を見かけると、男を指差してムハマンドに、
お前の父親を殺したのはこの男だ、と言った。
この男は、アーマド・イスマイル (Ahmad Īsmāʻīl) という名で、
警官イスマイル・フセインの息子だった。
アーマドはハワラ族で、父親はアル・カスル (al-Qasr) 村の外からやってきた人物だったので、
村では疎外されていた。
ムハンマドは、家に駆け込むと兄弟と母親にこのことを告げた。
アーマドを捕まえると、一家で、アーマドの手足を徐々に切り刻み、
心臓をえぐり出して全員でむさぼり食い、
血の復讐を行った。
ハワラ族はジャバル・アッターリフのふもとに村を作って住んでいたので、
復讐されることを恐れて、この後ムハマンドは壷を見つけた場所に近づこうとはしなかった。
後に、ムハマンドを説得して壷を発見した場所まで案内させたのだが、
そのためには変装をさせ、政府の護衛を付け、更に金品を見返りに与えねばならなかった。
コーデックスIII
アーマドが殺されたことをアル・カスル村の住人は喜び、
警察の捜査でも目撃者が証言しようとはしなかったが、
警察はムハマンドに目をつけ、毎日夕方になると殺害に使った武器が見つからないかと家にやってくるようになった[27]。ムハマンドは写本が警察に見つかることを恐れた[28]。
壷から発見された本がコプト語で書かれていたことから、
キリスト教のものであると言われたムハマンドは、村のコプト教の司祭、
アックンムス・バシリユス・アブド・アッマシー (al-Qummus Basīlīyūs 'Abd al-Masih)に相談して、これらの本のうち1,2冊[28]を司祭の家で預かってもらえないかと頼んだ[27]。(なお、別の文献の説明では、村を離れることになったときに司祭に文書を託した[29]ことになっている。)
バシリユスは結婚しており、義兄のラジブ・アンドラウス (Rāghib Andrawus) が、
コプト教会の学校で英語と歴史を教えていた。
村々を巡回して生徒たちに教えており、アル・カスル村にやって来てバシリユスの妻の家に泊まったときに、バシリユスは現在コーデックスIIIと呼ばれている写本を見せた[27]。
その価値に気づいたラジブは司祭を説得して写本のうち1冊を手に入れカイロへ持っていき、
友人でコプト語に興味を持っていた医者ジョージ・ソビイ (Goerge Sobhi) に見せた。
コーデックスIIIを三百ポンドで買い取ることで話はまとまったが、
支払いは遅れに遅れた。
最終的にはラジブに二百五十ポンド、コプト博物館へ五十ポンド寄付することで決着がつき、
コーデックスIIIはコプト博物館に収蔵されることになった。
収蔵されたのは1946年10月4日のことである。
13冊ある写本の中で、最も早くコプト博物館に収められたのがこのコーデックスIIIである。
コーデックスIとIII以外の行方
一方、無価値だと思ったか、もしくは災いを招くと思ったかして、
ムハマンドの母親は写本の一部を、わらと一緒に炊きつけとしてかまどで燃やしてしまった。
現在わずかの断片しか残っていないことから、
コーデックスXIIが燃やされたものと見られる。
また、中には捨ててしまったものもあった。
コーデックスIII以外の写本は、近隣の文盲のムスリムとの物々交換に使われたり
二束三文で買われたりしていった。
写本を手に入れた者の1人がナシド・バサダ (Nāshid Basādah) で、
ナグ・ハマディの金商人と計ってカイロで写本を売り、
代金を山分けした。
また、伝えられるところでは、ある穀物商(アル・カバルの複数の村人によると、フィクリー・ジャバライル (Fikrī Jabarā'īl) のことだという)が別の写本を手に入れてカイロで売り、
手に入れた代金でカイロに店を構えたとも言われている。
この話はよく知られているらしいが、
フィクリー自身は断固として関与を否定している。
写本の大部分を手に入れたのはバヒジ・アリ (Bahīj ʽAli) で、アル・カスル村のならず者だった[30][32]。この地方では有名だった古物商と一緒にカイロに行き、まずシェファード・ホテルのマンスーアの店に行き[30]、次にカイロ在住のベルギー人古物収集家[32]フォキオン・J・タノ (Phokion J. Tano) の店で売った[30]。タノは全て買い取り、また、ナグ・ハマディにまで出かけて残っている写本を全て入手した[30]。
一方、コプト博物館長(当時)のトーゴ・ミナ (Togo Mina) はタノが写本を買い取ったことを聞きつけて、国外流出はさせない、写本は全て博物館に売れと説得した[32]。1948年、エジプト公教育省はタノと交渉して、写本を買い取りコプト博物館に収納しようとしていた[32]。しかし、タノは、写本はカイロ在住のイタリア人収集家ダッターリのものであると主張して政府の介入を避けようとした[32]。国外流出を防止するためにエジプト考古最高評議会(考古最高評議会の前身)はダッターリ所有の写本を接収した[33]。写本は、1948年にコプト博物館に保管された[34]。ダッターリは対価として十万ポンドを要求したが、政府は一切支払わなかった[32]。そのため、所有権がどちらにあるのかエジプト政府とダッターリの間で裁判沙汰となり[32]、1952年まで争われた[34]。裁判は政府側の勝訴に終わった[32]。
ナセルが大統領になってからは、4千ポンドの形ばかりの代価と共に写本は国有化され、最終的にコプト博物館の所有物になった[35]。この段階でコーデックスIを除く写本がコプト博物館に収納された。
ユング・コーデックス[編集]
コーデックスIの大半は、カイロ在住のベルギー人古物商のアルベール・エイド (Albert Eid) を通じてエジプト国外に流出した[27][注 6]。
1949年、エイドは政府の介入を恐れ、大量の輸出品の中に写本を紛れ込ませてアメリカへ密輸出した[37]。同年、エイドはニューヨークで[27]、二万二千ポンドで売却しようとしたが失敗した[37]。エジプト政府が売却に反発することを顧客が恐れたのが失敗した理由らしい[32]。エイドはベルギーに戻り、写本をパスワード付きの保管箱にしまいこんだ[37]。その後、アン・アーボール (Ann Arbor) でこれらを売却しようとしたが同様に失敗した[27]。また、パリでも売却しようとした[38]がこちらも失敗している。エジプト政府はエイドを考古物の密輸出の罪で訴追し、六千ポンドの罰金刑の判決が出たが、判決前にエイドは亡くなった[37]。
一方、エイドの未亡人は秘密裏に写本を売却しようとしていた[37]。古代キリスト教史家のG.クィスペル(ユトレヒト大学教授(当時))によると、自身はこの写本が密輸出されたものだとは知らなかったとのことだが、ユング研究所を説得して、写本を購入するように急がせた[37]。写本は、1952年5月10日になって、エイドの未亡人から[27]、クィスペルを介して[34][28]チューリヒのユング研究所の手に渡った[27]。これらは、誕生日祝いのプレゼントとして研究所からユングへ贈られた[34]ため、コーデックスIの整理番号が付けられるまでは「ユング・コーデックス」と呼ばれていた[34]。
ユング・コーデックスは、1956年から1975年にかけて6巻にわたって出版された[30]。1961年にユングが亡くなると写本の扱いを巡って議論が起こった[39]が、少しずつエジプトに返却されていき、最終的にユネスコが買い取って1975年に[36]ユング・コーデックスの全てがコプト博物館に収蔵された[27]。こうして1945年の発見以来、30年ぶりにカイロに全ての写本が揃うことになった。写本の総ページ数は1000ページにも及ぶ[38]。
「トマスによる福音書」の発見
ナグ・ハマディ写本の中で最初に世間に公表されたのはコーデックスIIIの一部である。
コプト博物館の研究員(当時)だったジャン・ドレスは1947年にコーデックスIIIに含まれる
「エジプト人福音書」を解読し、
翌1948年にその内容を学会誌に公表した。
また、「ユング・コーデックス」には失われたページがあることに気づいたクィスペルは、
1955年の春にエジプトに飛んで、コプト博物館にそれらのページがないかどうかを調べた。
博物館から写本の写真を借り受けてからすぐにカイロのホテルに戻って、
クィスペルは解読を始めた[28]。この時に発見したのがコーデックスIIに含まれていた
「トマスによる福音書」である。
「トマスによる福音書」の断片は1890年代にギリシア語版が発見されていたが、
福音書全体が発見されたのはこれが初めてだった。
ドレスとクィスペルは「トマスによる福音書」を含む
ナグ・ハマディ写本の一部を学会誌に発表したり、
新聞紙上で紹介し世界のジャーナリズムにセンセーションを巻き起こした。

Wikipedia
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2016年12月13日火曜日

予知情報 H・G・ウェルズ

04 Dec, 12:16
H・G・ウェルズの予言
SFの元祖ともいえる作 品「タイム・マシン」 「宇宙戦争」「透明人 間」を書いたH・G・ ウェルズは予言者とし ての顔を持つという。 例えば、原子兵器の出 現と、それが日本に2 発投下されるというこ とを1930年代に予言し ている。
予言の書といわれるのは「世界はこうなる(THE SHAPES OF THINGS TO COME)」というタイトルの小説。
2106年に書かれた歴史書を、現代(20世紀初 頭)のレーヴン博士と云う人物が夢に見てそれを書き留めたという内容である。
「世界はこうなる」H・G・ウェルズ
2000年以降の内容は時系列で並んでいるわけではないしよく読まないとどの時 代のことか判別できないものもある。また、実在した人物・事件と未来にあた る事象・単語が混在しているのでいささか読みにくい。簡単に内容を知りたい 人は、ノストラダムスの予言で有名な五島勉氏の書籍「H.G.ウェルズの予言さ れた未来の記録」を手にすると良いかもしれない。
以下、簡単にウェルズの予言の要点を挙げてみた。
的中した予言
1933年ごろの国際情勢から急速に第二次世界大戦へと進んでいく
ナチス・ドイツのヨーロッパ侵攻、最終的に米・ソの参戦で連合国の勝利
原子兵器の出現。日本に2発投下されることも
日本の敗戦からの立ち直り.しかし21世紀になると外圧により衰退
資本主義文明が全盛を極める(その後衰微し、崩壊)
「空気ドル」という名の紙幣の出現=二酸化炭素排出権?
はずれた?(あるいは当たっているけれど知られてない)予言
1955年頃 皮膚の色を失う斑点性熱病の流行
1965年 バスラ第一次会議-世界国家計画
1978年 バスラ第二次会議-世界国家計画
これから起こる予言
2020年頃 カトリック法王への毒ガス攻め
2020年頃 学校は全て「国家学校」となる
2020年頃 キリスト教・イスラム教の衰退
ユダヤ人、シオニズムの国はひとつにまとまった「人間社会」に溶け込む
2030年頃 革命の時代
2047年 生物の自由な遺伝子操作?
2050年 悪魔のように漂う奇妙な植物、異形の動物。人間ですらあやし い。
2050年頃? 地殻の内にある深部埋蔵物の探査、開発
2059年 メゲーブ宣言 人類の完全な結束
2106年 人類の集団は、一つの群生有機体となる

予言・予知に関する研究
http://yogen-blog.com/2107



アーモンドの花の四行詩
五島勉氏の「H.G.ウェルズの予言された未来の記録」の中で面白いのが、この アーモンドの花の詩に関する逸話である。ウェルズの「世界はこうなる」の訳 者が某国諜報機関から「アーモンドの詩」には手を出すなと圧力がかかったこ とで、故意に間違った翻訳をしていることが解説されている。日本の未来のた め、世界の未来のため「アーモンド」という言葉を入れてはいけないらしい。
(訳文) うららかな 春の日に ももの花 さく 美しく けだかき婦人 そは 富士の山 愛しき 数々の思い出 うましたからの島 ふたたび 見られぬは そなたの顔か?
(原文) Almond blossome in the spring sunshine. Fuji-Yama gracious lady. Island treasure home of lovely things, Shall I never see you again?
(五島氏訳) アーモンドの花が咲き誇る 春の太陽の光の中に 富士山 優雅で美しく凛とした女性 宝の島 かわいいものたちに満ちた家庭 ぼくはそれらを もう決して見ることはできないのだろうか?
1933年に書かれた「世界はこうなる」を一読して感じたのは、第二次世界大戦 前後の事象をものの見事に言い当てていることだ。戦後に書かれた小説と言わ れても違和感は感じない。しかし、ここまで言い当てることが出来るというこ とは同時に、この小説自体が実は陰謀論的なシナリオではないかとの想像もし てしまう。 この小説は世界が統一し、完全なる世界政府が出来るまでの話であるが、これ は陰謀論でいうニューワールドオーダーのことではないだろうか。 現在の福島の原発事故に対する日本の政策は、未来の遺伝子操作への布石とい うことさえ想像してしまった。

予言・予知に関する研究
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2016年12月10日土曜日

コードロジー


コード309[Aquarius 9]『軍旗の中の鷲が生ける神ホルスとして外界に顕現する』
2016-12-10 22:34:22
■「水瓶座の時代」〜アクエリアンエイジについて
いま私たちのもとに訪れている「水瓶座時代」とは、
「これまで隠されてきた宇宙的な秘密の開示」がもたらされる時代を意味し、
コードロジーではコードNo.301~330のエネルギーゾーンの活性化に連動します。
中でもコード309は、水瓶座時代を司るホルス神(フェニックス)の〈東方の王座着位〉とその神聖なる子供−王子と王女−たちの〈戴冠〉を示します。
そして、アカシックコード(アカシックレコード)の完全解読を有史以来初めて可能にした
運命解読システム《コードロジー》の出現もまた、
この水瓶座時代の秘密開示のエネルギーと、新アイオーンの神ホルスの大いなる御指導のもとに実現したものです。
【ホルスの言葉】
トリニティーの法則下においては、意識の次元数を上げれば、漸進的に線は点に近づく。
アカシックの法則下においては、エネルギーの振動数を上げれば、漸進的に線は点に近づく。
かくてコードの線に添った一本のエネルギーの紐である人が、
自らの不断の努力と唯一なる神への信仰と生ける臨在の恩寵とによって、
黄金の太陽、薔薇十字、円の中の点に隠された一切の事物の真髄、即ち「神即自然」と、
人間の秘密、すなわち「大地の中の取るに足らぬ一粒の塵としての我」を悟り知る時、
その線はコードの支配から逃れる一点の脱自的スピリット(賢者の石、マヌポース、
妖精の尻尾[フェアリーテイル])へと霊的な変容を遂げ、人の身体と思考を規制する時空と、
人の感情と魂を操り縛るカルマの呪いを越えて見出されたその万物の中心から外に脱け出し、
天上の栄光で満たされた無限の高みの頂きに万照者の目、イルミナティの目、鷲の輝く目を持つ、
生けるピラミッドの礎の中央にある「ネモ(非人間、超人)の庭」と呼ばれる場所に、一粒の貴重な種子として、
理解の41の太陽の天使の手によって、新しく大切に蒔き直されることになる。
低次の人々にとっては、〈線〉は「多様性」であり「多数性」である。
しかし、理解した者たちにとっては、〈線〉は唯一の交換不可能な真実の「1」である。
それゆえ、その場合のみ、その〈線〉(ハド)は、ヌイトの〈点〉なる無垢知の「0」と純一無雑に融合することができるのである。
汝ら低次の知を去りて、一者と共に在る無垢知に到達せよ。
これはアメン・ラーの秘儀であり、コードロジーにおける、コード329とコード330の教えである。

天瀬ひみかの真実のスピブロ♡ 『不思議の国のAmase』 AMaSe IN WONDeRLaND
http://blog.goo.ne.jp/himika105






【マスター・アマラルマヌの教え】
聖ソフィアはすでに訪れている。
彼女は山羊の背に乗っている(その徴は月に示された300である。)。
彼女は水瓶の縁にとまっている巨大な鷲ガニメデに守られている(その徴は太陽に示された309である)。
MiToRa ― 誰がトーラー(法)なのか?
その答えは、249ないし330である。
309+21=330
ギリシャ文字の第21番目、Φ(ファイ)は、0と1のモノグラムである。
猫の目の中には、太陽と月と0と1、すなわち〈全て〉が存在している。


天瀬ひみかの真実のスピブロ♡ 『不思議の国のAmase』 AMaSe IN WONDeRLaND
http://blog.goo.ne.jp/himika105




現在はコード329まで強活性化しています。ということは…?(あっ…!)
2016-12-08 03:25:55
ここしばらく韓国の朴(パク・クネ)大統領の美容スキャンダルと友人の国政介入から波及した大統領の罷免弾劾騒動が巻き起こっています。
これらはすべてコード305とコード329が、そうした兆候の「ち」の字もまだ出ていない以前から、予告していたことです。
ちなみに「クーデター」を強く誘発するコード305の発動後まもなく世界中を驚かせたトルコでのクーデター未遂事件が発生しました。
トルコでのクーデター発生は19年ぶりであり、
またその当時もそれ以前も、世界のどこの国でもクーデターとはっきり呼べるような動きは生じていませんでした。
ですが、コードが「クーデターが起きる」と予告すれば、それは実際に(世界中の誰一人予測していなくても)起きてしまうのです。
そしてコード329が「国家政権に対する討伐の動き、大統領に対する捜査が起きる」と予告した後、いまの韓国での大騒動が勃発しました。
さて、進行法でみますと、そのコード329の次にはコード330が特別最強影響圏に突入するわけなのですが
(そしてそれは本日訪れました。つまりコード330が特別最強影響圏に入座しました)、
それが引き起こす現象を表わしたそのコード文は以下のものとなっています。
・ソーラーコード330『時が満ち魂の再生の日を迎えた人の胸に、秘かに明かされる
----「全ての生命に望まれた聖なる目的は、一なる光に溶け込むこと」----
この偉大なる真理を個々の心に伝える、超古代文明に根を持つ偉大なる霊的同胞団の啓示』
(現象化形態:家族や魂の絆のある同志的な仲間たちとの親密な連帯。
(格式が良ければ)幸運の訪れ。(格式が良ければ)天界からの導きと守護。
(自分が全力を賭けた事や、自身の専門分野などで)価値ある実績をあげる。特定テーマの学習。人に教えたり、あるいは逆に、人から教えられたりすること。
精神世界。スピリチュアルな分野での学び。スピリチュアルな分野でのグループ活動。
異業種の交流や結合。新しい世界観(新しい物事の見方)の獲得。党首や統治者の交替。政権交替。
自国が統治している(または、統治権を有していると主張する)国・領土・民族などへの他国からの政治的・経済的・軍事的圧力や介入、
もしくは(ときに)軍事侵攻。領土・領空・領海侵犯の激化。)
・ルナーコード330『小さな泡とともに栄華を極めたバビロンの都市が海底に沈んでいく』
(現象化形態:運命的転換。大きな変化を決断すべき時。
生活環境(あるいは、職場環境)の大刷新。大きな試練。
これまでの自分からの脱皮(の必要)。イニシエーション。
不安定な環境に対する悩み。家庭問題での揺れ動き。
これまでの自分の生き方を改め、精神世界での学びを深める必要。
船(一般船舶、漁船、ボート、難民船、ときにフェリーやタンカーなど)の事故、
大事故、(ときに)沈没。悪政や不正を行っていた国家的指導者が失脚したり没落したり、
ときに病(体のもの、心のもの、またはいずれもの場合も)に倒れたり死んだりする。
大地震と大津波による激甚災害(津波が小さなものに留まる場合も)。
バブル経済(バブル経済市場)の行き詰まり・崩壊・破綻。)
ということは…ルナーコード330が表わす「国家的指導者の没落」か「大地震」か「バブル経済の崩壊・破綻」かのいずれかが今後遠くないうちに
必然的に起きる可能性が極めて高まるわけです(その3つのうちの全部が現象化する場合もありますが、1つ、または2つとなる場合もあります)。
ソーラーコード330、こちらのほうのエネルギーは、
私個人に対しては、目下構築を進めています「光を求める皆様のための、仲間との真理の集い場」という形ですでに明確に現象化してきていますね…。
私が上記、コード330予言を記したのが12月8日深夜3時25分、そして・・・
コード330特別最強影響圏入座のその結果として、早くも翌日・・・
朴大統領の弾劾可決、職務停止 与党半数造反、辞任触れず(共同通信)2016年12月9日21時25分
http://this.kiji.is/179847319705616390?c=39546741839462401
韓国国会は9日、野党3党が提出した朴槿恵大統領の弾劾訴追案を可決した。
朴氏は職務停止となり、黄教安首相が権限を代行。憲法裁判所が180日以内に罷免するか否かを判断する。
朴氏の親友による国政介入疑惑は国家トップの不在という異例の事態に発展、国政の混乱長期化は必至だ。
与党セヌリ党議員も約半数が弾劾に賛成。朴氏は閣僚らとの会合で「不徳」と陳謝したが、辞任時期は触れなかった。
韓国大統領の弾劾可決は2004年の盧武鉉大統領に続き2例目。
憲法裁はこの際は約2カ月後に棄却決定を出した。罷免されれば60日以内に大統領選が行われる。

天瀬ひみかの真実のスピブロ♡ 『不思議の国のAmase』 AMaSe IN WONDeRLaND
http://blog.goo.ne.jp/himika105




2016年12月5日月曜日

ASKA氏

2016年12月04日08:06
598.ASKA氏の精力的な反原発活動が冤罪を生んだのではないか?
(1)CHAGE の反戦歌!
 CHAGE and ASKA(チャゲ・アンド・アスカ)は、単なるPOPデュオではない。
「SAY YES」がオリコンチャート13週連続1位を獲得した1991年に湾岸戦争が起きた際、
CHAGEは反戦SONGをリリースしていた!
「WINDY ROAD」は、湾岸戦争に世界が震撼する中で、反戦の意思と平和への願いを込めて作られたと言われている。
この楽曲は、最初CHAGE&ASKAとして歌う予定にしていたと言われている。
だが、MULTIMAXのアルバム曲が揃っていなかったこともあって、
CHAGEが無理やりMULTIMAXの楽曲として押し込んだそうである。
MULTI MAX (マルチマックス)は、CHAGE・村上啓介・淺井ひろみから構成される日本のバンドです。
http://dogyamanet.web.fc2.com/ca/kyoku/cawindyroad.htm
https://ja.wikipedia.org/wiki/MULTI_MAX
(2)『On Your Mark』(オン・ユア・マーク)
 「SAY YES」と「WINDY ROAD」がリリースされた4年後の1995年、
阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が起きた。
『On Your Mark』(オン・ユア・マーク)は、CHAGE&ASKA(現:CHAGE and ASKA)が発表した
楽曲「On Your Mark」のプロモーション・フィルムとして作成された、
スタジオジブリ制作のアニメーション作品である。
1995年7月15日、映画『耳をすませば』と同時上映で公開された。
元々はCHAGE and ASKAが1995年 - 1996年にかけて開催したコンサートツアー「SUPER BEST3 MISSION IMPOSSIBLE」の中で、
演出の一環としてコンサート会場で上映されていた。
これは、PVを制作する際にASKAからアニメーションでやってみたいと持ちかけ、
それならばと宮崎作品のファンであったCHAGEが提案したアイデアだという。
監督によると、タイトルや歌詞をあえて曲解し悪意に満ちた映画に仕立て、
いつか来る未来に生きるということをイメージして制作したという。
地表が放射能で汚染され、病気が蔓延し、人類が地下に住むようになった世紀末後の未来の都市が舞台の作品でした。
あるカルト教団の施設「聖NOVA'S CHURCH」を襲撃、
制圧した武装警官隊。
その中の警官2人は、教団施設の奥で翼の生えた少女を発見する。
2人は彼女を救助するも、研究資料として今度は政府機関の施設に連れ去られてしまった。
2人は彼女を空へ帰そうと奮闘を始めるといったストーリーの作品でした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/On_Your_Mark
1995年発表の「On Your Mark」のプロモーションビデオは、
まるで福島第一原発の悲劇を予知しているかのような内容だった!
http://www.dailymotion.com/video/x33j0w3_on-your-mark_shortfilms
実は少女を救助した警官2人が、CHAGEとASKAなのです。
『月刊アニメージュ』1995年9月号でのインタビューで、
宮崎駿監督は「地上には放射能があふれていて、もう人間は住めなくなっている」
「いわゆる世紀末の後の話。放射能があふれ、病気が蔓延した世界。実際、そういう時代が来るんじゃないかと、
僕は思っています」と語った。311以降、そういう時代が来てしまった!
http://happism.cyzowoman.com/2013/08/post_2826_2.html

福田元昭の「桜の木になろう」
http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-821.html


(3)反原発のASKA氏
o-ASKA-facebook.jpg
↑画像 ASKA氏
311以降、ASKAは精力的な反原発活動を展開したと言う。
2014年5月、ASKAは覚せい剤取締法違反などの容疑で逮捕された。
そして同年9月に執行猶予付きの有罪判決を受けた。
2014年、ASKAは千葉県内の精神医療センターに入所していた。
ASKAはサインを求める患者が病室の前に列をなしても、怒ったりせずに淡々と応じていた。
ここでASKAは所謂「陰謀史観」や反原発の話を入所者にしていた!
http://www.dailyshincho.jp/article/2016/02060410/?all=1
センターで朝食にカレイの煮つけが出された時には、
ASKAは「深海魚はセシウムをたくさん含んでいる。絶対に食べちゃダメだ。」と言って箸をつけなかったと言う。
ASKAは「国は大量の放射能漏れを隠蔽している。」とも語った。
またASKAは永久機関に対する熱い想いを語っていた。
「化石燃料を使わずエネルギーを産み出すシステムにかなり投資している。」とも語った。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E4%B9%85%E6%A9%9F%E9%96%A2
(4)ASKA氏に対する口封じ
千葉県内の精神医療センターを出たASKAは、
2015年1月から自宅で静養を続けていた。
ASKAは自宅で熱心にブログを書いた。
ブログの書き込みが途絶えてからまもなく、ASKAは閉鎖病棟を備えた精神科病院に入院、隔離されたという。
精神病院は支配層にとって都合が悪い人物の口を封じるのに最適な場所です!
「596.カニエ・ウエスト暗殺阻止!」の「(3)イルミナティに逆らったカニエ・ウエスト」で綴った通り、
カニエ・ウェストが警官に手錠をはめられ精神病院に強制収容された事例と同様に、
ASKAは権力の手先により、口封じの為に入院させられたのではないだろうか?
596はこちら。
他の芸能人も脱原発関連の発言をしないように、
ASKAは徹底的に廃人にされ、見せしめにされるだろう。』と予言めいた事を述べた人がいる。
http://d.hatena.ne.jp/Takaon/20160312
(5)ASKA氏のブログは、「妄想ブログ」なのか?
http://www.dailyshincho.jp/article/2016/02060410/?all=1
上のリンク先の記事は、ASKAのブログを「妄想ブログ」と決めつけています。
本当にそうなのでしょうか?
ブログのすべてを読んでいないので断定はしにくいのですが、
「妄想ブログ」と決めつけるのは正しくないと思われます。
 (3)で紹介した千葉県内の精神医療センターに入所していた際に語った内容でしたら、
「妄想ブログ」ではなく、支配層が多くの人々に知られたくない内容や、
マスコミが余り取り上げない内容を取り上げている、実に骨があるブログだと思います。
つまり拙ブログと同じような性格のブログと言えるでしょう。
しかし、拙ブログと違い社会的影響力が大きいので、
支配層の手先である既存のメディアは、「妄想ブログ」と決めつけるのでしょう。
私の場合、勤務校の校長から「生徒にブログの話はしないで下さい」と釘を刺されているくらいで、
既存のメディアから「妄想ブログ」と決めつけられたりしていません。
アクセス数がそれ程多くはない弱小ブログ故、既存のメディアの方々が拙ブログの存在に気づいていないのでしょう。
★ASKAのブログ(2016.01.09~13公開分/キャッシュ)
http://togetter.com/li/923645
★ASKA(飛鳥涼)ブログの「飯島愛」と「盗聴盗撮」の削除された内容全文が病みすぎて怖すぎる
http://inouegaku.com/aska-blog
475.阿修羅が「飯島愛さんはCIAに殺されました」と言う記事を削除したのはなぜか?
http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-681.html
ASKAは「集団ストーカー」<集スト>や「盗聴盗撮集団」に悩まされた。
「集団ストーカー」については、「503.安倍晋三には九州大地震を止める超能力があるのか?」などで綴ってきました。
503はこちら。
http://stokerintheneighbors.blog.fc2.com/blog-entry-354.html
(6)1日に約2億4000万ベクレルの放射性物質が大気中に放たれています!
(3)に記載した通り、ASKAさんは「国は大量の放射能漏れを隠蔽している。」と語った。
これは妄想ではなく厳然たる事実です。
フクイチからは今も毎時約1000万ベクレルの放射性物質が大気中に放たれています。
 1日に約2億4000万ベクレルです 東電の廣瀬社長が国会答弁で語っています!
https://twitter.com/cocorono121/status/803767538018459648
(7)ASKA氏の精力的な反原発活動が冤罪を生んだのではないか?
2016年11月28日、ASKAが覚せい剤取締法違反で再逮捕されました。
多くの人々が指摘している通り、安倍政権の年金カット法案などを隠蔽するための国策逮捕である可能性が高い。
http://健康法.jp/archives/24580
今回のASKAさん逮捕は、家宅捜索で物証が何も挙がらなかったので、
冤罪の可能性が高い。
ASKA氏の精力的な反原発活動が、原発殺人鬼<原発マフィア>どもを怒らせ、嵌められてしまい、冤罪を生んだのではないか?
349.覚醒剤・麻薬の流通ルートが解明される事がないのはなぜか?
http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-490.html
(8)極悪マスゴミ
極悪マスゴミ人が、ASKAのベンツのエンブレムを折って踏みつけると言う蛮行に及んだ。まさに屑である!
http://www.j-cast.com/2016/11/29284720.html?p=all

福田元昭の「桜の木になろう」
http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-821.html

マヤ暦

マヤ暦2012年12月21日の意味するもの
マヤ暦と云うと、ホセ&ロイディーン・アグエイアス夫妻の
「 マヤンカレンダー(13の月:コズミックカレンダー)」
で、7月25日を「 時間のない日 」とし、2012年12月21日でカレンダーは終わり、
地球最後の日と喧伝されてきました。
しかしこのアグエイアス夫妻のカレンダーには他ならぬマヤ族末裔の長老たちから異論が発せられています。
2008年2月18日、
マヤ最高神官の長老:ドン・アレハンドロさんが初来日し、
マヤ暦は2012年で終わることはないと発表しました。
以来、数度に亘って来日、世界中で 「 マヤンカレンダー 」の過ちと
真実の 「 マヤ暦 」を説いて回っています。
また地元のメキシコやグァテマラでは、
「 13バクトゥーン 13アハウの日 = 2012年12月21日 」
を観光に利用していますが、
グァテマラのマヤの末裔の方たちが
偽りや曲解、民族伝承を利得に結び付けようとするのを非難する
マヤ文化への冒涜だ
と、世界終末説を観光振興に結び付けようとする同国政府や観光業界を批判したと報じられています。( 時事通信 「 今年12月の世界終末説はうそ = マヤ団体が政府・観光業批判 - グアテマラ 」 )
マヤの考え方には、キリスト教的な終末論 ( ハルマゲドン ) はないのです。
アグエイアス夫妻の 「 マヤンカレンダー(13の月) 」とは、
1980年代にマヤ族の末裔の一人であるフンバツ・メンから得たマヤ先住民の情報や、
1950年代のマヤ文明研究の権威:エリック・トンプソンの文献、
そして彼自身のチャネリング情報などを併せて創り出した独自の暦です。
つまり「 マヤ暦 」そのものではないということにまず着目する必要があります。
  ※ 先に話を進めるにあたって、
    アグエイアス夫妻の 「 マヤンカレンダー = アグエイアス・カレンダー 」 と
    本来の 「 マヤ暦 」 は別物であるという観点から
    以降、名称もそれぞれ区別して記します。
マヤ文明は、16世紀、スペインの侵略によって滅びます。
コロンブスに始まる大航海時代です。(1492年、新大陸発見)
1562年7月、司祭ディエゴ・デ・ランダは、「 異教徒 」 マヤの文明を破壊し尽くします。
1562年というと、日本では織田信長が画期的な鉄砲戦術を生み出した桶狭間の戦いで今川義元を破った2年後、松平元康 ( 後の徳川家康 ) と清洲同盟 ( 織徳同盟 ) を結んだ年です。
アメリカ大陸にはスペイン国王直下のカトリック修道会 : フランシスコ会が、アジアにはバチカン別働隊の修道会 : イエズス会のフランシスコ・ザビエルが進出し、やがてはイエズス会 : バレンチノ神父も絡んだ織田信長爆殺へと繋がって行きます。
また、マヤ文明を初めてひもといたエリック・トンプソン氏は、当時研究論文が一切なかったためランダ司祭の残した資料を基にマヤの末裔たちから聞いた話を加えてマヤ文字と文明の解読を行いましたが、
弾圧されたマヤの子孫たちが本当のことを話すことはありませんでした。
しかもトンプソン氏自身がキリスト教のハルマケドン文明史観からマヤ暦を解釈したため、
「 マヤンカレンダー 」はすでにこの時点からバイアスがかかっていたようです。
アグエイアス博士の 「 マヤンカレンダー 」 では7月26日を一年の起点と定めていますが、
これはトンプソン氏の解釈であり7月26日とは本当はマヤでは農業をするにあたっての重要な日であり、
マヤの元旦ではありません。 本当のマヤの暦の基点は春分の日の後の最初の満月の日とされています。
先にも書いたように、マヤの考え方には、キリスト教的な終末論 ( ハルマゲドン ) はありません。
最古のマヤ暦発見!
マヤ暦はあと5000年ある!
また、今年の5月11日には、
米ボストン大学などの研究チームが、ガテマラにある9世紀初期のマヤ文明遺跡の壁画に、
月や惑星の周期を計算したマヤ最古のカレンダーがあるのを発見し、
11日付の「 American Science 」に発表しました。( 産経 iZa! )
「 2012年人類滅亡説 」がまことしやかに流布しているが、
精査したところ、終末を示すような計算結果は見当たらなかったという。
マヤ最古のカレンダーを精査した研究チームは
「 逆に、世界には7000年は先があると考えていたようだ 」
としています。
この発見によって
「 マヤン・カレンダー = ホセ・アグエイアス・カレンダー 」
の2012年12月でマヤ暦が終わると云う戯言(たわごと)は完全に息の根を止められたことになりました。

nueq lab
http://nueq.exblog.jp/19693265/



                        

マヤ暦と歳差運動
2012年辺りでマヤ暦が終了している理由は、
そこから「 時間がなくなる 」というより、
オルメカ文明に続くマヤ文明が存続した
紀元前後~AD1562年が属する周期を最後に記したとする方が自然です。
マヤ暦の長周期 : 13バクトゥンの1,872,000日は、
グレゴリオ暦の365.2425日で割ると5125.36年となります。
エリック・トンプソンのマヤンカレンダー( ホセ・カレンダー )では、
グレゴリオ暦のBC3114年8月11日に始まり2012年12月21日で終わるとされています。(21日説と22日説があるようです。)
これはマヤに
「 第5の太陽の時代は、 13バクトゥン 13アハウの日 に終焉を迎える 」
と云う予言があるところから、
エリック・トンプソンの計算で2012年12月21日がとされたものですが、
BC3114年8月11日を割り出した基準点を巡って諸説があるようです。
しかしその予言が記されたのが何時の時代で正式にどのように記されていたのかの資料は
日本語のWEBでは見当たらないようです。
第5の太陽の時代、つまり13バクトゥンを5回掛け合わせると、
   5125.36年 ✕ 5 = 25,625.8年
これは、地球の歳差運動:25, 920年と近似です。
マヤ文明が歳差運動を正確に読み取っていたかどうかはまだよく判りません。
ミランコビッチによれば、
歳差運動は1 万9000 年、2 万2000 年、2 万4000 年の3つの周期の組合せから構成され、
また、歳差を作る自転軸の傾斜角も4 万1000 年の周期で22.1 度から24.5 度に振れていて、
歳差周期はこれらの組合せで増減を繰り返しています。

nueq lab
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歳差運動とは、地球の首振り運動。
独楽を回すと最初はまっすぐに立ってますが、時間が経って回転エネルギーが低下してくると軸棒が首振り運動を始めます。
この首振り運動が歳差運動なのです。
そう、地球の回転エネルギーが低下して首振り運動が起きているのです。
太陽系にあって、回転エネルギーは内側の惑星から消失していきます。
水星・金星は既に回転エネルギー( 自転エネルギー )を消失したために、水星ではほとんど自転してないに等しい176日、金星では逆回転のー116日で、次は地球の回転が止まる番です。 と云っても今年の12月22日ではなく、数億年、或いは数十億年先の話だと思われますのでご安心を。
下の図は、歳差運動によって北極星が移り変わってきた様子を描いたものです。

nueq lab
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歳差運動
( 出典 : 星たび・巨石遺跡にアナレンマを見た )
図では4000年毎に北極星が入れ替わってきたことを示していますが、
歳差運動もまた星座の12宮に振り分けられます。
占星術上の星座の巡りは、春分の牡羊座から始まって魚座で終わりますが、
歳差運動に於ける星座は、地球の地軸の首振り運動に伴って春分の際の太陽の位置を云うもので、
通常の占星術の星座の巡りとは反対に巡ります。
ですから、魚座の次が現在の水瓶座となっています。
2012年で暦が終わる、つまり歳差運動に伴う大きな周期が終わるとするなら、
それは水瓶座で始まり、水瓶座で終わるのでしょうか?
西洋占星術では、山羊座に始まり、水瓶座で終わります。( 通常は牡羊座に始まり、魚座に終わるとされますが、これは春分起点で、本来=古代の冬至起源なら山羊座となります。)
いずれにせよ、マヤ暦の5つの太陽周期が、
歳差運動を指し示してるように思われるのは驚きです。
しかもそれが、「 最後の水瓶座 」から「 始まりの山羊座 」へと遷移する時期の一致を見ていることも面白いです。
但し、水瓶座には1960〜80年代から入ったことになっていますから、
水瓶座の時代はまだ2000年ほど先と云うことになり、
この点は「 マヤンカレンダー 」とはかなりズレてはいます。

nueq lab
http://nueq.exblog.jp/19693265/







水瓶座の時代
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/769.html
BC 4300年 ~ BC 2150年  牡牛座の時代
BC 2150年 ~ AD  0年 牡羊座の時代
AD  0年 ~ AD 2150年  双魚座の時代
AD 2150年 ~ AD 4300年  水瓶座の時代
注:2150年から水瓶座になりますのでイエスキリストという玉は使えない。
一体誰がメシアになるのでしょうか。

ハムレットの水車小屋
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/944.html






2008/7/8
黄道十二星座と春分点
人類最古の文明は、シュメール文明で、
牛を家畜化し、農業を始めたのもシュメールが最初です。 
彼らは高度な天文学の知識を有していました。 
天体は季節や太陽の位置を教えてくれる正確な時計といえ、
天文学はシュメールからバビロニア、そしてエジプトやギリシアに伝わってゆきました。  
地球は、自転・公転・歳差運動をしておりますが、
歳差運動とは地球の軸が地球の赤道面が黄道面に対して約23.4度傾いているために、
自転軸がコマの首振りのように回転している運動です。 
この歳差運動のため、地上から見ると、
星空が定期的に回転しているように見え、
春分点・秋分点が黄道に沿って少しずつ西向きに移動します。
春分点とは、分かりやすく言えば、春分の日に、どの位置から太陽が昇ってくるかという事で、
地球の歳差運動のために、それぞれの時代で、太陽が昇る位置の星座が決まります。  
歳差運動の周期は約25800年で、春分点はこの長い期間をかけて、
黄道十二宮の星座を西回りに、ゆっくりと移動します。 
すなわち、一つの星座に25800年÷12=2150年春分点は位置することになります。
シュメール時代には、この春分点が牡牛座の位置にありました。  
また、北斗七星や、牡牛座のプレアデス星団(すばる)の7つの大きく輝く星も、
7という数字がメソポタミアや西洋でのラッキーナンバーに影響しているものと思われます。 
シュメールの最高神アンは、二本の牛の角を持っており、
これがインドに伝わり牛は神聖なものとなりましたが、
このプレアデス星団(M45)の七つの輝く星が、牡牛座にあるのも興味深いところです。
牡牛座にある プレアデス星団 (昴)
シュメール文明 天文学と数学
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/240.html
この時代に、牡牛が信仰されたのは、
圧倒的なパワーや、農業に欠かせない家畜としての重要性から、
神様に感謝したものと思われますが、牡牛は生産生殖の神として、
中近東を中心にインドにも広まりました。
カナン(イスラエル)の地に、ヘブライ人(ユダヤ人)が入植したときに、
既に信仰されていたのが、牡牛を概念化したバール神で、
ユダヤ教と様々な摩擦を生みました。 
ユダヤ人が入植する前にカナンの地に住んでいたのが、
海洋民族のフェニキア人で、カナンの地に住んでいた彼らの事をパレスチナ人とも言います。  
後にローマ帝国と戦ったカルタゴは、このフェニキアの植民地で、
長男を生贄として殺す野蛮な習慣も、フェニキアとカルタゴは同じであります。  
旧約聖書で、ヤハヴェがアブラハムの信仰を試すために、
長男のイサクを生贄に捧げるよう命じるシーンがありますが、
この部分の元になった文書は、紀元前750年頃にできたものでありますが、
その頃、イスラエル王国の北隣のフェニキアでは、
一家の長男を赤ちゃんのときに焼いて神に捧げる習慣が実際にあり、
このような痛ましい習慣がイスラエルに伝わって流行したので、それをやめさせる為に、
アブラハムの献児の物語が創られたと言われています。 
アブラハムの献児
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/210.html
生殖の神「バール」に対する信仰はセックスに対して解放的であり、
厳しいユダヤ教とは決定的に相容れないものを持っており、
その為ユダヤ教では「バール」を全否定の対象にし、
バール神の像などは徹底的に破壊されました。
ユダヤ人が、カナンの土地に入植するまで、長く神として信仰の対象であった「バール」は、
ユダヤ教によって悪魔の烙印を押されたのであります。  
しかし、風俗、習慣として生活に密着し、感覚的に理解し易い「バール」信仰は滅びることなく、
形を変えて人々の間に定着していき、
当時の交易ルートにのって既に世界各地へと「バール」信仰は飛び火しており、
今日、牛頭の姿をとる神、怪物、魔人等はすべて「バール」の影響を受けているといっても過言ではありません。  
そして、その「バール」信仰の東の終着点が日本で、
「バール」は、我が国では「牛頭」と呼ばれ、恐怖の対象として知られています。
地獄の物語に良く登場する「牛頭・馬頭」の「牛頭」のことで、
地獄の番人であり、地獄に落ちた死者を責め苛む役を担っています。 
鬼は、牛の頭に、虎のパンツをはいた怪物で、
これはバール神と、十二支を時計の時刻にあてはめ、子(0時)、牛(1時)、虎(2時)、卯、・・・ と、深夜の1時から2時の真っ暗闇の恐怖と掛け合わせたものであります。

ハムレットの水車小屋
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/720.html


天文学の春分点に話を戻すと、
シュメール文明・メソポタミア文明の約BC4500年~BC2000年頃までは、
春分点の位置は牡牛座にあり、約BC2000年~紀元0年頃までは牡羊座にあります。  
これは、時代が牡牛から羊(ユダヤ教)に変わっていった事を意味し、
モーゼがシナイ山に上り、ヤハヴェから十戒を授かり、
山を降りると、人々は黄金の牛でできた偶像をつくり、
信仰しようとしたのに、モーゼは激しく怒り、黄金の牛を叩き壊しましたが、
これはまさに牡牛の時代との決別を象徴するものであるのです。

ハムレットの水車小屋
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/720.html







西洋文明の根幹に、天文学、及び占星術があり、
地球の歳差運動の周期が25800年であることが紀元前より知られており、
黄道12星座の12で割ると、一つの星座に割り当てられる時間が2150年となり、
これを西洋文明では、Age(時代)と呼びます。 
そして、春分の日にどの(星座)位置から太陽が昇ってくるかと言うのが春分点で、
春分点はこの2150年という長い期間をかけて、黄道十二宮の星座を西回りに、
ゆっくりと移動します。 
実は、牡牛座の時代BC4300~BC2150(シュメール文明など)
→羊座の時代BC2150~AD0(ユダヤ文明)
→魚座の時代AD0~AD2150年(キリスト文明)
→水瓶座の時代AD2150~AD4300(フリーメーソン思想的文明)
と時代は区分されており、信心している人には申し訳ないのですが、
キリスト教もフリーメーソンも、その星座にまつわる占星術の話に、
話を合わせているに過ぎないのです。
牡牛座は農耕・光・忍耐の象徴で、守護星は金星。  
シュメール時代に太陽の春分点は牡牛座にあり、世界で最初に農業が営まれ、
牛を家畜化したのはシュメール文明で、
シュメールの最高神アンは、二本の牛の角を持っており、
これがパレスチナ(フェニキア)やインドに伝わり牛は神聖なものとなりました。 
シュメール文明の栄えたウルの地に生まれた、
アブラハムは神からの啓示を受けて、約束の地カナン(イスラエル)に向かい、
そこからイスラエル人(ユダヤ人)がカナンの地に入植してゆきますが、
もともとカナンの地に住んでいたのは、海洋民族のフェニキア人で、
ローマ帝国と戦ったカルタゴは、フェニキアの植民地です。 
カナンの地で、農業を学んだイスラエル人は、
フェニキアに同化し、バール神をも信仰しており、
古代イスラエル教は、一神教ではなく、
多数の神様の中からひとつを拝むという拝一神教でありました。 
しかしながら、モーゼの時代に強烈な一神教となってゆくユダヤ教では、
牛の角の生えたバール神を悪魔に仕立て上げ、
それから西洋では悪魔は2本の角を持つようになりました。 
それが日本にも伝わり、鬼や地獄の番人である牛頭は、2本の角を有しています。
モーゼがシナイ山に登り、神から十戒を授けられたとき、
山から下りると人々が黄金の子牛をつくり、
偶像崇拝しているのを見て、黄金の子牛を叩き壊しますが、
これはまさしく牡牛の時代から、ユダヤのシンボルである、牡牛の時代から決別し、
羊の時代に入った事を象徴するものであります。
牡羊座は、決断・革新、イスラエルの象徴で、その守護星は火星。 
牡羊座は、シュメール語の星座名では 「Lu Hunga」 で、雇われる人、また従順な人を意味し、
宗教的な時代ともいえます。 
イエスキリストもユダヤ人ですが、神の従順な子羊であり、
またキリスト教信者も子羊にたとえられ、何かと羊という言葉がでてきます。 
AD13年にシリアで鋳造されたコインには、表面に王を表すギリシア神話のゼウス、
裏面には12星座の羊が空を飛びながら東方に輝く星を振り返っている様子が描かれていました。 
古代の星座は、特定の地域も表しており、
牡羊座は、「イスラエル地方」を表しています。
魚座は情緒・自己犠牲・償いの象徴で、守護星は木星。 
最後の晩餐、ユダの裏切り、十字架という魚座の自己犠牲でクライマックスを迎えますが、
イエスは3日後に復活するので、終わりであると当時に始まりでもあります。  
新約聖書を読むと、やたらと2匹の魚がでてきます、
例えばガリラヤ湖での2人の漁師ペトロとアンデレの話、
また2匹の魚と5つのパンで5000人の人々を満腹にさせた奇跡、etc.
パンと魚の増加教会 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/415.html
この2匹の魚は、ギリシア神話によると、
美の女神「アフロディテ」とその子「エロス」がエリダヌス川(=エリダヌス座)のそばを歩いていると、
そこに、怪物「テュポン」が現れ、
驚いた2人は「魚の形」になって逃げますが、
2人は離ればなれにならないように、ひもをつけて逃げた、という話からの双魚座からきています。  ローマ神話では、母ヴィーナス(=ギリシアのアフロディテ)と息子キューピット(=ギリシアのエロス)になります。
古今東西、女性は子供産むことから、五穀豊穣のシンボルとされてきましたが、ギリシア神話のデーメテールや日本の天照大神などがいます。
小麦はBC7000~9000頃から、イスラエルやメソポタミア地方で栽培されていた貴重な食料ですが、
小麦の収穫時期である8月~9月が星座の乙女座の時期で、
乙女座はヘブライ語で収穫を意味する「Bethulah」の事であり、
ギリシア神話の五穀豊穣の女神デーメテールの星座であります。 
イエスが誕生した地はベツレヘムですが、
この地名はパンの家という意味で(Beth=家、lechem=パン)で、
清純な処女をイメージする乙女(座)からイエスが誕生したことを表すものであります。 
乙女座では、乙女が子供を抱き、麦の穂を持っていますが、
この穂の部分が乙女座のα星スピカで、飛び出していることからスパイクの語源となりました。 
乙女座の星を一筆書きにしたらローマ字のmのような形になり、
それが西洋ではマリア、インドに伝わりお釈迦の母マーヤとなり、
Mから始まる聖母の名前は世界に広まりました。
また、乙女座の、息子を抱く母の姿は、
アリアが十字架から降ろされたキリストを慈愛深く、
優しく抱く姿 「ピエタ」 となり、キリスト教文化圏で、
多くの芸術作品を生み出してきました。
Pieta
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/444.html
2008/9/20

ハムレットの水車小屋
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/769.html

黄道十二星座と春分点






水瓶座の時代
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/769.html
BC 4300年 ~ BC 2150年  牡牛座の時代
BC 2150年 ~ AD  0年 牡羊座の時代
AD  0年 ~ AD 2150年  双魚座の時代
AD 2150年 ~ AD 4300年  水瓶座の時代
注:2150年から水瓶座になりますのでイエスキリストという玉は使えない。
一体誰がメシアになるのでしょうか。

ハムレットの水車小屋
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/944.html






2008/7/8
黄道十二星座と春分点
人類最古の文明は、シュメール文明で、
牛を家畜化し、農業を始めたのもシュメールが最初です。 
彼らは高度な天文学の知識を有していました。 
天体は季節や太陽の位置を教えてくれる正確な時計といえ、
天文学はシュメールからバビロニア、そしてエジプトやギリシアに伝わってゆきました。  
地球は、自転・公転・歳差運動をしておりますが、
歳差運動とは地球の軸が地球の赤道面が黄道面に対して約23.4度傾いているために、
自転軸がコマの首振りのように回転している運動です。 
この歳差運動のため、地上から見ると、
星空が定期的に回転しているように見え、
春分点・秋分点が黄道に沿って少しずつ西向きに移動します。
春分点とは、分かりやすく言えば、春分の日に、どの位置から太陽が昇ってくるかという事で、
地球の歳差運動のために、それぞれの時代で、太陽が昇る位置の星座が決まります。  
歳差運動の周期は約25800年で、春分点はこの長い期間をかけて、
黄道十二宮の星座を西回りに、ゆっくりと移動します。 
すなわち、一つの星座に25800年÷12=2150年春分点は位置することになります。
シュメール時代には、この春分点が牡牛座の位置にありました。  
また、北斗七星や、牡牛座のプレアデス星団(すばる)の7つの大きく輝く星も、
7という数字がメソポタミアや西洋でのラッキーナンバーに影響しているものと思われます。 
シュメールの最高神アンは、二本の牛の角を持っており、
これがインドに伝わり牛は神聖なものとなりましたが、
このプレアデス星団(M45)の七つの輝く星が、牡牛座にあるのも興味深いところです。
牡牛座にある プレアデス星団 (昴)
シュメール文明 天文学と数学
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/240.html
この時代に、牡牛が信仰されたのは、
圧倒的なパワーや、農業に欠かせない家畜としての重要性から、
神様に感謝したものと思われますが、牡牛は生産生殖の神として、
中近東を中心にインドにも広まりました。
カナン(イスラエル)の地に、ヘブライ人(ユダヤ人)が入植したときに、
既に信仰されていたのが、牡牛を概念化したバール神で、
ユダヤ教と様々な摩擦を生みました。 
ユダヤ人が入植する前にカナンの地に住んでいたのが、
海洋民族のフェニキア人で、カナンの地に住んでいた彼らの事をパレスチナ人とも言います。  
後にローマ帝国と戦ったカルタゴは、このフェニキアの植民地で、
長男を生贄として殺す野蛮な習慣も、フェニキアとカルタゴは同じであります。  
旧約聖書で、ヤハヴェがアブラハムの信仰を試すために、
長男のイサクを生贄に捧げるよう命じるシーンがありますが、
この部分の元になった文書は、紀元前750年頃にできたものでありますが、
その頃、イスラエル王国の北隣のフェニキアでは、
一家の長男を赤ちゃんのときに焼いて神に捧げる習慣が実際にあり、
このような痛ましい習慣がイスラエルに伝わって流行したので、それをやめさせる為に、
アブラハムの献児の物語が創られたと言われています。 
アブラハムの献児
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/210.html
生殖の神「バール」に対する信仰はセックスに対して解放的であり、
厳しいユダヤ教とは決定的に相容れないものを持っており、
その為ユダヤ教では「バール」を全否定の対象にし、
バール神の像などは徹底的に破壊されました。
ユダヤ人が、カナンの土地に入植するまで、長く神として信仰の対象であった「バール」は、
ユダヤ教によって悪魔の烙印を押されたのであります。  
しかし、風俗、習慣として生活に密着し、感覚的に理解し易い「バール」信仰は滅びることなく、
形を変えて人々の間に定着していき、
当時の交易ルートにのって既に世界各地へと「バール」信仰は飛び火しており、
今日、牛頭の姿をとる神、怪物、魔人等はすべて「バール」の影響を受けているといっても過言ではありません。  
そして、その「バール」信仰の東の終着点が日本で、
「バール」は、我が国では「牛頭」と呼ばれ、恐怖の対象として知られています。
地獄の物語に良く登場する「牛頭・馬頭」の「牛頭」のことで、
地獄の番人であり、地獄に落ちた死者を責め苛む役を担っています。 
鬼は、牛の頭に、虎のパンツをはいた怪物で、
これはバール神と、十二支を時計の時刻にあてはめ、子(0時)、牛(1時)、虎(2時)、卯、・・・ と、深夜の1時から2時の真っ暗闇の恐怖と掛け合わせたものであります。

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http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/720.html


天文学の春分点に話を戻すと、
シュメール文明・メソポタミア文明の約BC4500年~BC2000年頃までは、
春分点の位置は牡牛座にあり、約BC2000年~紀元0年頃までは牡羊座にあります。  
これは、時代が牡牛から羊(ユダヤ教)に変わっていった事を意味し、
モーゼがシナイ山に上り、ヤハヴェから十戒を授かり、
山を降りると、人々は黄金の牛でできた偶像をつくり、
信仰しようとしたのに、モーゼは激しく怒り、黄金の牛を叩き壊しましたが、
これはまさに牡牛の時代との決別を象徴するものであるのです。

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http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/720.html







西洋文明の根幹に、天文学、及び占星術があり、
地球の歳差運動の周期が25800年であることが紀元前より知られており、
黄道12星座の12で割ると、一つの星座に割り当てられる時間が2150年となり、
これを西洋文明では、Age(時代)と呼びます。 
そして、春分の日にどの(星座)位置から太陽が昇ってくるかと言うのが春分点で、
春分点はこの2150年という長い期間をかけて、黄道十二宮の星座を西回りに、
ゆっくりと移動します。 
実は、牡牛座の時代BC4300~BC2150(シュメール文明など)
→羊座の時代BC2150~AD0(ユダヤ文明)
→魚座の時代AD0~AD2150年(キリスト文明)
→水瓶座の時代AD2150~AD4300(フリーメーソン思想的文明)
と時代は区分されており、信心している人には申し訳ないのですが、
キリスト教もフリーメーソンも、その星座にまつわる占星術の話に、
話を合わせているに過ぎないのです。
牡牛座は農耕・光・忍耐の象徴で、守護星は金星。  
シュメール時代に太陽の春分点は牡牛座にあり、世界で最初に農業が営まれ、
牛を家畜化したのはシュメール文明で、
シュメールの最高神アンは、二本の牛の角を持っており、
これがパレスチナ(フェニキア)やインドに伝わり牛は神聖なものとなりました。 
シュメール文明の栄えたウルの地に生まれた、
アブラハムは神からの啓示を受けて、約束の地カナン(イスラエル)に向かい、
そこからイスラエル人(ユダヤ人)がカナンの地に入植してゆきますが、
もともとカナンの地に住んでいたのは、海洋民族のフェニキア人で、
ローマ帝国と戦ったカルタゴは、フェニキアの植民地です。 
カナンの地で、農業を学んだイスラエル人は、
フェニキアに同化し、バール神をも信仰しており、
古代イスラエル教は、一神教ではなく、
多数の神様の中からひとつを拝むという拝一神教でありました。 
しかしながら、モーゼの時代に強烈な一神教となってゆくユダヤ教では、
牛の角の生えたバール神を悪魔に仕立て上げ、
それから西洋では悪魔は2本の角を持つようになりました。 
それが日本にも伝わり、鬼や地獄の番人である牛頭は、2本の角を有しています。
モーゼがシナイ山に登り、神から十戒を授けられたとき、
山から下りると人々が黄金の子牛をつくり、
偶像崇拝しているのを見て、黄金の子牛を叩き壊しますが、
これはまさしく牡牛の時代から、ユダヤのシンボルである、牡牛の時代から決別し、
羊の時代に入った事を象徴するものであります。
牡羊座は、決断・革新、イスラエルの象徴で、その守護星は火星。 
牡羊座は、シュメール語の星座名では 「Lu Hunga」 で、雇われる人、また従順な人を意味し、
宗教的な時代ともいえます。 
イエスキリストもユダヤ人ですが、神の従順な子羊であり、
またキリスト教信者も子羊にたとえられ、何かと羊という言葉がでてきます。 
AD13年にシリアで鋳造されたコインには、表面に王を表すギリシア神話のゼウス、
裏面には12星座の羊が空を飛びながら東方に輝く星を振り返っている様子が描かれていました。 
古代の星座は、特定の地域も表しており、
牡羊座は、「イスラエル地方」を表しています。
魚座は情緒・自己犠牲・償いの象徴で、守護星は木星。 
最後の晩餐、ユダの裏切り、十字架という魚座の自己犠牲でクライマックスを迎えますが、
イエスは3日後に復活するので、終わりであると当時に始まりでもあります。  
新約聖書を読むと、やたらと2匹の魚がでてきます、
例えばガリラヤ湖での2人の漁師ペトロとアンデレの話、
また2匹の魚と5つのパンで5000人の人々を満腹にさせた奇跡、etc.
パンと魚の増加教会 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/415.html
この2匹の魚は、ギリシア神話によると、
美の女神「アフロディテ」とその子「エロス」がエリダヌス川(=エリダヌス座)のそばを歩いていると、
そこに、怪物「テュポン」が現れ、
驚いた2人は「魚の形」になって逃げますが、
2人は離ればなれにならないように、ひもをつけて逃げた、という話からの双魚座からきています。  ローマ神話では、母ヴィーナス(=ギリシアのアフロディテ)と息子キューピット(=ギリシアのエロス)になります。
古今東西、女性は子供産むことから、五穀豊穣のシンボルとされてきましたが、ギリシア神話のデーメテールや日本の天照大神などがいます。
小麦はBC7000~9000頃から、イスラエルやメソポタミア地方で栽培されていた貴重な食料ですが、
小麦の収穫時期である8月~9月が星座の乙女座の時期で、
乙女座はヘブライ語で収穫を意味する「Bethulah」の事であり、
ギリシア神話の五穀豊穣の女神デーメテールの星座であります。 
イエスが誕生した地はベツレヘムですが、
この地名はパンの家という意味で(Beth=家、lechem=パン)で、
清純な処女をイメージする乙女(座)からイエスが誕生したことを表すものであります。 
乙女座では、乙女が子供を抱き、麦の穂を持っていますが、
この穂の部分が乙女座のα星スピカで、飛び出していることからスパイクの語源となりました。 
乙女座の星を一筆書きにしたらローマ字のmのような形になり、
それが西洋ではマリア、インドに伝わりお釈迦の母マーヤとなり、
Mから始まる聖母の名前は世界に広まりました。
また、乙女座の、息子を抱く母の姿は、
アリアが十字架から降ろされたキリストを慈愛深く、
優しく抱く姿 「ピエタ」 となり、キリスト教文化圏で、
多くの芸術作品を生み出してきました。
Pieta
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2008/9/20

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古代では自然発生的に、太陽信仰が起こり、
広く普及したものエジプトのホルス神があり、
フリーメーソンのシンボルマークの真実を見通す目も 「ホルスの目」 であります。 
全てを見通す目
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/589.html
ホルスの目 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/590.html
実はこのホルス神とイエスキリストの話は良く似ています。  
ホルスは12月25日に生まれましたが、母親は処女のイシス。 
誕生のさい東の星が現れ、三人の王がその星をめぐり誕生した救世主に贈り物を捧げました。  
12歳で天才少年教師と呼ばれ、30歳でアナプという存在に洗礼され牧師として活動を始め、
ホルスは12の使徒と共に旅をし、病を治し水の上を歩いたりなどの奇跡を行い、
ホルスは様々な別名で呼ばれました。   
例えば「真実」「光」「祝福されし神の子」「良い羊飼い」「神の子羊」などであります。  
テュフォンに裏切られたホルスは十字架に掛けられ三日の間、理葬され、そして復活します。
一方、イエス・キリストは処女マリアから12月25日、ベツレヘムで生まれ、
東の星が彼の誕生を示し、三人の王がその星をめぐり、
誕生した救い主を見つけ出し贈り物を捧げました。 
12歳で教師となり、30歳でヨハネに洗礼され、彼の牧師活動が始まりますが、
イエスは12の使徒と共に旅をし、病を癒し水の上を歩き、死者を蘇らせるなどの奇跡を行いました。  彼の別名は「王の中の王」「神の子」「世の光」「アルファとオメガ」「神の子羊」などなどであります。  そして、ユダに裏切られ、十字架に掛けられて、墓に入れられ三日後に復活し天に昇ります。
また、ローマ帝国でキリスト教が国教と認められる以前に、
広く普及していたのがミトラス教で、ここで、キリスト教について、
我々が理解しておかなければならないのは、聖書はイエスキリストの弟子たちが書いたもので、
その後の教義やキリスト教文化というものは、
ローマ帝国が帝国内の人々を支配するための道具に、
イエスキリストを利用したものであります。
ディオクレティアヌス帝のキリスト教迫害命令から、
わずか10年後のAD313年に、コンスタンティヌス帝が「ミラノ勅令」を出して、
キリスト教を公認しました。  
この背景には、ローマ帝国の政治的腐敗に嫌気がさしていたローマ市民にとっては、
ローマ帝国がキリスト教徒を迫害すればするほど、
彼らに同情し、キリスト教徒は増加し、もはやキリスト教徒を敵に回しては、
ローマ帝国を治めることが出来なくなっていたからです。
しかしながら、キリスト教が認められる前に、
広範に流布した宗教はミトラス教で、キリスト教とローマ帝国の国教の地位を争ったほど
優勢な宗教であった為、まだ信者が多く、
ローマ帝国が人々を治めるには、従来から続いてきたミトラス教の風習も大事に受け継ぐ必要がありました。  
彼らは、太陽信仰をしており、冬至を大々的に祝う風習があり、
ゾロアスター教の大天使・ミトラの誕生日である12月25日にお祭りをしていたため、
これをやめるわけにはいきませんでした。
そして、ミトラス教とイエスキリストの教えは融合されてゆき、
イエスキリストの誕生日は12月25日と決めたのは、コンスタンティヌス大帝で、
彼自身がキリスト教に改宗したのは、死の直前で、それまでは、ミトラス教信者で、
ミトラ神の誕生日の12月25日を、イエスキリストの誕生日にしたのです。
それでは、西洋における古代の太陽信仰に於いて、ホルス、ミトラ、イエスなど
太陽神の誕生日が12月25日なのかと言えば、ご存知のように、太陽は東から上り、
西へと沈みますが、その高度は夏に高く、冬は低くなり、
冬至で太陽の南中高度は最も低くなり、1年の中で昼は最も短くなり、夜が最も長くなります。
そして不思議なことに、12月22日、23日、24日と3日間、一番低い位置で留まり、
25日からまた太陽の位置は高くなっていきます。  
すなわち、これが太陽の死と復活で、
世界各地にある太陽信仰の神話のモデルとなっています。  
また、この太陽が死ぬとされた3日間は、太陽は南十字星の近くに位置し、
これがキリストの死と十字架を結びつけるものとなっています。
2008/9/20

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さらに、クリスマスツリーの頂上に輝く大きな星があると思いますが、
それはベツレヘムの星で、
キリストが誕生の時に輝いていた星で、
東方の三博士がこのベツレヘムの星をみて、
ユダヤの王となる赤ん坊をエルサレム、さらにベツレヘムにまで、
イエスキリストを礼拝しにやってきました。 
冬の空で、目立つ大きな星座はオリオン座ですが、
オリオン座にある三つの星は明るいことから、昔から三人の王と呼ばれており、
この三つの星を直線で結んだところに、おおいぬ座で、大きく光る星シリウスがあります。  
さらにこの直線を延ばし、地球の地平線と交錯する位置(南東方面)から、
12月25日に太陽は昇ります。  
すなわち、ベツレヘムの星(シリウス)に案内されて、
東方の三博士(オリオン座の三人の王)がやってきたのが、
キリストが誕生する(太陽が昇る)場所、ベツレヘムであったと言う事です。  
これが、太陽信仰を行う西洋の各地で、太陽神が25日に誕生する物語になっており、
後からイエスキリストも12月25日に誕生したと決められたのです。
そうして、春分点(春分の日に太陽が昇る位置)が双魚座の位置にくる紀元0年頃に、
魚のシンボルであるイエスキリストは誕生するのです。 
今日ではジーザス・フィッシュ(Jesus Fish)やクリスチャン・フィッシュ(Christian Fish)とも呼ばれているイクトゥス ( ichthys ichtus ΙΧΘΥΣ ) は、一筆書きで書いたような、魚を横から見た形に描いたシンボルですが、
これを初期のキリスト教徒は、隠れシンボルとして用いました。  

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映画(DVD)で、Quo Vadis(クォ・ヴァディス)を観られた人もいるかと思いますが、ローマ帝国のネロ皇帝の時代に、隠れキリスト教徒たちが、仲間である合図として、砂の上にイクトゥスを描いていたのを思い出します。
極めつけは、イクトゥス ( ΙΧΘΥΣ )=ギリシア語の魚 とは、ΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ (ギリシア語でイエス、キリスト、神の、子、救世主)の頭文字を並べたものであります。
すなわち、キリスト教というものは、ローマ帝国が帝国内の人々を治めるために、
それまで西洋文明に脈々と流れるエッセンスを凝縮して、
天文学や従来の神々と整合させながら、
世界に冠たるローマ帝国の一線級の学者達によって、つくられたものであると言うことができます。 
天文学・占星術の立場から言えば、魚座の次にくるのは水瓶座であり、
自由・平等・博愛を象徴するもので、
水瓶座は革命と独立をシンボルとする、天王星を守護星として持っており、
既存の価値観から解放され、新しい価値観を構築して行く時代であります。
フリーメーソンのシンボリックなキーワードも自由・平等・博愛であり、
フランス革命、アメリカ独立革命、イタリア統一(革命)運動、明治維新、ロシア革命、
第二次大戦敗戦後のGHQフリーメーソンによる改革、など次々と、革命に深く関与してきましたが、
これも革命と独立をシンボルとする天王星を守護星と持っていることと一致します。

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アクエリアス・エイジ(水瓶座の時代)
New World Order (新世界秩序)
「 都へ行きなさい。 すると、水がめを運んでいる男に出会う。 
その人について行きなさい 」
イエス・キリスト     
- 新約聖書 マルコの福音書 第14章13節 -

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マヤ暦と歳差運動
2012年辺りでマヤ暦が終了している理由は、
そこから「 時間がなくなる 」というより、
オルメカ文明に続くマヤ文明が存続した
紀元前後~AD1562年が属する周期を最後に記したとする方が自然です。
マヤ暦の長周期 : 13バクトゥンの1,872,000日は、
グレゴリオ暦の365.2425日で割ると5125.36年となります。
エリック・トンプソンのマヤンカレンダー( ホセ・カレンダー )では、
グレゴリオ暦のBC3114年8月11日に始まり2012年12月21日で終わるとされています。(21日説と22日説があるようです。)
これはマヤに
「 第5の太陽の時代は、 13バクトゥン 13アハウの日 に終焉を迎える 」
と云う予言があるところから、
エリック・トンプソンの計算で2012年12月21日がとされたものですが、
BC3114年8月11日を割り出した基準点を巡って諸説があるようです。
しかしその予言が記されたのが何時の時代で正式にどのように記されていたのかの資料は
日本語のWEBでは見当たらないようです。
第5の太陽の時代、つまり13バクトゥンを5回掛け合わせると、
   5125.36年 ✕ 5 = 25,625.8年
これは、地球の歳差運動:25, 920年と近似です。
マヤ文明が歳差運動を正確に読み取っていたかどうかはまだよく判りません。
ミランコビッチによれば、
歳差運動は1 万9000 年、2 万2000 年、2 万4000 年の3つの周期の組合せから構成され、
また、歳差を作る自転軸の傾斜角も4 万1000 年の周期で22.1 度から24.5 度に振れていて、
歳差周期はこれらの組合せで増減を繰り返しています。

nueq lab
http://nueq.exblog.jp/19693265/




歳差運動とは、地球の首振り運動。
独楽を回すと最初はまっすぐに立ってますが、時間が経って回転エネルギーが低下してくると軸棒が首振り運動を始めます。
この首振り運動が歳差運動なのです。
そう、地球の回転エネルギーが低下して首振り運動が起きているのです。
太陽系にあって、回転エネルギーは内側の惑星から消失していきます。
水星・金星は既に回転エネルギー( 自転エネルギー )を消失したために、水星ではほとんど自転してないに等しい176日、金星では逆回転のー116日で、次は地球の回転が止まる番です。 と云っても今年の12月22日ではなく、数億年、或いは数十億年先の話だと思われますのでご安心を。
下の図は、歳差運動によって北極星が移り変わってきた様子を描いたものです。

nueq lab
http://nueq.exblog.jp/19693265/





歳差運動
( 出典 : 星たび・巨石遺跡にアナレンマを見た )
図では4000年毎に北極星が入れ替わってきたことを示していますが、
歳差運動もまた星座の12宮に振り分けられます。
占星術上の星座の巡りは、春分の牡羊座から始まって魚座で終わりますが、
歳差運動に於ける星座は、地球の地軸の首振り運動に伴って春分の際の太陽の位置を云うもので、
通常の占星術の星座の巡りとは反対に巡ります。
ですから、魚座の次が現在の水瓶座となっています。
2012年で暦が終わる、つまり歳差運動に伴う大きな周期が終わるとするなら、
それは水瓶座で始まり、水瓶座で終わるのでしょうか?
西洋占星術では、山羊座に始まり、水瓶座で終わります。( 通常は牡羊座に始まり、魚座に終わるとされますが、これは春分起点で、本来=古代の冬至起源なら山羊座となります。)
いずれにせよ、マヤ暦の5つの太陽周期が、
歳差運動を指し示してるように思われるのは驚きです。
しかもそれが、「 最後の水瓶座 」から「 始まりの山羊座 」へと遷移する時期の一致を見ていることも面白いです。
但し、水瓶座には1960〜80年代から入ったことになっていますから、
水瓶座の時代はまだ2000年ほど先と云うことになり、
この点は「 マヤンカレンダー 」とはかなりズレてはいます。

nueq lab
http://nueq.exblog.jp/19693265/