2019年3月22日金曜日

神社の祭神(古代史の復元)

神社の祭神(古代史の復元)
神社にはスサノオ・饒速日尊及びその系統の人物が祀られている例が圧倒的に多い。
それなりの実績があって始めて神社に祀られるのである。
第3節 神社でまつられている神
第一項 スサノオ
スサノオは全国の神社で「天王さん」と通称されている。
「天皇神社」の祭神はスサノオである。
天王社の総本社は愛知県津島市の津島神社である。津島神社の記録に,
「素尊(スサノオ)は則ち皇国の本主なり,故に日本の総社と崇め給いしなり」
とある。
これはスサノオが神々の頂点に位置していることを意味している。
また,大山祇命を祭る神社は全国に一万一千社あるといわれているが,その総本社は愛媛県大三島にある大山祇神社である。
ここでは大山祇を日本総鎮守として祭ってある。
奈良県の山口神社は大山祇を祭る神社ということでたくさん存在し,いずれも,大和とその周辺の国を結ぶ要路の境界点に建っている。
山口神社の中には祭神が大山祇命・須佐之男命と併記されている神社や須佐之男命のみになっている神社もある。
これは,大山祇命がスサノオであることを意味している。 
また,スサノオの霊廟といわれている島根県の熊野大社でもスサノオはすべての神々の親神であると記録されている。
このようにして,全国の各神社の祭神の関係を調べてみると,その他にスサノオは,
タカオカミ・
イカズチ・
フツシミタマ・
ハヤタマオ・
シラヒワケ・
カミムスビ・
オオワタツミ・
カグツチ・
ホムスビ・
ヤチホコ・
八幡大神等
として祭られていることが分かる。
スサノオは地域の守護神として,あちこちに祭られており,神々の中で最高位に位置している。
これは,古事記・日本書紀に書かれている暴れん坊のスサノオ像とは全くかけ離れたものである。
全国の神社を調べても,元あった神に違う神を祭らせられたり,祭神を消させられたりといったことが出てくる。
スサノオは古代において大変な事業を成し遂げ,全国の神社に日本最高神として祭られたが,後の権力者が都合が悪いと抹殺したものと考えられる。
第二項 饒速日尊
古代より代々の天皇が頻繁に参拝した神社は,大和の
「石上神社」,
「大神神社」,
「大和神社」
が挙げられる。
いずれも神話上の最高神である天照大神とは別の人物が主祭神として祭られているのである。
日本最高の神社といわれる伊勢神宮には,日本書紀以前に参拝した形跡がほとんどない。
そもそも,神話上の最高神を祭った神社が大和にないこと自体がおかしなことである。
古代大和朝廷にとって重要な神社は上に挙げた三神社で,ここに祭られている神は,朝廷にとって重要な人物であるということになる。
その祭神とは,それぞれ,
「布留御魂神」,
「大物主神」,
「大和大国魂大神」
である。これらはいったいどういった人物なのであろうか。
地方の三輪神社を調べてみると,
桐生市,美和神社:建速須佐之男尊,大物主奇甕玉尊
島根県,来待神社:大物主櫛瓶玉命
大物主はスサノオの近親者で櫛瓶玉という別名があることが分かる。
櫛玉という名で神社を探してみると,
愛媛県北条市,国津比古命神社:天照国照彦火明櫛玉饒速日尊
兵庫県龍野市,井関三神社:天照国照彦火明櫛玉饒速日尊
福岡県鞍手郡,天照神社:天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊
福岡県久留米市,伊勢天照御祖神社:天火明命
京都府,篭神社(元伊勢一宮)主祭神:天火明命
京都府,篭神社(元伊勢一宮)相殿:天照大神,豊受大神
兵庫県龍野市,粒座天照神社:天照国照彦火明神
鏡作坐天照御魂神社:天照国照彦火明命
饒速日という人物が出てくるが,この人物の別名であることが分かる。
篭神社でも分かるとおり伊勢神宮の神の上に位置し,天照という名を持つ神である。
「天照」という名の付いた神社の祭神は大抵この饒速日を祭っているのである。
「天照」とは天照大神を指すのであるから,天照大神を祭っていなければならないはずである。
饒速日は大和朝廷にとって大変重要な人物で,古代の天照大神は,この饒速日を指していたようである。
このようなことから,大物主は天火明命であり,饒速日命であることが分かる。
京都の大原野灰方町にある大歳神社は祭神は大歳神であり,石作連がその祖神を祭った神社であるが,次のような記録がある。
「石作連は火明命の子孫で,火明命は石作連の祖神という。」
これは,火明命が大歳であることを意味している。
大歳は,西日本各地で祭られており,中には
「大歳御祖」とか
「大歳御祖皇大神」
という名で祭られているところも多い。
「御祖」とか
「皇大神」
とかいうのは,他に「天照皇大神」と「豊受皇大神」ぐらいしかなく,ともに伊勢神宮の神である。
この尊称はこの人物が皇祖であることを意味している。
スサノオの出身地である島根県に大歳を祭る神社が多く,飯石郡三刀屋町に大歳神社があり,
「神国島根」によると,
「須佐之男命出雲に於いて大歳を生み給い...」
と書かれており,大歳神はスサノオの子であることが分かる。
つまり,饒速日命はスサノオの子ということになる。
スサノオの住んでいた島根県の須我神社を調べてみると,その摂社にスサノオの子が列記してあり,
その三番目に「琴平 大歳」と書いてある。琴平の神といえば大物主神であり,大物主神は大神神社の祭神である。
次に,大国魂神であるが,
名古屋市 国玉神社
祭神 大物主神
国内神名帳に「従二位大国魂神」と記録されている。
その他,全国の「国玉神社」「国魂神社」は,いずれも大物主神を祭っている。
これより,大国魂神は饒速日であることが分かる。
次に布留御魂大神であるが,茨城県の総社神社に布留大神はスサノオの子であると書かれていた。これも饒速日と考えられる。
饒速日は,そのほかに,
クラオカミ・
ワケイカズチ・
コトサカオ・
トヨヒワケ・
アメノミナカヌシ・
クニトコタチ・
カナヤマヒコ
として全国に神社に祭られている。
古代から大和に祭られて,朝廷が頻繁に参拝している神社には,いずれも饒速日尊が祭られており,スサノオの子である。
饒速日尊は大歳御祖皇大神として祭られていることが多く,皇祖であるらしい。
皇祖であるからこそ,大和の大きな神社にはすべて祭られており,歴代の天皇も参拝を欠かさなかったという事実が説明できるのである。
この人物は大和朝廷にとって大変重要な人物ということになるが,古事記や日本書紀ではほとんど登場しない影の薄い存在である。
日本書紀は饒速日尊をオシホミミの子であるとしているが,全国のどの神社を調べてもそのような伝承はない。
全国の神社に伝わっている伝承は,古事記や日本書紀とは別のものであり,複数の神社の関連を調べていって浮き出てくるものであるので,
これこそ真実を伝えていると判断する。
饒速日尊は,後の歴史改竄作業によって全国の神社から消されたが,完全に抹殺できず,方々に消し漏れがあり,
それによって真の古代史を判明させることができるのである。

古代史の復元
http://www.geocities.jp/mb1527/N1-03jinjanokami.htm
http://www.geocities.jp/mb1527/N1-02-1nendaisuitei.html
http://www.geocities.jp/mb1527/mokuji.htm




素戔嗚尊の生涯
西暦 年齢 出来事
BC37年 高句麗始祖朱蒙布流国滅亡させ、高句麗を建国
父布都御魂、日本列島へ船出する。
BC35年頃 素戔嗚尊、島根県出雲市塩津町石上神社の地で誕生。誕生後沼田郷に移動。
BC30年頃 5 布都御魂、出雲王八束水臣津野命と協力し韓国より先進技術を導入(国引神話)
BC20年頃 15 斐川町出西の久武神社の地に居住
奥出雲地方を訪問し稲田姫と知り合う。
BC18年頃 17 稲田姫と結婚し久武神社近くの稲城の森で新婚生活を送る。
ヤマタノオロチが稲田姫を奪う。
ヤマタノオロチを木次の八本杉の地で殺害し稲田姫を奪い返す。
八重垣神社の地に隠れ住む
BC15年頃 20 出雲国を建国し須我神社の地を都とする。
出雲国内を巡回する。
合議制の政治体系を確立する。
BC12年頃 23 対馬に赴き対馬国を建国。朝鮮半島への足掛かりを作る。
日本列島統一を決意。統一国家の名称を倭国とする。
BC10年頃 25 朝鮮半島に赴き先進技術を取り入れる。
中国山地を超え鞆の浦に瀬戸内海地方統一の拠点を作る。
BC5年頃 30 瀬戸内海沿岸地方を巡回し、先進技術を示し次々と倭国に加盟させる。
AD1年頃 35 瀬戸内海沿岸地域が統一される。
大分県宇佐地方を統一し、以後の九州統一の足掛かりとして宇佐地方に拠点を移す。
AD3年頃 37 大分川大野川流域地方の統一
AD4年頃 39 土佐地方の統一
AD5年頃 40 北九州主要部の戦乱を収め、北九州地方の統一完了
高皇産霊神との協力体制を確立。
AD10年頃 45 南九州地方統一に出発。宮崎の加江田にいた伊弉諾一族と出会う。
伊弉諾一族の娘日向津姫と結婚。
AD11年頃 46 伊弉諾一族の協力を得て、都城一帯を統一。拠点を東霧島神社の地に移す。
AD12年頃 47 鹿児島県国分地方一帯を統一し、拠点を鹿児島神宮の地に移す。
AD15年頃 50 拠点を再び安心院の地に遷し、ここに倭国の都とし、倭国の統治体制を固める。
伊弉諾命、伊弉冊命を伴って近畿地方統一に出発。
AD17年頃 51 山城盆地、近江盆地一帯の統一。
大阪湾岸地方の統一に失敗。
紀伊半島に回る。
AD20年頃 55 倭国の基礎固めを決意
伊弉諾命は紀伊半島の統治。
素戔嗚尊出雲に戻り、大国主命に対して越国統一を命じる。
伊弉冊命は出雲で製鉄事業を始める
安心院に帰還
大阪湾岸地方を統一するためにマレビト作戦を実行することとし、饒速日尊にマレビト集めを依頼
AD25年頃 60 伊弉冊命出雲で亡くなる。
素戔嗚出雲帰還。大国主命に第二代倭国王を譲る。佐田神社の地で隠棲する。
饒速日尊率いる天孫降臨団九州を出発
AD27年頃 62 出雲市唐川地区で製鉄作業を指導
AD30年頃 65 素戔嗚尊死去(製鉄中の事故と思われる)
唐川地区に埋葬

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